ショパン:ピアノソナタ第2番 変ロ短調 Op.35 「葬送」
(P)バイロン・ジャニス 1956年9月10日~12日,14日&20日録音
Chopin:Piano Sonata No.2 in B-flat minor Op.35 [1.Grave. Doppio movimento]
Chopin:Piano Sonata No.2 in B-flat minor Op.35 [2.Scherzo]
Chopin:Piano Sonata No.2 in B-flat minor Op.35 [3.Marche funebre: Lento
Chopin:Piano Sonata No.2 in B-flat minor Op.35 [4.Finale. Presto. Sotto voce e legato]
ショパンのピアノソナタ
ピアノソナタ第1番 ハ短調 作品4
ショパンのピアノソナタは3曲残されていますが、そのうちの第1番は10代後半の若書き作品です。
この若書きの作品はショパン自身が出版を希望したものの出版社からは無視されます。ところが、彼が名声を博するようになると今度は出版社がショパンに校正を依頼するのですが、今度はそれをショパンが拒否します。そんなこんなで、結局はショパンが亡くなってから「遺作」として出版されることでようやくにして日の目を見ることになります。
この第1番のソナタには、ショパンらしい閃きよりは、彼が若い時代にいかに苦心惨憺してソナタ形式を身につけようとしたかという「努力」の後が刻み込まれています。それでも、第3楽章のラルゲットからは後のショパンのノクターンを思わせるような叙情性が姿を見せています。
いかに習作といえども、やはりショパンはショパンなのです。
それに対して、残りの二つのソナタ、作品35の変ロ短調のソナタと作品58のロ短調ソナタは、疑いもなくショパンの全業績の中でも大きな輝きを放っています。
特に「葬送」というタイトルの付いた変ロ短調のソナタはショパンの作品の中でも最も広く人口に膾炙したものです。
ピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35
この葬送ソナタは愛人サンドの故郷の館で作曲されたもので、ある意味ではこの二人の最も幸福な時代を反映した作品だともいえます。
この作品の中核をなすのは言うまでもなく、第3楽章の葬送行進曲です。
この葬送行進曲は、このソナタが着想されるよりも前にできあがっていたもので、言葉をかえれば、変ロ短調のソナタはこの葬送行進曲を中核としてイメージをふくらませて完成されたといえます。そういう意味では、3つもしくは4つの楽章が緊密な関係性を保持して構築される一般的なソナタとはずいぶんと雰囲気の異なった作品になってしまっています。
そのあたりのことを、シューマンは「ショパンは彼の乱暴な息子たち4人を、ただ一緒にくくりつけた」と表現しています。
もちろん、シューマンはソナタの約束事に反していることを批判しているのではなくて、そういう古い約束事を打ち破って独創性に富んだ作品を生み出したショパンを評価しているのです。それは、有機的な統一感に欠けるという、この作品に寄せられた批判に対するシューマンらしい弁護の論だったのです。
それにしても、二人の最も幸福な時代に葬送行進曲を中核としたソナタを書くというのは何とも不思議な話です。しかし、ここでの「葬送」の対象は個人的なものではなく「祖国ポーランド」であることは明らかです。
そう思えば、そういう大きなテーマに取り組むには「幸福」が必要だったと考えれば、それもまた納得できる話です。
ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58
そして、その葬送行進曲から5年後に作品58のロ短調ソナタが書かれます。
ショパンにとって宿痾の病だった結核はますます悪化し、さらに父の死というニュースは彼にさらなる打撃を与えます。しかし、そんなショパンのもとを姉夫婦が訪れることで彼は元気を回復し再び創作活動に取り組みます。
この作品は、そんなつかの間の木漏れ日ような時期に生み出されたのです。
