ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1959年3月9日~10日録音
Beethoven:Symphony No.7 in A major, Op.92 [1.Poco Sostenuto; Vivace]
Beethoven:Symphony No.7 in A major, Op.92 [2.Allegretto]
Beethoven:Symphony No.7 in A major, Op.92 [3.Presto; Assai Meno Presto; Presto]
Beethoven:Symphony No.7 in A major, Op.92 [4.Allegro Con Brio]
深くて、高い後期の世界への入り口
「不滅の恋人」は「アマデウス」と比べるとそれほど話題にもなりませんでしたし、映画の出来そのものもいささか落ちると言わなければなりません。しかし、いくつか印象的な場面もあります。(ユング君が特に気に入ったのは、クロイツェル・ソナタの効果的な使い方です。ユング君はこの曲が余りよく分からなかったのですが、この映画を見てすっかりお気に入りの曲になりました。これだけでも、映画を見た値打ちがあるというものです。)
それにしても、「アマデウス」でえがかれたモーツァルトもひどかったが、「不滅の恋人」でえがかれたベートーベンはそれに輪をかけたひどさでした。
第9で、「人類みな兄弟!!」と歌いあげた人間とは思えないほどに、「自分勝手」で「傲慢」、そしてどうしようもないほどの「エキセントリック」な人間としてえがかれていました。一部では、あまりにもひどすぎると言う声もあったようですが、ユング君は実像はもっとひどかったのではないかと思っています。
偉大な音楽家達というものは、その伝記を調べてみるとはっきり言って「人格破綻者」の集まりです。その人格破綻者の群の中でも、とびきりの破綻者がモーツァルトとベートーベンです。
最晩年のぼろ屑のような格好でお疾呼を垂れ流して地面にうずくまるベートーベンの姿は、そのような人格破綻者のなれの果てをえがいて見事なものでした。
不幸と幸せを足すとちょうど零になるのが人生だと言った人がいました。これを才能にあてはめると、何か偉大なものを生み出す人は、どこかで多くのものを犠牲にする必要があるのかもしれません。
この交響曲の第7番は、傑作の森と言われる実り豊かな中期の時期をくぐりぬけ、深刻なスランプに陥ったベートーベンが、その壁を突き破って、後期の重要な作品を生み出していく入り口にたたずむ作品です。
ここでは、単純きわまるリズム動機をもとに、かくも偉大なシンフォニーを構築するという離れ業を演じています。(この課題に対するもう一つの回答が第8交響曲です。)
特にこの第2楽章はその特徴のあるリズムの推進力によって、一つの楽章が生成発展してさまをまざまざと見せつけてくれます。
この楽章を「舞踏の祝祭」と呼んだのはワーグナーですが、やはり大したものです。
そしてベートーベンはこれ以後、凡人には伺うこともできないような「深くて」「高い」後期の世界へと分け入っていくことになります。
ウィーンフィルの手の中にあるように見せながら、それでも一番肝心なところは握って離さない
指揮者にとってベートーベンの交響曲の録音を任されるというのは一つのステイタスでしょう。それがメジャーレーベルからの依頼であれば尚更ですし、さらに全集としてまとめてもらえるならば、それこそ一流のあかしと言うことになります。
そう考えると、50年代、60年代そして70年代と3回の交響曲全集を完成させたカラヤンというのは、やはりただ者ではありません。そして、さらに凄いのは、その3回の全集にはそれぞれの個性がはっきりと刻印されて、それぞれに他にかえがたい個性と魅力を持っていることです。
極めて簡単に言えば、50年代にフィルハーモニア管と完成させた全集はまさに正当派ベートーベンであり、60年代のベルリンフィルとの全集は颯爽とした格好いいカラヤンの姿が刻み込まれています。個人的には、この二つの全集は素晴らしい演奏であったと思います。
