ワーグナー:トリスタンとイゾルデ~前奏曲と愛の死(Wagner:Prelude to Act1 und Isolde's Liebestod from Tristan und Isolde)
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニ管弦楽団 1955年4月録音(Artur Rodzinski:Royal Philharmonic Orchestra Recorded on April, 1955)
Wagner:Prelude to Act1 und Isolde's Liebestod from Tristan und Isolde
愛と情念のドラマ
ワーグナーが書いた数々のオペラの中で最もワーグナー的なオペラがこの「トリスタンとイゾルデ」でしょう。
このオペラはもともと「ニーベルングの指環」を作曲しているときに、それを中断して書かれた作品でした。
理由は簡単、「指環」を一生懸命書いているものの、たとえ完成しても上演の見込みは全くない、これじゃ駄目だ・・・、と言うことで一般受けする軽いオペラを書こうと思い立ったのです。
そこで取り上げたのが「トリスタン伝説」、叔父の花嫁と許されぬ恋におち、悲恋の炎に身を焼かれるように死への道をたどる・・・、うーん、いかにも一般受けしそうです。
ところが、台本書いて、音楽をつけていくうちに、だんだんとふくれあがっていくではないですか。
第1幕のスケッチが終わった時点で、到底、一般受けする小振りなオペラにはならないことをワーグナー自身が悟ります。
第2幕を書き終えた時点で「私の芸術の最高峰だ!」と叫んだそうです。
そして、全曲書き終えたときは「リヒャルト、お前は悪魔の申し子だ!」と叫んだとか。
自惚れと自己顕示欲の塊みたいな男ですから、さもありなんですが、しかし、このオペラに関してだけは、この「叫び」は正当なものでした。
しかし、何とか上演される作品を書こうとしたワーグナーの所期の目的は、この作品があまりにも「偉大」なものになりすぎたが故になかなか上演されないという「不幸」を背負ってしまうことになります。
とりわけ、主役の二人、トリスタンとイゾルデを歌える歌手がほとんどいないと言うことは、この作品を上演するときの最大のネックとなっています。
特に、トリスタンは最後の第3幕はほとんど一人舞台なので、舞台で息を引き取るときは歌手も息を引き取る寸前になる・・・などと言われるほどです。
それから、この作品を取り上げると、お約束のように、前奏曲の冒頭にあらわれる「トリスタン和音」や、「無限旋律」のことが語られ、それが20世紀の無調の音楽に道を開いたことが語られます。
私は専門家ではないので、こういう楽典的なことをはよく分からないのですが、ただ、ワーグナー自身は「調性の破壊」などという革命的な意図を持ってこの作品を書いたのではないと言うことだけは指摘しておきましょう。頭でっかちの聴き方などはしないで、ごく自然にこの音楽に耳を傾ければ、愛と死に対する濃厚な人間の情念が滔々たる流れとして描かれていることが納得できるはずであり、その世界は極めて安定した調和のある世界として描かれています。
あのトリスタン和音にしても、そう言う安定した調性の世界の中で響くからこそ一種独特の不思議な響きが引き立つのであって、決して機能和声の枠から外れたその響きが作品全体を構成するキイとはなっていないのです。
ただし、ワーグナーが用いたこの響きの中に、全く新しい音楽の世界を切り開く可能性が存在して、その上に20世紀の無調の音楽が発展したことも事実です。
しかし、それはワーグナーにとっては全く与り知らないことであり、そう言う「前衛性」でこの作品を評価するような声を聞くと、私のような「古い人間」は首をかしげざるを得ません。
ロジンスキーにしてはいささか緩めのワーグナーです
1955年の4月ロジンスキーは集中的にワーグナーの管弦楽曲を録音しています。
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- ワーグナー:「ローエングリーン」
面白いのはこの録音時のリハーサルの様子をおさめた録音が残っている事です。このリハーサル音源に関しては隣接権が消滅しているかどうか確認できないのでここで紹介できないのが残念なのですが、それは私たちがロジンスキーという指揮者に抱いているイメージとは随分と異なったものです。
ロジンスキーと言えばNBC交響楽団の練習指揮者に就任して、トスカニーニが着任するまでに徹底的に鍛え上げた事で有名です。そのトレーニングの厳しさは言語に絶するものだったようです。そして、その厳しさがさらに発揮されたのがバルビローリが去った後のニューヨークフィルの音楽監督時代で、鬼のようなトレーニングを課するだけでなく、それについてこれない、または意見の食い違うメンバーは容赦なくクビを切り、それはコンサート・マスターにまで及びました。
そして、その強引にすぎるやり方に対してメンバーと衝突するのは日常茶飯事で、ロジンスキーは身の危険を感じて拳銃を忍ばせてリハーサルに臨んだという話がまことしやかに囁かれるほどです。
しかし、そのような厳しさは疑いもなくNBC交響楽団やニューヨークフィルの能力を大幅に向上させ、確固とした造形と細かい部分に至るまで考え抜かれた音楽を生み出しました。
とはいえ、その峻厳なまでのオケに対する態度は最終的にアメリカでの居場所を失うことになり、シカゴ響を追われてからは活動の場をヨーロッパに移し、主にウェストミンスターで録音活動を積極的に行いました。そして、そこでの録音はアメリカ時代のロジンスキーと大きな違いはなく、はてさて起用されたイギリスのオケはこの凶悪な指揮者とどの様に対峙したのかと不思議に思っていました。
ところが、このリハーサル風景を聞いてみると、オケと指揮者の関係は極めて良好なのです。良好どころか、時にはロジンスキーが軽口を叩きオケのメンバーから一斉に笑い声が沸き起こったりして、とてもではないですが拳銃をしのばせてリハーサルに臨んだ人物とは全く別人です。
ただし、この時のリハーサルはかなり緩めで、それは録音の出来にも反映しているようで、ロジンスキーにしてはいささか緩めのワーグナーに仕上がっています。
もちろん、オケのメンバーはロジンスキーの細かい指示によく応えていることはリハーサル風景からも分かるのですが、なんだかロジンスキー自身があまり鵜する最古とはいわず、また自分にも厳しい加太を課さず、どこか音楽を楽しんでいるような雰囲気が漂うのです。
彼がアメリカを去ったのはオケとの衝突もあったのですが健康問題も大きかったようなので、この頃には随分と弱っていたのかもしれませんし、もう無理はしないで残された時間は音楽を楽しもうと達観していたのかもしれません。
とは言え、同時期に録音した他の作品ではかなり精緻な演奏を貫いていますから、もしかしたらこの時はいささかワーグナーに酔っていたのかもしれません。
ロジンスキーが亡くなったのは1958年にシカゴで「トリスタンとイゾルデ」を指揮した後に倒れたのでした。彼にとって、ワーグナーは特別な音楽だったのかもしれません。
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