ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92
クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音
Beethoven:Symphony No.7 in A major Op.92 [1st movement]
Beethoven:Symphony No.7 in A major Op.92 [2nd movement]
Beethoven:Symphony No.7 in A major Op.92 [3rd movement]
Beethoven:Symphony No.7 in A major Op.92 [4th movement]
深くて、高い後期の世界への入り口
「不滅の恋人」は「アマデウス」と比べるとそれほど話題にもなりませんでしたし、映画の出来そのものもいささか落ちると言わなければなりません。しかし、いくつか印象的な場面もあります。(ユング君が特に気に入ったのは、クロイツェル・ソナタの効果的な使い方です。ユング君はこの曲が余りよく分からなかったのですが、この映画を見てすっかりお気に入りの曲になりました。これだけでも、映画を見た値打ちがあるというものです。)
それにしても、「アマデウス」でえがかれたモーツァルトもひどかったが、「不滅の恋人」でえがかれたベートーベンはそれに輪をかけたひどさでした。
第9で、「人類みな兄弟!!」と歌いあげた人間とは思えないほどに、「自分勝手」で「傲慢」、そしてどうしようもないほどの「エキセントリック」な人間としてえがかれていました。一部では、あまりにもひどすぎると言う声もあったようですが、ユング君は実像はもっとひどかったのではないかと思っています。
偉大な音楽家達というものは、その伝記を調べてみるとはっきり言って「人格破綻者」の集まりです。その人格破綻者の群の中でも、とびきりの破綻者がモーツァルトとベートーベンです。
最晩年のぼろ屑のような格好でお疾呼を垂れ流して地面にうずくまるベートーベンの姿は、そのような人格破綻者のなれの果てをえがいて見事なものでした。
不幸と幸せを足すとちょうど零になるのが人生だと言った人がいました。これを才能にあてはめると、何か偉大なものを生み出す人は、どこかで多くのものを犠牲にする必要があるのかもしれません。
この交響曲の第7番は、傑作の森と言われる実り豊かな中期の時期をくぐりぬけ、深刻なスランプに陥ったベートーベンが、その壁を突き破って、後期の重要な作品を生み出していく入り口にたたずむ作品です。
ここでは、単純きわまるリズム動機をもとに、かくも偉大なシンフォニーを構築するという離れ業を演じています。(この課題に対するもう一つの回答が第8交響曲です。)
特にこの第2楽章はその特徴のあるリズムの推進力によって、一つの楽章が生成発展してさまをまざまざと見せつけてくれます。
この楽章を「舞踏の祝祭」と呼んだのはワーグナーですが、やはり大したものです。
そしてベートーベンはこれ以後、凡人には伺うこともできないような「深くて」「高い」後期の世界へと分け入っていくことになります。
ウィーンへの意趣返し
クリップスのベートーベンはこの時代の巨匠たちのような強烈な個性は全くありません。始めから終わりまで、至って自然体で、楽譜をそのまま音にしただけのような演奏に聞こえます。しかし、何も考えずに楽譜を音にしただけではこのような自然体で音楽は実現できません。ここには、音楽をあるがままの自然体で構築しようという強い意志が貫徹しています。
クリップスはウィーン生まれの指揮者であり、ワインガルトナーの弟子と言うことになれば、これはもうドイツ・オーストリア系の正当派指揮者というイメージが浮かび上がります。
しかし、ヨーロッパでの評価はあまり高くありません。
特に、ルーペルト・シェトレの「舞台裏の神々 指揮者と楽員の楽屋話」に紹介されているエピソードなどを見る限りでは、随分とオケ(ウィーンフィル)のメンバーからいじめられたようです。特に、絶対音感がないというコンプレックスを標的にした嫌がらせは、読んでいてあまり気持ちの良いものではありません。
考えてみれば、これは不思議なことです。
何故ならば、ナチスによって迫害された経歴を持ちながら、そのナチスとの関係で苦境に立たされたウィーンの歌劇場に救いの手をさしのべたのがクリップスだったからです。
ところが、困った時に差し伸べてくれた手は有り難く握りしめても、一息つければそんな手にすがった己の過去を「恥」と考えて、今度はそう言う「恥」を覆い隠すために悪し様に扱って追い出してしまったのです。
もちろん、考えようによってはそれが「都市」というものの本性であり、まさにそのような振る舞いこそがウィーンという街なのでしょう。
しかし、最近のネット事情を見てみると、日本の、それもどちらかといえば専門家筋のあたりからクリップス再評価の動きがあるようです。特に、61年の1月に集中的にスタジオ録音されたベートーベンの交響曲全集の評価が意外なほど高いのです。
なおこの録音はデッカやEMIのような老舗レーベルではなくEVERESTという新興レーベルによって企画されました。
EVERESTは1950年代後半に35ミリ磁気テープを用いた録音で驚異的な音の良さを実現したことで知られているのですが、こういう手堅い指揮者を登用することで、演奏の方にも十分な気配りをしていたあたりは偉いものです。
クリップスのベートーベンはこの時代の巨匠たちのような、聞けばすぐに誰の演奏かが分かるような強烈な個性は全くありません。
始めから終わりまで、至って自然体で、楽譜をそのまま音にしただけのような演奏に聞こえます。しかし、これは注意が必要なことなのですが、何も考えずに楽譜を音にしただけの演奏だと、このような自然体で音楽が気持ちよく流れていくことはありません。
音楽をあるがままの自然体で流そうと思えば、そうなるような意志が貫徹していなければいけませんし、そのような意志が希薄になるととたんに音楽は不自然なものになってしまうのです。
そう言う意味では、この演奏をウィーン風の典雅で滋味あふれるベートーベンだと書いている人もいるのですが、私にはどちらかというアメリカ的な、それもセルのような方向性が感じ取れるのです。
ただし、ここにはセル&クリーブランド管のような「凄み」はありませんから、聞く方にしてみればもう少し気楽構えて聞いていられます。
深読みかもしれませんが、なんだかこの録音は、クリップスなりのウィーンへの意趣返しのような気がします。
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