そして、70年代に同じくベルリンフィルと完成させた全集はいわゆる「カラヤン美学」に貫かれた演奏でした。
おそらく、アンチ・カラヤンの人が一番嫌ったベートーベン像でしょうが、しかし、それでもそれは今までのものとは違う新しいベートーベン像を提示するという意味では「個性的」な録音であったことは否定できません。
なお、80年代の全集については沈黙を守りましょう。(^^;
そして、この59年にポツンとウィーンフィルと録音した7番の交響曲をそう言う流れの中においてみると面白いものが見えてくるような気がします。
それは、この時期に何故かDecca録音でウィーンフィルとまとまった録音を残しているのですが、そこではあまり自己主張を前面に出すことなく、かなりの部分をウィーンフィルの自主性にゆだねている様な雰囲気が感じられるのです。そして、そう言う自主性にゆだねた結果として表れてくるのがウィーンフィルらしい豊かな弦楽器の響きです。
おそらく、この第7番の第1楽章と第2楽章を聞いていると、演奏しているオケも、指揮しているカラヤンも実に楽しく音楽にひたっているような気がします。そして、その艶やかなウィーンフィルの響きは後の「レガート・カラヤン」を予感させるものがあります。
ところが、音楽というものは不思議なもので、指揮者もオケも楽しく演奏しているから素晴らしい音楽ができるかと言えば、決してそんな事はありません。
それはこの第7番の録音でもはっきりと分かることですが、お互いが気持ちよく演奏しているが故に何処か音楽が緩んできて、それが結果としてベートーベンには必須の強い意志のようなものが希薄になっていくのです。
ただし、カラヤンがただ者ではないのは、音楽がその様な「甘い」ものになっていることを感じとった第3楽章以降は一気にギアを入れ替えるのです。そして、ウィーンフィルらしい艶やかな響きは保持しながら最後のフィナーレに向かってベートーベンらしい強靱な意志が感じとれるクライマックスへと音楽を導いていきます。
そして、そう言うことが世界で一番性悪なオケに対して出来ることがカラヤンの凄いところなのでしょう。
しかし、こういう演奏を聞くとカラヤンがすでに理想として「レガート・カラヤン」を指向していたことが窺えます。そして、この時期のウィーンフィルとの録音は、そのの地に手兵であるベルリンフィルにそう言う美学を植え付けるための一つの指標になったのかもしれません。
そして、そう言うウィーンフィルの自主性にゆだねて、そう言う横へ流麗に流れていく動きに無理をしないで身をゆだねることで上手くいってしまっているのがドヴォルザークの交響曲第8番です。
カラヤンは結構ドヴォルザークの交響曲を録音しているのですが、演奏と録音の両方において、一番上手くいっているのがこのウィーンフィルとの61年録音かもしれません。
確かに、ゆったりとしたテンポで始まる第1楽章はまさにウィーンフィルに身をゆだねているという感じで、かなり大胆なリタルダンドなどもカラヤンの指示と言うよりはウィーンフィルのやりたい放題みたいな感じがします。第2楽章の大らかな歌わせ方も同様です。
そして、何といっても弦楽器群の美しさが「歌う人」であるドヴォルザークの音楽をより華やかなものにしていきます。
そして、面白いのは、一番歌べき第3楽章では逆に早めのテンポですすめていくのですが、それが逆にボヘミアン的な悲しみを引き出しています。ここはおそらくカラヤンのアイデアでしょう。
そして、金管による晴れ晴れとしたファンファーレで始まる終楽章でも、細かい表情をつけるところはつけながらもビシッと締めることで「でも、やっぱり最後はオレの美学によるドヴォルザークなんだからね!」という見得を切ってみせるのです。
つまりは、ウィーンフィルの手の中にあるように見せながら、それでも一番肝心なところは握って離さないしたたかさを見せるのです。
かつては筋金入りの「アンチ・カラヤン」だった私も変われば変わるものだと、自分でも驚いている次第です。
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