マーラー:交響曲第9番 ニ長調
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1961年1月16日録音
Mahler:交響曲第9番 ニ長調 「第1楽章」
Mahler:交響曲第9番 ニ長調 「第2楽章」
Mahler:交響曲第9番 ニ長調 「第3楽章」
Mahler:交響曲第9番 ニ長調 「第4楽章」
9番の呪い
「9番の呪い」という言葉があるのかどうかは知りませんが、この数字に異常なまでのこだわりを持ったのがマーラーでした。
彼は偉大な先人たちが交響曲を9番まで作曲して亡くなっていることに非常なおそれを抱いていました。ベートーベン、ブルックナー、ドヴォルザーク、そして数え方によって番号は変わりますが、シューベルトも最後の交響曲は第9番と長く称されてきました。(マーラーの時代に「グレイト」が9番と呼ばれていたかどうかはユング君には不明ですが)
そんなわけで、彼は8番を完成させたあと、次の作品には番号をつけずに「大地の歌」として9番目の交響曲を作曲しました。そして、この「大地の歌」を完成させたあと、9番の作曲にとりかかります。
彼は心のなかでは、今作曲しているのは9番という番号はついているが、実は本当の9番は前作は「大地の歌」であり、これは「9番」と番号はついていても、本当は「10番」なんだと自分に言い聞かせながら作曲活動を続けました。
そして、無事に9番を完成させたあと、この「9番の呪い」から完全に逃れるために引き続き「10番」の作曲活動に取りかかります。
しかし、あれほどまでに9番という番号にこだわり続けたにもかかわらず、持病の心臓病が急に悪化してこの世を去ってしまいます。
結局は、マーラーもまた「9番の呪い」を彩る重要メンバーとして、その名を刻むことになったのはこの上もなく皮肉な話です。
しかし、長く伝えられてきたこの「物語り」にユング君はかねてから疑問を持っていました。
理由は簡単です。
死の観念にとりつかれ、悶々としている人間がかくも活発な創造活動を展開できるでしょうか?
ユング君のような凡人にとってはとても創造もできない精神力です。
この第9番の交響曲は、このような逸話もあってか、ながく「死の影」を落とした作品だと考えられ、そのような解釈に基づく演奏が一般的でした。
しかし、「死の影におびえるマーラー」というのが常識の嘘であり、彼の死も、活発に創造活動に取り組んでいる最中での全く予期しない突然のものだったとすれば、この曲の解釈もずいぶんと変わってきます。
果たして、最後の数十小節をかくもピアニシモで演奏をしていいものでしょうか。疑問に感じながらも、常識にしたがったMIDIを作成してしまう、小市民のユング君であります。
「従心」の音楽
引き続き、一点集中型の視聴スタイルが続いていて、今はワルター最晩年のコロンビア響との録音に集中しています。
この一連の録音は、ブラームスの4番やベートーベンの田園、マーラーの巨人のように「名演」の誉れの高いものも存在しますが、一般的にはあまり評判がよろしくありません。曰く、オケの編成が小さくて響きが薄い、曰く、功成り名を遂げた巨匠の手すさびの芸、曰く、ワルター本来の持ち味が発揮されていない、等々です。
しかし、今回、こういう形で集中的に視聴してみると、そのような批判にはそれなりの根拠があることは認めながらも、今まで気づかなかったいくつかの側面にも気づかされました。今回は、そう言ういくつかの「発見(と言うほど大層なもんではありませんが)」について書いてみたいと思います。
まず第一に感じたのは、驚くほど録音のクオリティが高いという事です。
このワルターの最晩年の録音は、私がクラシック音楽などと言うものを聞き始めた若い頃に、一番安い1300円で売られていたシリーズでした。30年ほど前は、レコードは新譜で2800円、再発で2000円、もう一声安いもので1800円というのが通り相場でした。
そんな時代に、このワルターやセルの録音が1300円で発売されていて(それ以外ではEMIのエンジェルシリーズというのが1300円でした)、金のない若者にとっては有り難い廉価盤でした。ですから、今も探せば、ワルター&コロンビア響の録音は全てアナログレコードで手元にあるはずです。
しかし、当時は、それらのアナログレコードを聴いて録音がいいと思ったことは全くありませんでした。
例えば、今回アップしたマーラーの9番などは、音の塊がワンワン鳴っているような感じで、まさかこんなにも一つ一つの楽器の響きがクリアにとらえられていたなどとは想像もできませんでした。
