シューマン:アダージョとアレグロ 変イ長調 Op.70(Schumann:Adagio and Allegro, Op.70)
(Hr)デニス・ブレイン:(P)ジェラルド・ムーア 1952年録音(Dennis Brain:(P)Gerald Moore Recorded on 1952)
Schumann:Adagio and Allegro, Op.70 [1.Adagio]
Schumann:Adagio and Allegro, Op.70 [2.Allegro]
シューマンの二面性が見事に表現されている

この曲が書かれた1849年は、ヨーロッパ中で革命の嵐が吹き荒れた激動の年でした。シューマンが住んでいたドレスデンでも5月に大規模な民衆暴動が勃発します。
精神的に繊細だったシューマンは、暴力や騒乱を極度に恐れ、妻のクララや子供たちを連れて、ドレスデン近郊の静かな田舎町マクセンへと命からがら避難します。
皮肉なことに、このような混乱と恐怖がシューマンの創作意欲を異常なまでに刺激しました。
彼は「外部の世界の恐ろしさから身を守るために、ひたすら音楽に没頭した」と語っています。この年は彼の人生で最も多くの名曲が生まれた「奇跡の年(豊作の年)」となりました。
この「アダージョとアレグロ」はドレスデンで革命の緊張が高まりつつあった2月11日から14日までの、わずか4日間で一気に書き上げられました。
この時期のシューマンは、インスピレーションが湧くと寝食を忘れて没頭する傾向があり、本作もその熱狂の中で一気に生み出されたのです。
19世紀半ばのヨーロッパでは、市民階級の間で「自宅の居間で家族や友人と音楽を楽しむ文化」が全盛期を迎えていました。
一般の音楽愛好家は自宅で演奏できる、質が高く親しみやすい「ピアノ+独奏楽器」のための小品を求めていました。
この需要に応えるため、シューマンは本作をホルンだけでなく、チェロやヴァイオリンでも演奏できるように代奏譜を最初から用意して出版しました。これが功を奏し、楽譜は非常によく売れ、シューマン家の重要な収入源となりました。
技術的なきっかけとして、当時ドレスデンの宮廷オーケストラなどで普及し始めていた新型の「バルブ付きホルン」の存在があります。それまでのホルン(ナチュラル・ホルン)では演奏不可能だった、自由な転調や滑らかな半音階(のちの楽章詳細で触れた特徴)が可能になったことを知り、シューマンはそのポテンシャルに魅了されました。「この新しい楽器なら、自分のロマン派的な内省も情熱もすべて表現できる」と確信し、ホルンのための本格的なレパートリーとして作曲を決意したのです。
この楽曲は、 内向的で瞑想的な「オイゼビウス」と外向的で情熱的な「フロレスタン」というシューマンの二面性が見事に表現された2つの部分から構成されています。
- アダージョ(Langsam, mit innigem Ausdruck)
ピアノの静かで深い和音の導入に続き、主奏楽器が息の長い、極めて美しいメロディを歌い始めます。
ピアノは単なる伴奏ではなく、独奏楽器と絶え間なくポリフォニック(多声的)に絡み合い、愛の対話を交わすように進みます。
途中で明確な休止を挟むことなく、フレーズが次のフレーズへと溶け込んでいくような「有機的なつながり」を持っています。
シューマンの静的なキャラクターである「オイゼビウス」の気質が色濃く出ており、深い瞑想の中に、時折胸を締め付けるような切ない転調が散りばめられています。
- アレグロ(Rasch und feurig)
アダージョの静寂を破り、シューマンの情熱的なキャラクターである「フロレスタン」が前面に躍り出ます。
付点リズムを多用した、雄々しく、勝利を確信するような力強いテーマで始まります。ホルン(あるいはチェロ)にとって、非常に激しい音符の跳躍、俊敏なタンギング、そして高音域から低音域までの素早い移動が要求され、バルブ楽器の機動性をフルに活用します。
テンポが少し落ち着き、木管的な優しいエピソードや、第1部「アダージョ」の回想を思わせる、甘美でどこか懐かしいメロディが顔を覗かせます。
そ
彼が残した録音はこれからも色褪せることない
ホルンという楽を演奏するのは大変だという事はすでに書いてきました。
しかし、ここでそのあたりの問題をきちんと整理しておこうかと思います。
まずは、正確に音を出すことが非常に難しい楽器だという事です。
金管楽器は唇の振動と息の圧力で音高を変えます。ホルンは管の長さが約4メートル近くあるのに音域が高めに位置します。
そのため隣り合う音同士のピッチの差が極めて狭く、唇のコントロールがわずかにずれただけで隣の音が鳴ってしまいます。
つまりは、他の管楽器に比べて倍音が過密で「音の外れやすさ」が突出しているのです。
次に、それほどまでに管が長いのに、それに比べてマウスピースが非常に小さいことがあげられます。
つまりは、小さく狭い面積で広大な音域(3オクターブ以上)をカバーする必要があるため、唇周辺の筋力と柔軟性がシビアに求められるのです。
それ以外にピッチの微調整やミュート効果なども求められます。
さらに、最近のホルンは、1台の中に「F管」と「B♭管」という二系統が組みこまれていたりするので、頭の中でふたつの管の音階・指使いを並行して把握する能力も求められます。
以上はどこまで正確な表現かはわからないのですが、アマオケで演奏している友人にも聞いてみてまとめてみました。
まあ、とにかく大変なのです。
そこで、デニス・ブレインです。
デニス・ブレインが今なお「伝説」として称賛されるのは、単にテクニックが優れていただけではなく、「ホルンという楽器の概念と社会的地位そのものを変えてしまった」点にあります。
それまでオーケストラの裏方だったホルンを、フルートやヴァイオリンと並ぶ華麗なソロ楽器へと押し上げていったのです。
そのために、必要だったのは「絶対に音を外さない」圧倒的なコントロールと精度です。これはホルン奏者としては必須です。
ホルンは高倍音域を使うため非常にミスしやすい楽器ですが、ブレインの演奏には音の外れやかすれがほとんどありませんでした。
急激な跳躍や跳ねるようなレガートでも、寸分の狂いもなく完璧なピッチで的確に音を捉えました。
ブレインはあたかも呼吸するように自然に難曲を吹きこなしたのでした。
次に注目したいのは重厚で野性的なドイツ風ホルンサウンドとは一線を画し、明るく洗練された透明感あふれる音色を持ち味としていたことです。
彼は重く複雑なフルダブルホルンではなく、操作性が良く軽快な「アレキサンダー製のB♭シングルホルン(モデル90)」を好んで使用しました。これにより、まるで歌唱やフルートのソロを聴いているかのような流麗で素早いパッセージ演奏を可能にしました。
あわせて、金管楽器特有のアタック感を感じさせず、旋律をどこまでも滑らかにつなぐレガートの美しさは唯一無二でした。
そして、彼には多くの人を引き付ける人間的な魅力がありました。
コンサートで散水用のホースにマウスピースと漏斗を取り付けて、レオポルト・モーツァルトの協奏曲を完璧に演奏し、観客を沸かせるようなユーモアも持ち合わせていました。
L.Mozart:Concerto for Hose-pipe and Strings
無類の自動車マニアで、楽譜の裏に愛車(ルノーやトリウムフ等)のカタログを挟んで練習していたというエピソードも有名です。
36歳という早すぎる逝去が本当に悔やまれますが、彼が残した録音はこれからも色褪せることないでしょう。
演奏テクニックで彼を上回る人が出てきたとしても、彼の残した録音は多くの人に聞かれ続けることでしょう。
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