ワーグナー:管弦楽曲集
クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1960年2,3月録音
Wagner:「リエンツィ」序曲
Wagner:「さまよえるオランダ人」序曲
Wagner:「タンホイザー」序曲
Wagner:「ローエングリン」第1幕への前奏曲
Wagner:「ローエングリン」第3幕への前奏曲
Wagner:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
Wagner:舞台神聖祭典劇「パルジファル」前奏曲
いかがわしい男
ベルリオーズの管弦楽曲をまとめてアップしたすぐあとにワーグナーの作品をアップしてみると、あらためてワーグナーという才能の凄さを思い知られます。
こんな書き方をするとベルリーズを愛する人からは顰蹙を買いそうですが、その違いはもう別の星に存在するかのごとくです。
そして、音楽と人間性の間には何の関係もないことを、彼ほど私たちに教えてくれる人物はいません。
とにかく、ワーグナーという男の人間性については、数え切れないほどのエピソードに彩られていますが、その根底にあるのは音楽家としての己への「絶対的自信」であったことは疑う余地はありません。その事は、自分より優れた作曲家はベートーヴェンだけだと公言していたことからも窺えるのですが、今となってみてはこれは「虚言」どころか「事実」そのもとしか言いようがありません。
そうしてて見るならば、多くの金持ち連中に「貴方に私の楽劇に出資する名誉を与えよう」という手紙を送ったりしたことも、彼にしてみれば当然のことであり、そう言う「寛大な申し出」に対して断りの返事をよこすなどと言うことは「信じがたい」事であったのでしょう。
芸術という営みにおいて「謙虚」などというものは何の価値もないようです。
必要なのは、己に対する「絶対的な自信」と、その自信に相応しい行動をどこまで臆することなく貫き通せるかです。
しかし、そのような芸術家としての「当然の思考と行動」は、ごく普通の良識的な生活を営む一般市民から見れば、ただただ「いかがわしい」としか映らないのです。
ただし、ワーグナーの「いかがわしさ」は、ニーチェほどの「いかがわしい男」からでさえ「彼は人間ではない、病気だ」と言わせるほどの「いかがわしさ」なのですから、まさに超一級の芸術家だった証左です。
そして、不思議なことは、女性というものは良識ある真面目な男よりは、このワーグナーのような「悪の匂い」を紛々とさせるような男にひかれるものだと言うことです。コジマとワーグナーの不倫物語は今さら取り上げるまでもないことですが、これもまたワーグナーという男が発散する「己への絶対的自信」が発散するエネルギーの故なのでしょう。
そして、このような超弩級の「絶対的自信」が彼の音楽の至る所から発散しています。
その雄大にしてエネルギー感に満ちた楽想、そしてそれを鮮やかに彩る華やかオーケストラの響き、そしてその内部から放射されるギラギラしたような灰汁の強さ、そのどれをとってもワーグナー以前の音楽家たちにとっては想像もできなかったような世界です。
そして、なるほど、これだけの音楽であったからこそ、彼は一つの国(バイエルン王国)を滅ぼすこともできたのだと納得する次第です。
ただ、この「麻薬」のような音楽に絡め取られてはいけないという声が、「良識ある小市民」の足を止めさせます。そして、同じ事は「良識ある小音楽家」たちにも言えることだったようで、ワーグナー以降の音楽家たちはこの「ワーグナーという泥沼」に足を踏み込んでもがき苦しむことになるのです。
本当に、困った男だったのです。
立派な音楽はとことん立派に演奏する男
ワルターのワーグナーをアップしたのですが、どうにも物足りなさを感じてしまいました。その原因は「コロンビア響というのは通常のオケと比べれば編成が小さいために、作品によっては響きの薄さが気になることは否めず、そのマイナス点がもっとも顕著に表れているのがこのワーグナーの管弦楽曲」だからです。
確かに「細部まで明瞭」だとか、ギラギラしたところが少なく「すっきりと輪郭が整っているので、最後まで落ち着いて聴くことができ」たという褒め言葉もあるのですが、よく考えてみるとそう言う褒め言葉はワーグナー演奏においては、本当に褒め言葉になっているのかはかなり疑問です。
