ベートーベン:弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 Op.130
ブッシュ弦楽四重奏団 1941年6月13日&16日録音
Beethoven:String Quartet No.13 in B Flat major Op.130 [1.Adagio ma non troppo]
Beethoven:String Quartet No.13 in B Flat major Op.130 [2.Presto]
Beethoven:String Quartet No.13 in B Flat major Op.130 [3.Andante con moto ma non troppo]
Beethoven:String Quartet No.13 in B Flat major Op.130 [4.Alla danza tedesca. Allegro assai]
Beethoven:String Quartet No.13 in B Flat major Op.130 [5.Cavatina. Adagio molto espressivo]
Beethoven:String Quartet No.13 in B Flat major Op.130 [6.Finale. Allegro]
音楽は流れ来たり流れ去る
ベートーベンの創作時期を前期・中期・後期と分けて考えるのは一般的です。ハイドンやモーツァルトが築き上げた「高み」からスタートして、その「高み」の継承者として創作活動をスタートさせた「前期」、そして、その「高み」を上り詰めた極点において真にベートーベンらしい己の音楽を語り始めた「中期」、やがて語り尽くすべき己を全て出力しきったかのような消耗感を克服し、古典派のスタイルの中では誰も想像もしなかったような深い瞑想と幻想性にあふれる世界に分け入った「後期」という区分です。
ベートーベンという人はあらゆるジャンルの音楽を書いた人ですが、交響曲とピアノソナタ、そして弦楽四重奏はその生涯を通じて書き続けました。とりわけ、弦楽四重奏というジャンルは第10番「ハープ」と第11番「セリオーソ」が中期から後期への過渡的な性格を持っていることをのぞけば、その他の作品は上で述べたそれぞれの創作時期に截然と分類することができます。さらに、弦楽四重奏というのは最も「聞き手」を意識しないですむという性格を持っていますから、それぞれの創作時期を特徴づける性格が明確に刻印されています。
そういう意味では、彼がその生涯において書き残した16曲の弦楽四重奏曲を聞き通すと言うことは、ベートーベンという稀代の天才の一番奥深いところにある心の内面をたどることに他なりません。
後期の孤高の作品
己の中にたぎる「何者」かを吐き出し尽くしたベートーベンは、その後深刻なスランプに陥ります。
そこへ最後の失恋や弟の死と残された子どもの世話という私生活上のトラブル、さらには、ナポレオン失脚後の反動化という社会情勢なども相まってめぼしい作品をほとんど生み出せない年月が続きます。
その様な中で、構築するベートーベンではなくて心の中の叙情を素直に歌い上げようとするロマン的なベートーベンが顔を出すようになります。やがて、その傾向はフーガ形式を積極的に導入して、深い瞑想に裏打ちされたファンタスティックな作品が次々と生み出されていくようになり、ベートーベンの最晩年を彩ることになります。
これらの作品群を世間では後期の作品からも抽出して「孤高期の作品」と呼ぶことがあります。
「ハンマー・クラヴィーア」以降、このような方向性に活路を見いだしたベートーベンは、偉大な3つのピアノ・ソナタを完成させ、さらには「ミサ・ソレムニス」「交響曲第9番」「ディアベリ変奏曲」などを完成させた後は、彼の創作力の全てを弦楽四重奏曲の分野に注ぎ込むことになります。
そうして完成された最晩年の弦楽四重奏曲は人類の至宝といっていいほどの輝きをはなっています。そこでは、人間の内面に宿る最も深い感情が最も美しく純粋な形で歌い上げられています。
弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 OP.127
「ミサ・ソレムニス」や「第9交響曲」が作曲される中で生み出された作品です。形式は古典的な通常の4楽章構成で何の変哲もないものですが、そこで歌われる音楽からは「構築するベートーベン」は全く姿を消しています。
変わって登場するのは幻想性です。その事は冒頭で響く7つの音で構成される柔らかな和音の響きを聞けば誰もが納得できます。これを「ガツン」と弾くようなカルテットはアホウです。
なお、この作品と作品番号130と132の3作はロシアの貴族だったガリツィン侯爵の依頼で書かれたために「ガリツィン四重奏曲」と呼ばれることもあります。
弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 OP.130
