ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」
カレル・アンチェル指揮 ウィーン交響楽団 1958年2月8日~10日録音
Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From the New World" [1.Adagio - Allegro molto]
Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From the New World" [2.Largo]
Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From the New World" [3.Molto vivace]
Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From the New World" [4.Allegro con fuoco]
望郷の歌
ドヴォルザークが、ニューヨーク国民音楽院院長としてアメリカ滞在中に作曲した作品で、「新世界より」の副題がドヴォルザーク自身によって添えられています。
ドヴォルザークがニューヨークに招かれる経緯についてはどこかで書いたつもりになっていたのですが、どうやら一度もふれていなかったようです。ただし、あまりにも有名な話なので今さら繰り返す必要はないでしょう。
しかし、次のように書いた部分に関しては、もう少し補足しておいた方が親切かもしれません。
この作品はその副題が示すように、新世界、つまりアメリカから彼のふるさとであるボヘミアにあてて書かれた「望郷の歌」です。
この作品についてドヴォルザークは次のように語っています。
「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう。」
「この曲はボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」
この「新世界より」はアメリカ時代のドヴォルザークの最初の大作です。それ故に、そこにはカルチャー・ショックとも言うべき彼のアメリカ体験が様々な形で盛り込まれているが故に「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう」という言葉につながっているのです。
それでは、その「アメリカ体験」とはどのようなものだったでしょうか。
まず最初に指摘されるのは、人種差別のない音楽院であったが故に自然と接することが出来た黒人やアメリカ・インディオたちの音楽との出会いです。
とりわけ、若い黒人作曲家であったハリー・サンカー・バーリとの出会いは彼に黒人音楽の本質を伝えるものでした。
ですから、そう言う新しい音楽に出会うことで、そう言う「新しい要素」を盛り込んだ音楽を書いてみようと思い立つのは自然なことだったのです。
しかし、そう言う「新しい要素」をそのまま引用という形で音楽の中に取り込むという「安易」な選択はしなかったことは当然のことでした。それは、彼の後に続くバルトークやコダーイが民謡の採取に力を注ぎながら、その採取した「民謡」を生の形では使わなかったののと同じ事です。
ドヴォルザークもまた新しく接した黒人やアメリカ・インディオの音楽から学び取ったのは、彼ら独特の「音楽語法」でした。
その「音楽語法」の一番分かりやすい例が、「家路」と題されることもある第2楽章の5音(ペンタトニック)音階です。
もっとも、この音階は日本人にとってはきわめて自然な音階なので「新しさ」よりは「懐かしさ」を感じてしまい、それ故にこの作品が日本人に受け入れられる要因にもなっているのですが、ヨーロッパの人であるドヴォルザークにとってはまさに新鮮な「アメリカ的語法」だったのです。
とは言え、調べてみると、スコットランドやボヘミアの民謡にはこの音階を使用しているものもあるので、全く「非ヨーロッパ的」なものではなかったようです。
しかし、それ以上にドヴォルザークを驚かしたのは大都市ニューヨークの巨大なエネルギーと近代文明の激しさでした。そして、それは驚きが戸惑いとなり、ボヘミアへの強い郷愁へとつながっていくのでした。
どれほど新しい「音楽的語法」であってもそれは何処まで行っても「手段」にしか過ぎません。
おそらく、この作品が多くの人に受け容れられる背景には、そう言うアメリカ体験の中でわき上がってきた驚きや戸惑い、そして故郷ボヘミアへの郷愁のようなものが、そう言う新しい音楽語法によって語られているからです。
「この曲はボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」という言葉に通りに、ボヘミア国民楽派としてのドヴォルザークとアメリカ的な語法が結びついて一体化したところにこの作品の一番の魅力があるのです。
ですから、この作品は全てがアメリカ的なもので固められているのではなくて、まるで遠い新世界から故郷ボヘミアを懐かしむような場面あるのです。
その典型的な例が、第3楽章のスケルツォのトリオの部分でしょう。それは明らかにボヘミアの冒頭音楽(レントラー)を思い出させます。
そして、そこまで明確なものではなくても、いわゆるボヘミア的な情念が作品全体に散りばめられているのを感じとることは容易です。
初演は1893年、ドヴォルザークのアメリカでの第一作として広範な注目を集め、アントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルの演奏で空前の大成功を収めました。
