ショパン:エチュード Op.10
(P)アルフレッド・コルトー:1933年7月4日~5日録音
Chopin:Etude, Op.10 [No.1 in C major "Waterfall"]
Chopin:Etude, Op.10 [No.2 in A minor "Chromatique"]
Chopin:Etude, Op.10 [No.3 in E major "Tristesse"]
Chopin:Etude, Op.10 [No.4 in C-sharp minor "Torrent"]
Chopin:Etude, Op.10 [No.5 in G-flat major "Black Keys"]
Chopin:Etude, Op.10 [No.6 in E-flat minor "Lament"]
Chopin:Etude, Op.10 [No.7 in C major "Toccata"]
Chopin:Etude, Op.10 [No.8 in F major "Sunshine"]
Chopin:Etude, Op.10 [No.9 in F minor]
Chopin:Etude, Op.10 [No.10 in A-flat major]
Chopin:Etude, Op.10 [No.11 in E-flat major "Arpeggio"]
Chopin:Etude, Op.10 [No.12 in C minor "Revolutionary"]
指の運動から芸術作品へと昇華
ショパンの練習曲はワルシャワ時代からパリ時代の初めにかけて作曲されたものと考えられています。その中から12曲を選び出して作品10として出版し、それと並行して第2集のための作曲もすすめられ、そこに過去に書いた作品などもまとめて作品25とされた者のようです。
しかし、この練習曲は当時の練習曲が織っていたイメージとは全く異なり、それ故に多くの人が困惑したようです。ある人などは、外科医をかかえて弾かなければ指を痛めてしまうとまで書いていたようです。
確かに、練習曲はピアノの演奏技術を磨くために作られたものなのですから、ショパンの練習曲といえどもピアノの演奏技術に関わる問題を解決するために書かれていることは疑いがありません。しかし、ショパンの練習曲はそれだけにとどまらず、演奏者に対してメロディやリズム、ハーモニーなどが醸し出す寿著表現と言うことも大きな課題として提示しているのです。それ故に、彼の練習曲はたんなる指の運動だけでなく、素晴らしい芸術的表現を身につけることを練習者に求めるのです。
ロマン派の時代にはいると多くの作曲家はピアノ演奏における新しい表現を切り開いていくのですが、ショパンのピアノ演奏の特徴はレガート奏法を主体とした極めてデリケートな表現を求めたことです。そして、そう言う演奏法をこの練習曲にふんだんに取り入れているのです。
それこそが、ショパンの練習曲が当時の人にはなかなか理解されなかった点なのですが、それこそがショパンの練習曲をたんなる指の運動から芸術作品へと昇華させているのです。
- 第1番:ハ長調 作品10-1(アルペッジョの練習曲)
- 第2番:イ短調 作品10-2(半音階の練習曲)
- 第3番:ホ長調 作品10-3「別れの曲」(表題はショパン自身のものではない!)
- 第4番:嬰ハ短調 作品10-4[68](一番難しい曲!)
- 第5番:変ト長調 作品10-5「黒鍵」(あまり評判が良くない!?ビューロー曰く、「婦人サロン用練習曲」)
- 第6番:変ホ短調 作品10-6(外声と内声を弾き分ける指の独立を練習)
- 第7番:ハ長調 作品10-7(トッカータ風練習曲)
- 第8番:ヘ長調 作品10-8(右手の練習?)
- 第9番:ヘ短調 作品10-9
- 第10番:変イ長調 作品10-10(ビュロー曰く、「天分と空想に満ちた無窮動的性格を持った練習曲」だとか・・・)
- 第11番:変ホ長調 作品10-11(オクターブをしっかり弾いて手を広げる練習)
- 第12番: ハ短調 作品10-12「革命」(技術的には左手のための練習曲)
ナチス協力者の悲しみ
ナチスは多くの芸術家たちに過酷な選択を押しつけました。協力するか、もしくは反抗、非協力の姿勢を示して亡命するか?
