レスピーギ:ローマの祭
オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1961年録音
Respighi:Feste Romane [1.Circuses]
Respighi:Feste Romane [2.Jubilee]
Respighi:Feste Romane [3.October Festival]
Respighi:Feste Romane [4.The Epiphany]
オーケストレーションの達人
レスピーギという人、オーケストレーションの達人であることは間違いはありません。
聞こえるか、聞こえないかの微妙で繊細な響きから、おそらくは管弦楽曲史上最大の「ぶっちゃきサウンド」までを含んでいます。言ってみれば、マーラーの凶暴さとドビュッシーの繊細さが一つにまとまって、そして妙に高度なレベルで完成されています。
しかし、この作品、創作された年代を眺めてみると、色々な思いがわき上がってきます。
最初に作られたのが、「ローマの噴水」で1916年、次が「ローマの松」で1924年、そして「ローマの祭り」が1928年となっています。
要は後になるほど、「ぶっちゃき度」がアップしていき、最後の「ローマの祭り」の「主顕祭」ではピークに達します。そこには、最初に作られた「ローマの噴水」の繊細さはどこにもありません。
そのあまりの下品さに、これだけは録音しなかったカラヤンですが、分かるような気がします。
そう言えば、どこかの外来オケの指揮者がこんな事を言っていましたね。
「どんなにチンタラした演奏でも、最後にドカーンとぶっ放せば、日本の聴衆はそれだけでブラボーと叫んでくれる」
しかし、これは日本だけの現象ではないようです。
どうも最後がピアニッシモで終わる曲はプログラムにはかかりにくいようです。(例えば、ブラームスの3番。3楽章はあんなに有名なのに、他の3曲と比べると取り上げられる機会が大変少ないです。これは明らかに終楽章に責任があります)
この3部作の並びを見ていると、受けるためにはこうするしかないのよ!と言いたげなレスピーギの姿が想像されてしまいます。
それから、最後に余談ですが、レスピーギはローマ帝国の熱烈な賛美者だったそうです。この作品の変な魅力は、そういう超アナクロの時代劇が、最新のSFXを駆使して繰り広げられるような不思議なギャップにあることも事実です。
ちなみに彼は自分の作品にこんな解説をつけています。
チルチェンセス -Circenses
円形大劇場のうえに威嚇するように空がかかっている。しかし、今日は民衆の休日「アヴェ・ネローネ」だ。鉄の門が開かれ、聖歌の歌唱と野獣の咆哮が大気にただよう。群集は激昂している。乱れずに、殉教者たちの歌がひろがり、制し、そして騒ぎの中に消えてゆく。
五十年祭 -Il giubileo
巡礼者たちが祈りながら街道沿いにゆっくりやってくる。ついに、モンテ・マリオの頂上から、渇望する眼と切望する魂にとって永遠の都「ローマ、ローマ」が現れる。歓喜の讃歌が突然起り、教会は、それに応えて鐘をなりひびかせる
十月祭 -L'Ottobrata
ローマの諸城(カステッリ)での10月祭は、葡萄でおおわれ、狩のひびき、鐘の音、愛の歌にあふれている。そのうちに、柔らかい夕暮れの中にロマンティックなセレナードが起ってくる。
主顕祭 -La Befana
ナヴォナ広場での主顕節の前夜。特徴あるトランペットのリズムが狂乱の喧騒を支配している。増加してくる騒音の上に、次から次へと田園風の動機、サルタレロのカデンツァ、小屋の手廻しオルガンの節、物売りの叫び声、酩酊した人たちの耳障りな歌声や「われわれはローマ人だ。通り行こう」と親しみのある感情で表現している活気のある歌などが流れている。
響きに対する狂信と献身
後の時代の人が何を語ろうと、50年代から60年代にかけてのCBSレーベルの看板指揮者はオーマンディとバーンスタインでした。我が敬愛するジョージ・セルは、その卓越した才能を玄人筋では認められていたものの、彼が録音活動をしたのはCBS傘下のEPICレーベルでした。当時のアメリカにおけるオーマンディ&フィラデルフィアのサウンドは絶大な人気を誇っていたのです。
そして、その人気の背景には、小難しい芸術論議などは吹き飛ばしてしまうほどの名人芸の披露が、時には深い精神性に裏打ちされた(と、言われていた)ヨーロッパの芸術を凌ぐことがあるという事実をハイフェッツやホロヴィッツが証明したことも大きな力となっていたはずです。
そして、それと同じ事を、アメリカの人々はオーケストラの分野にも求めたのでしょう。
当然、そこで求められるのは、しんねりむっつりとした響きではなくて、この上もなく美しくて豊満な響きであったはずです。音楽は何よりも官能的であり、聞くものの心をとらえて放さない感覚的な喜びが求められたのです。
そう考えてみれば、歩んだ道は全く違うのですが、求めたものはセルもまた同じだったのかもしれないという気がします。
オーマンディはオーケストラの響きに人生をかけたのだとすれば、セルは完璧性に己の命をかけました。そして、両者に共通するのは「音のサーカス」だと言えば、セルファンに叱られるでしょうか。
しかし、セルは常にコンサートに聞きにくれている聴衆のことを気にかけていました。なれ合いの妥協で完璧性を犠牲にすることはお客さんに申し訳ないみたいなことをどこかで語っていました。
大阪の人間にとっては、このエピソードは藤山寛美の事を思い出させてくれます。
演劇の芸術性などというものとは全く無縁な大衆演劇の世界で活躍した寛美もまた、完璧性への狂信者であったことはよく知られてます。彼の稽古の厳しさは有名で、彼の思い通りに演じられない役者に対して「俺はなんぼでも我慢するけど、お客さんは我慢してくれヘンのや」というのが口癖でした。
おそらく、セルもまた「独裁者」「軍隊的」「楽団員を豚扱いする」と陰口をたたかれながらも、心の中では「俺はなんぼでも我慢するけど、お客さんは我慢してくれヘンのや」と叫んでいたことでしょう。そして、オーマンディに関してはその様なエピソードは伝わっていませんが、それでも何らかの狂信がなければこの豊かにして美しい響きを長きにわたって維持することは絶対に不可能だったはずです。
その事は、オーマンディ亡き後のフィラデルフィアの凋落を見れば明らかです。
そして、その様なオーマンディとフィラデルフィア管の音楽に対する献身が最もよく分かるのは、ベートーベンやブラームスのようなドイツ。オーストリア系の本流よりは、その傍流であったのは仕方のないことでした。
しかし、その事を持って彼らの音楽を低く評価するのは間違っているでしょう。評価というものは、何よりもその人が目指したものを持ってこそ判断されるべきものだからです。
レスピーギやサン=サーンスの音楽などを今は聞いているのですが、なるほど、こういう響きでここまで演じきってくれた演奏はそうそう聞けるものではないのです。
とは言え、彼の次の時代にアメリカに君臨したショルティ&シカゴにしても日本での評価は低いですね。
そこが日本のいいところでもあり、困ったところでもあるのかもしれませんが・・・。
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