多くのアメリカ人は、ヨーロッパの高名な作曲家であるドヴォルザークがどのような作品を発表してくれるのか多大なる興味を持って待ちかまえていました。そして、演奏された音楽は彼の期待を大きく上回るものだったのです。
それは、アメリカが期待していたアメリカの国民主義的な音楽であるだけでなく、彼らにとっては新鮮で耳新しく感じられたボヘミア的な要素がさらに大きな喜びを与えたのです。
そして、この成功は彼を音楽院の院長として招いたサーバー夫人の面目をも施すものとなり、2年契約だったアメリカ生活をさらに延長させる事につながっていくのでした。
民族性をきわめて端正な形で造形し、表出させた演奏
チェコフィルと「新世界より」となれば、これは鉄板の組み合わせで、指揮者が誰であろうと悪くなりようがありません。ヴァーツラフ・ターリヒ、ラファエル・クーベリック(彼だけは常任時代ではなくベルリンの壁が崩れてからの客演でのライブ)、カレル・アンチェル、ヴァーツラフ・ノイマン、イルジー・ビエロフラーヴェクと並べてみても、どれもこれもが素晴らしい録音です。
それ以後のゲルト・アルブレヒト、ウラディーミル・アシュケナージ (いろいろあったみたいですが・・・)、ズデニェク・マーカルらの「新世界より」は聞いたことはないので何とも言えませんが、それでもしっかりと録音は残しています。
それだけに、チェコフィルの常任をつとめながら「新世界より」を録音しなかったエリアフ・インバルはかなり異色です。(彼はフィルハーモニア管とは録音しています)
そして、これは断言しますが、そう言うはずれのない名盤揃いのチェコフィルの「新世界より」から一枚選べと言われれば、私は迷うことなく、このアンチェルの61年盤を選びます。アンチェルは1958年に、ウィーン交響楽団とも「新世界より」を録音していますが、その仕上がり具合には歴然たる差があります。
聞いてみてすぐ分かるのは、オケの力量の差です。この時代のチェコフィルは間違いなく世界の一流オケと言い切って性能を持っています。そして、第二楽章の歌わせ方などを聞くと、チェコの民族性みたいなものが体に染み込んでいないと表現できないものがあるようです。
とは言え、ウィーン響との58年盤も、それだけを聞くならば悪い演奏ではありません。また、アンチェルは手兵であるチェコフィル以外との録音はあまり多くないので、そう言う面での興味というか資料的価値もあるので録音はアップしておきたいと思います。
ただし、アンチェルが求める方向性は、ウィーン響との58年盤も、手兵であるチェコフィルとの61年盤も全く同じです。
アンチェルの表現は基本的にはトスカニーニからライナー、そしてジョージ・セル屁と引き継がれていった様式と同じ方向性をもっていると思います。特別なことはしないで、真っ向からあるがままに音楽を表現していく姿を見ると(聞くと?)、やはりシルヴェストリなんかの録音はあざとすぎるな、と言う気にさせられます。
そして、チェコフィルの一切混濁を見せない透明感に溢れた響きはクリーブランド管とも十分に肩を並びかけるだけの優れものです。
ただし、セルの59年盤を貫く強い緊張感のようなものはアンチェル盤にはありません。
そこから聞こえてくるのは、表現する言葉が難しいのですが、何処かシンとした静けさのようなものです。もちろん、音は常に鳴り響いているのですから静かなはずはないのですが、その音楽の本質的な部分が常にシンとしているのです。
これは何とも言えず不思議な感覚なのですが、おそらくアンチェル以外の演奏から聞いたことがないような気がします。
そして、私がアンチェルという指揮者に瞠目させられた一番の理由がこの「静けさ」です。
それから、両端の楽章の奇をてらわない端正な造形はセルを彷彿ととさせますが、中間の二楽章は明らかにアンチェルの演奏からしかいくことの出来ない世界が広がっています。パッと聞いた感じではここもまた端正に造形されているのですが、音楽の形はかなりデフォルメされているような気がします。そして、このデフォルメ(だと思うのですが)こそが、彼とチェコフィルに染み込んだチェコの民族性ではないのかと思うのです。
結果としては、この二人は非常に似通っていながら、本質的には作品が持つ純粋な音楽性で貫き通したセルに対して、チェコの民族性をきわめて端正な形で造形し、表出させたアンチェルという違いが出たように思います。
そして、かなり思い切った言い方をすれば、かつては私の中では絶対だったセルの59年盤が、このアンチェルの61年盤と出会うことで、疑いもなくツー・トップになったような気がしています。
とは言え、トスカニーニもライナーもケルテスも、そしてフリッチャイもバーンスタインもみんなみんな素晴らしいので、こういう決めつけ方は意味はないのですが、それほどまでにこのアンチェル盤に感心させられたと言うことです。
よせられたコメント
2016-03-20:原 響平
- 随分と懐かしい音源を聴いた。確かフォンタナレーベルでLPを\900で販売していたのを購入した思い出が蘇った。当時の再生装置から出てくる音・演奏は、廉価版のそれは、いずれも2流と勝手に思い込んでいた。特に、カラヤン・セル等のレギュラー盤は、録音・演奏もゴージャスで欲しいけど学生には手の届かない高根の花だった。さて、今この演奏を聴きなおしてみると、録音も悪くなく、演奏もアンチェルの指示を忠実に再現した堂々たる演奏。名盤チェコフィルとの差は、録音に多少の色・艶の差があるが基本的な演奏スタイルは変わらない。これは録音したホールとウイーン響の独特な渋めの音色に起因する。尚、市販CDにはモルダウがカップリングされているが、ホルンの強奏に思わずニンマリ。当方の好きなセルもここまでホルンを吹かせていない。アンチェルは本当に上手い。
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