コルトーは前者の道を選択しました。
そのためにショパン弾きとして一世を風靡しながら戦後は一切の演奏活動を禁止され、寂しい晩年を送ることになります。演奏活動そのものは1946年には許されるようになるのですが、フランス人の国民感情が彼の演奏を許さなかったようです。
それでも、そういう感情が次第におさまりを見せてきたなかで再び戦後の演奏活動を再開するのですが、すでに指はまわらず、楽譜の度忘れもしばしばで、全盛期の彼を知る人々を失望させるものでした。
しかし、コルトーのそのような衰えは、ビシー政権のもとで録音された1942年の演奏からも感じ取ることができます。
1933・34年のすばらしい録音と比べるとその違いは明らかです。確かに録音の悪さは差し引いてあげないとかわいそうですが、すでにこの時点で指はまわらなくなっていることは事実です。
確かに音楽はテクニックだけで成り立つものではありませんが、音楽を成り立たせるに必要なだけのテクニックがすでに失われはじめています。
それでもコルトーは1958年まで演奏活動を続けて、1962年にこの世を去ります。1955年には前奏曲集の録音を残していますが、その頃は細かいパッセージを弾き分ける能力は失っていたので、作品によっては音の固まりとしか聞こえないような代物です。
でも、そういう衰えを感じ取って指揮活動に逃げてしまう人が多い昨今の状況を見ていると、最後までピアニストであり続けようとしたコルトーの姿勢には共感できる部分があります。(若い頃のコルトーは指揮者としても活躍していました。)
歴史に「IF」はありませんが、ナチスとの関わりがなければ彼の晩年はまた異なったものになっていたでしょう。もちろんこの「IF」はコルトーだけのものではありません。
フルトヴェングラー、メンゲルベルグ、R.シュトラウスなどなど、どの人生に思いをいたしても、ナチスがヨーロッパの知識人に与えた甚大な影響を感じざるを得ません。
よせられたコメント
2009-11-18:カンソウ人
- コルトーの演奏は未完成な部分をたくさん含んでいる。
技術的に鍵盤に安定して指先を当てることに対する失敗にみえる部分は誰にでも簡単に分かる部分だ。
例えば、ポリーニの練習曲ではショパンの譜面に書いてあるものはすべて(音符も表情記号も)技術を用いて音として具現化されている。あいまいな部分は無く、違いを付けて解釈されている。その意味ではこれ以上の演奏は無い。ポリーニの練習曲の録音以上のことをすれば、ショパンの演奏から逸脱することは間違いない。
例えば、アシュケナージの練習曲では技術的、解釈の面では立派なものだが、ポリーニとの勝負は敢えて避けて、ポリーニがすべての面を明らかにしようとしたことでかえって抜け落ちたものに光を当てようとしている。実際の人物としてひ弱な男性ショパンのイメージ(サンドとの倒錯的な人間関係などの)を大切にしている。
この2人の録音は素晴らしいものだが、ショパンの練習曲はそれだけの作品だろうか。
まだまだ抜け落ちているものがある。コルトーのショパンには、18歳のショパンがポーランド在住の時から、20歳近くになりパリに出てくる。異国で眼にする新鮮なことの数々から、人間的にも成長し作品も成熟してくる。その、音楽学的な理解では全く追いつかない部分の数々が音の中に表現されている。
ショパンからショパンの弟子へ伝えられた伝言ゲームの中のことを含んでいる。しかし、だから良いというような単純なものではないと思う。
例えば「恋」を表現するのに、単に甘い音色で弾く(それすらしないのは論外だが)のではなく詩の思いが充分に表現されている。その、コルトーの秘密をピアニストはひも解いて聴衆に伝えなければならないのだと思う。それは伝統というものだと思う。このレベルで録音が残っているのだ。
私は、ポリーニの方を評価している。間違いなくポリーニは先人コルトーを尊敬しているはずである。コルトーの単純な真似ではなく何かを盗むことだと思う。新古典主義の楽譜に忠実のレベルを演奏で超える為には、表現主義的傾向の強い演奏家の古い録音から何かを盗むことだ。
指揮者ならフルトベングラー、クナッパーツブッシュ、メンゲルベルク。ピアニストならば、コルトー、シュナーベル、ソフロニツキー。
ポリーニの練習曲では、名曲の革命と木枯らしに気が付くことがあった。楽譜通りに引いていない部分がある。革命のテーマの付点リズムが複付点リズムに若干近い。木枯らしもそうだ。はっきり言うと、コルトーの弾き癖が残っている部分であると断定する。
コルトーの演奏の中にしか無い物に、注目をすることが必要というかこれからのショパン演奏の課題だと思う。
敢えて言うと、技術的な足りなさにみえる部分は必然なのだ。フルトベングラーの演奏で合奏が合わない部分は、あっていないのではなく音楽的必然なのである。根は同じ所にある。そういう音楽なのである。新古典主義的価値観からの、批判は当たっていない。
しかし、今彼らと同じことはできない。じゃあどうするか。
演奏スタイルを作ること、様式を作ることは非常に大変なのだと思う。
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