もちろん、それぞれの好みもありますから押しつけはしませんが、ワーグナーという音楽にはギラギラとして己の凄さを押しつけてくるような灰汁の強さがなくてはもの足りなのではないでしょうか。オケの響きも低弦がうねるように盛り上がって暑苦しいほどにならないとワーグナーじゃないという見方もできます。細部までクリアで風通しのいいワーグナーなんて論理矛盾そのもだとと思うのが一般的な傾向でしょう。
つまりは、ワーグナーという音楽は暑苦しくて押しつけがましいものなのです。
そこで、、ワルターの音楽もいいのですが、もう少し普通のテイストのワーグナーが聴きたくて選んでみたのがクレンペラーだったのです。そして、びっくりしたのは、この60年に録音されたクレンペラーの録音は、初出も60年なので、何と既にパブリックドメインの仲間入りをしているのです。
これは、全く「勘定」に入れていなかったので、思わぬヨロコビでした。
クレンペラーの音楽と言えば、立派な音楽はとことん立派に演奏し、それなりの音楽も立派に演奏し、そうでない音楽でもそれなりに立派に聞こえるように仕立て上げるという指揮者でした。
ですから、こういう立派な音楽を取り上げると、それはそれは、もうこれ以上は立派にできないと言うほどに立派に仕上げています。そして、この時代の指揮者ならば低声部を強調してオケをうねるように演奏させることが多いのですが、彼の場合は声部のバランスが完璧で、実に均整のとれたしなやかにして強靱なオケの響きで音楽を聞かせてくれます。
60年代のクレンペラーとフィルハーモニア管との録音は、ともすれば音が固くて乾きすぎだという批判を受けます。
私も、彼の録音を長く聞いてきて、その音楽の作りの立派さに反して、録音のショボサが残念でしかたがりませんでした。しかし、昨年の末から再生システムを「Voyage MPD」に変えてからは、その評価は一変しました。
たとえば、彼のステレオ録音によるベートーベンの演奏を聴いてみて、「その響きは固くもなければギスギスもしていないのです。もちろん、華やかな響きではありませんが、十分にしなやかで透明感のある響きであることに気づかさ」れました、などと書いています。この感想は、このワーグナーの録音にも当てはまります。
この60年代のEMIの録音の中にこれだけの「音」が入っていたことに驚かされてしまいます。
ワーグナーを聴くときに、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュでは「暑苦しすぎる」が、ワルターでは「涼しすぎる」と思う人にはちょうどいい演奏なのではないでしょうか。ただし、音楽の立派さという点でも、響きの豊かさという点でもフルトヴェングラーにもクナッパーツブッシュにも負けてはいません。
最近になって、このクレンペラーという男の凄さをしみじみと感じています。
<収録作品>
「リエンツィ」序曲
「さまよえるオランダ人」序曲
「タンホイザー」序曲
「ローエングリン」第1幕への前奏曲
「ローエングリン」第3幕への前奏曲
「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
舞台神聖祭典劇「パルジファル」前奏曲
よせられたコメント
2011-06-04:ジェネシス
- 以前、高橋順一氏がクレンペラーを聴いて感じる「居こごちの悪さ」(同感です。全く)について、E.ブロッホ(作曲家じゃない方です)との関わりや、クロールオペラ時代に培われた、表現主義とアヴァンギャルディズムとの関連で書いておられました。
私は、加えて若い頃のスキャンダルに象徴される性向と狷介さが、その後の度重なる大怪我と重病を生き残って、さらに強固なものになり、フィルハーモニアというニュートラルな性能をもったオケと透明指向の録音によって露出しているんじゃないかと、勝手に想像しています。
「絢爛なフィラデルフィア」とか「だし風味たっぷりなバンベルク」みたいなサウンドで中和した録音があれば等と妄想することもあります。
いずれにしても、あんまり得手じゃありません。クレンペラーは。
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