この作品の大きな特徴は、変ロ短調ソナタとは異なってソナタらしい有機的な統一感を感じ取ることができることです。しかし、音楽の規模はより大きく雄大なものになるのですが、しかしながら決してゴツゴツすることなく、その中にショパンらしい「美しさ」と「叙情性」がちりばめられています。
しかし、世間とは難しいもので、そのような伝統的なソナタ形式への接近ゆえに、リストなどは「霊感よりも努力の方が多く感ぜられる」と批判しています。
変ロ短調ソナタでは伝統からはずれることで有機的な統一性がないことを批判され、逆にロ短調ソナタでは有機的統一への接近故に霊感の欠如と批判されます。
やはり、いつの耳朶に置いても大切なことは、ダンテが言うように「汝の道を歩め そして人々をして その語るに任せよ」ですね。
表現を享受すると言うこと
バイロン・ジャニスと言えばどうしても「ホロヴィッツの弟子」という看板がついて回ります。彼自身はその看板をどのように思っていたのかは分かりません。おそらくは、それは誇りでもあり重荷でもあり、単純に良否を言えるようなものではなかったはずです。
そして、ホロヴィッツはジャニスに対して常に「俺のコピーになるな」と言ってたそうなのですが、それは逆に「ホロヴィッツの呪縛」を重く、深くしたのかもしれません。
直線的に、そして輝かしくピアノを鳴らす流儀は「ホロヴィッツのコピー」と言われればその通りです。
しかし、それは「ホロヴィッツの弟子」という看板を背負ってしまったからであって、そう言う看板を抜きにしてみれば20代の若者らしいストレートな音楽表現が貫かれていると言えるはずです。
しかしながら、こういう演奏を「悪くはないけれども、大きさや深さに欠けるね」としたり顔で批評する人をよく見かけます。
しかし、そう言う決まり切った批評を聞くたびに、「それでは大きさや深さに不足しない老大家は、このような鮮烈なまでの直線性に満ちた音楽を作れるんですか?」と問いかけたくなります。
すると、ある人は、「クラシック音楽に必要なのはその様なストレートさではなくて深さなんだよ」と反論されました。今でもこういう方がおられるんですね。(^^;
しかし、ショパンがこのソナタをかいたのは20代の後半なのです。そんな若者の書いた音楽に老大家の深さ(何が深いのかは分かりませんが・・・)にしか価値を見いださないというのは明らかに歪なような気がします。
ジャニスは同じような時期にベートーベンのソナタを2曲録音しています。
一つは作品番号53の「ワルトシュタイン」と作品番号109の後期のソナタです。
音楽を創作したときの年齢で割り切るのは一面的に過ぎることは分かっていますが、「ワルトシュタイン」はベートーベンが30代半ばの創作であり、第30番の後期ソナタは50の坂をむかえた時期の創作でした。そして、ベートーベンがこの後期ソナタを生み出し後には7年足らずしか人生は残っていなかったのです。
確かに、この世の中には年を経なければ分からないことも少なくないのですが、年を経ることで忘れてしまうこともたくさんあります。
ですから、音楽を演奏するという行為は、どれほど楽譜に忠実にと言っても、それは今ある己の人生を作品の中に投影させる行為であるはずです。いや、そうでなければ、ただただ楽譜に忠実に音楽を再現させることだけが美徳であるならば、やがては人はピアノを演奏する人工知能に取って代わられてしまうはずです。
ですから、ジャニスのピアノで「ワルトシュタイン」を聞くときにもう少し大きさがほしいな」とか、「後期ソナタなんだからもう少し深さがほしいよね、ちょっと淡々と進みすぎじゃない」とか思ったとしても、それも含めてジャニスの演奏なのです。
人間による演奏を聴くと言うことは、そう言うこともふまえた上で、その表現を享受すると言うことなのです。
そして、このショパンの「葬送」とあだ名の付いたソナタとジャニスの思いは、この時期にしか実現できない形で出会っているように思うのです。
余談ながら、コンサートに行くと、終演後にしたり顔であれこれの欠点をあげつらって得意顔の人をよく見かけます。
いつも思うんです。
そこまでお気に召さないことばかりなら、最初から音楽なんか聞かなければいいのに・・・。
とは言え、私も結構あちこちで愚痴っているので自戒しなければいけません。(^^v
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