おそらく、1300円という廉価盤ゆえの盤質の悪さと再生装置のチープさが相乗効果を発揮したのが原因でしょう。
今回、この一連の録音を聞いてみて、そのどれもが驚くほどに透明度が高く、内部の見通しが極めて良いことに驚かされました。もちろん、テープヒスなどが気になる部分はありますが、その見通しの良さは最新の録音と比べてもほとんど遜色を感じないレベルに達しています。
二つ目は、世間で言われるほどにコロンビア響は悪くないと言うことです。
響きの薄さやアンサンブルの雑さが批判されるのですが、なかなかどうして、立派なオケです。
おそらく、ワルターはオケをしっかり統率しようという気はなかったと思います。指揮もそれほど明瞭なものではなかったでしょう。
しかし、そう言うワルターをしっかりとサポートして、その心の歌が形あるものに仕上がっているのはこのオーケストラの献身によるものです。
確かに、響きの質はワルターの音楽とはいささかミスマッチな面はありますが、決してアンサンブルが雑だと非難されるようなレベルではないと思います。また、ブルックナーやマーラーなどを聞くと、なかなかにパワフルで豊かな響きを出していて、巷間言われるほどに響きの薄さは気になりません。
そして最後に気づいたのは、この一連の録音は全て「従心」の音楽になっていると言うことです。
「従心」とはいうまでもなく、「心の欲する所に従ひて矩を踰えず」です。
考えてみれば、ワルターという人は時代に翻弄されて随分と苦労をした人です。とりわけ、アメリカに亡命してからはロマン的な音楽のスタイルから即物的なスタイルへと、自らの音楽的なスタイルを変えてまでも、巨匠としての地位を維持した人でした。
そんな苦労人が、一度は引退を決意したあとに引っ張り出されて録音したのがこのシリーズです。
おそらくは、もう無理なことはしたくなかったのでしょう。
ここでのワルターは、己の欲するままに音楽を楽しんでいます。そのように私には聞こえました。
商業的な成功とか、芸術的な評価という「野心」とは無縁に、ただただ己の欲するままに指揮棒を振っています。
ただ、さすがにワルターは凄い!と思うのは、そのようなわがままに徹しながら、決して矩は踰えていないことです。
その意味で、「心の欲する所に従ひて矩を踰えず」という「従心」の音楽になっていると思った次第です。(なお、「従心の音楽」というのは私の全く勝手な造語ですのでご注意あれ)
と言うことで、結果として、ワルターは自らの音楽的遺言を残すことができました。
もちろん、ワルターには自らの遺言を残すなどと言う大それた思いはなかったでしょうが、結果として「従心」の音楽となったが故に全ての録音が彼の音楽的遺言となりました。
さらに言えば、それらの遺言は、優れたオケと優れた録音によって極めて良質な形で残すことができました。
時代に翻弄された苦労人に、最後の最後に音楽の神様が微笑んだと言うことなのでしょう。
よせられたコメント
2012-03-20:Dr.335
- コロンビア響は立派なオケ...大賛成です.昔から評論家の先生方からこきおろされてきた不幸なオケですが,私も下手なオケとは思いません.編成が少なく音が薄いのは下手とは違うわけで,音が薄い=二流という昔流の評価が,なぜこのオケに関してだけまかり通っているのか不思議でなりません.60人くらいの中編成オケでブルックナーやマーラーをやる,というのはむしろ新鮮で,その観点からあらためて聴き直しているくらいです.昔も今も,なぜかワルターは悪くなく,演奏上の問題は全てオケのせい,という前提で語られている気がします.コロンビア響は音色は派手なものの,誠実で正確な演奏をしています.問題があるとすれば,ワルターにも責任があるはずです.昔の大フィルが荒っぽいと言われたのが,多分に朝比奈の指揮に原因があったように,です(私は大の朝比奈ファンです,念のため).あれだけの数の録音を残しているのですから,ワルターはよほどこのオケが気に入っていたに違いありません.
2012-05-04:radames
- あたたかい音で心が落ち着きます。 やすらぎはこの時のワルターの心境なのでしょうか。
「音楽を奏でることへの喜び」が日本人には希薄なのでは、といつも考えている私ですが、このシリーズを聞くとさらにその思いが強く感じます。
私のマーラーの9番としては、結論が出ていない未解決の演奏ではありますが。
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