番号では13番ですが、「ガリツィン四重奏曲」の中では一番最後に作曲されたものです。ベートーベンはこの連作の四重奏曲において最初は4楽章、次の15番では5楽章、そして最後のこの13番では6楽章というように一つずつ楽章を増やしています。特にこの作品では最終楽章に長大なフーガを配置していましたので、その作品規模は非常に大きなものとなっていました。しかし、いくら何でもこれでは楽譜は売れないだろう!という進言もあり、最終的にはこのフーガは別作品として出版され、それに変わるものとして明るくて親しみやすいアレグロ楽章が差し替えられました。ただし、最近ではベートーベンの当初の意図を尊重すると言うことで最終楽章にフーガを持ってくる事も増えてきています。
なお、この作品の一番の聞き所は言うまでもないことですが、「カヴァティーナ」と題された第5楽章の嘆きの歌です。ベートーベンが書いた最も美しい音楽の一つです。ベートーベンはこの音楽を最終楽章で受け止めるにはあの「大フーガ」しかないと考えたほどの畢生の傑作です。
「大フーガ」 変ロ長調 OP.133
741小節からなる常識外れの巨大なフーガであり、演奏するのも困難、聞き通すのも困難(^^;な音楽です。
弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 OP.131
孤高期の作品にあって形式はますます自由度を増していきますが、ここでは切れ目なしの7楽章構成というとんでもないとところにまで行き着きます。冒頭の第1ヴァイオリンが主題を歌い、それをセカンドが5度低く応える部分を聞いただけでこの世を遠く離れた瞑想の世界へと誘ってくれる音楽であり、その様な深い瞑想と幻想の中で音楽は流れきては流れ去っていきます。
ベートーベンの数ある弦楽四重奏曲の中でユング君が一番好きなのがこの作品です。
弦楽四重奏曲第15番 イ短調 OP.132
「ガリツィン四重奏曲」の中では2番目に作曲された作品です。この作品は途中で病気による中断というアクシデントがあったのですが、その事がこの作品の新しいプランとして盛り込まれ、第3楽章には「病癒えた者の神に対する聖なる感謝のうた」「新しき力を感じつつ」と書き込まれることになります。さらには、最終楽章には第9交響曲で使う予定だった主題が転用されていることもあって、晩年の弦楽四重奏曲の中では最も広く好まれてきた作品です。
弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 OP.135
第14番で極限にまで拡張した形式はこの最後の作品において再び古典的な4楽章構成に収束します。しかし、最終楽章に書き込まれている「ようやくついた決心(Der schwergefasste Entschluss)」「そうでなければならないか?(Muss es sein?)」「そうでなければならない!(Es muss sein!)」という言葉がこの作品に神秘的な色合いを与えています。
この言葉の解釈には家政婦との給金のことでのやりとりを書きとめたものという実にザッハリヒカイトな解釈から、己の人生を振り返っての深い感慨という説まで様々ですが、ベートーベン自身がこの事について何も書きとめていない以上は真相は永遠に藪の中です。
ただ、人生の最後を感じ取ったベートーベンによるエピローグとしての性格を持っているという解釈は納得のいくものです。
昨今のハイテクカルテットを聞きあきた耳にはかえって新鮮に聞こえるはず
ベートーベンの弦楽四重奏曲の演奏史を遡っていけば、このブッシュ弦楽四重奏団とブダペスト弦楽四重奏団による戦前の録音あたりで流れが分かれたような気がします。そして、そこから遡って源流を辿ればレナー弦楽四重奏団による1930年代の世界初の全曲録音に辿り着くのでしょうが、おそらくこの二つのカルテットはそのオリジンから引き継いで新しく踏み出した方向性が異なったのでしょう。
このレナー弦楽四重奏団による全集もいつかは紹介する必要はあるとは思っているのですが、それよりも先に紹介したいと思える録音がたくさん存在しますので、それはいつのことになるかは分かりません。
ただ、非常に雑駁な言い方になってしまうのですが、レナー弦楽四重奏団の演奏はこの上もなく上品で典雅な雰囲気はあるのですが、基本的にはベートーベンの音楽が持っている構造性への切り込みという点では物足りなさを感じます。その「構造性」のことを、世間では「精神性」という便利な言葉で表現するのですが、まあ言ってみればアダージョ楽章は素晴らしくても、全体的にはベートーベンらしいがっしりとした無骨さみたいなものは希薄なのです。
もちろん、復刻音源によって聞こえ方は随分違うという話も聞くのですが、ファースト・ヴァイオリンが主導した主情的な演奏であることには違いはないでしょう。
そして、そう言うオリジンからの流れを受けて、出来る限りその様な主情性を排して、その音楽が持っている構造を明瞭に描き出す方に足をすすめたのがブダペスト弦楽四重奏団だったような気がします。
ブダペスト弦楽四重奏団はブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって1917年に結成されたのですが、1938年には活動の本拠地をアメリカに移し、そしてメンバーもいつの間にか全員がロシア人になってしまっていました。
つまりは、彼らは「ブダペスト弦楽四重奏団」というローカルなネーミングは最後まで維持しながらも、その実態は極めて無国籍な、コスモポリタンな存在になっていたのです。そう言う団体が、アメリをに本拠に活動を行えば、当時アメリカを席巻しつつあったザッハリヒカイトな方向に向かうのは必然と言えば必然でした。
それに対して、ブッシュ弦楽四重奏団はアドルフ・ブッシュが中心となって1919年に設立されたのですが、親友であったルドルフ・ゼルキンがナチスによって1935年にドイツから追放されると、彼もまたゼルキンを追ってスイスに亡命し、さらには1939年には家族とブッシュ弦楽四重奏団のメンバー全体がアメリカに活動の本拠を移しました。ドイツ人でありながらナチスに対する積極的な抗議としてドイツを去ったのは、アドルフ・ブッシュ、エーリッヒ・クライバー、トーマス・マンなどそれほど多くなかったことを思えば、彼の決断と行動は賞賛に値するものでした。
そして、彼はナチスに対して強い怒りをもちながらもドイツ芸術の継承者であるという自負を最後まで失うことはありませんでした。
ですから、彼は、そして彼が率いるブッシュ弦楽四重奏団はあくまでも「ドイツ」という根っこを持ち続け、決して無国籍な存在にはなりませんでした。彼らは、レナー弦楽四重奏団が持っていた強い主情性を捨てることなく、その上にベートーベンが持っている構造性というか、無骨さみたいなものを追求しました。
彼らは、ベートーベンの弦楽四重奏曲と向き合うときは、そこには気迫を込めて、不器用ではあっても作品に内在するベートーベンの真実をえぐり出そうとする意気込みが感じ取れますし、武骨であり無愛想でありながら、その底から何とも言えないロマンティックな音楽が聞こえてきます。
その事こそが、ブダペスト弦楽四重奏団が踏み出した一歩とは異なるスタイルだったのです。
しかしながら、聞いていて私が一番心動かされるのは、その無骨さよりも「ロマンティシズム」があふれ出す部分である事は正直に告白しなければいけません。
もっと分かりやすく言ってしまえば彼らの「泣き節」にこそ一番魅力を感じてしまうのです。
たとえば、第1番の弦楽四重奏曲からして、その第2楽章に溢れている「若きベートーベンの悲劇性への憧れ」みたいなものが見事に表現されています。
しかし、重要なことは、音楽とは「泣き節」だけでは成立しないので、その前の「第1楽章」において充分なお膳立てがされていることです。ある人によれば、この第1楽章は「ロミオとジュリエット」の墓場のシーンからイメージされたと言います。
つまりは、第1楽章がその様なシーンとして描かれているからこそ、この第2楽章の「泣き節」が生きてくるのです。
そして、もう一つ重要なことは、このブッシュ弦楽四重奏団は何処までいってもファースト・ヴァイオリンのアドルフ・ブッシュが主導していると言うことです。これは、4人の奏者が対等に会話を交わすように演奏するブダペスト弦楽四重奏団とは根本的に異なるところです。つまりは、今の耳からすれば、そのスタイルは極めて古いものだと言わざるを得ないのです。しかし、そのスタイルこそが魅力的な「泣き節」を生み出していることも事実なのです。
しかしながら、このあとの時代をすでに知っている私たちにとって、この二つの分かれ道から大きな流れへとつながっていったのはブダペスト弦楽四重奏団が歩み出した方だったことを知っています。
彼らは50年代初頭に完成させたモノラル録音において、この道の辿り着くべき頂点の姿を誰の耳にも分かるように提示して見せました。そして、それ以降はジュリアードやアルバン・ベルクなどのカルテットはその道の上を歩き続けることになり、逆にブッシュ弦楽四重奏団が選んだ道を辿るものは絶えてしまったのです。
つまりは、ブッシュ弦楽四重奏団の演スタイルは、今となっては二度と聞くことのできない演奏スタイルになってしまったのです。
しかし、ブダペスト弦楽四重奏団が踏み出した道は大きな矛盾も生み出しました。
それは、外面的なアンサンブルを整えることのみに力が傾注され、その結果としてその音楽からはベートーベンの姿が全く見えてこないという困ったことがおこるようになったことです。それは例えてみれば、書かれている内容を全く理解していないにも関わらず、完璧な発音で朗読されるような虚しさに通じるような演奏です。
とは言え、こんな古い時代の録音を、さらに言えばそんな古い録音で時代に取り残されたような演奏スタイルを聞く気は起きないという人もいるでしょう。
そう言う人は、取りあえずは第1番の「第2楽章」、第12番の「第2楽章」、第13番の「第5楽章」、第15番の「第3楽章」、さらには最後の第16番の「第3楽章」あたりを聞いてみてください。
もちろん、こういう聴き方は邪道であることは分かっているのですが、それでもそのあたりだけでも聞いてもらえば、「オー、意外といいじゃない!」となり、さらには「30年代の録音と言っても思った以上に音がいいね」につながり、さらに突っ込んでみれば「ブッシュ弦楽四重奏団って凄く木の香りが漂うような素敵な音色を醸し出すんだね」などと言うことに気づいていただけるかもしれません。
もしも、そうであるならば、その時こそあらためて作品全体を聞き直してみてください。
老練な聞き手の方にとって入らぬ老婆心かもしれませんが、こういう演奏は昨今のハイテクカルテットを聞きあきた耳にはかえって新鮮に聞こえるはずです。
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