マーラー:交響曲第6番 イ短調 「悲劇的」
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1960年~1967年録音 1967年5月6日録音
Gustav Mahler:Symphony No. 6, "Tragic" [1.Allegro energico, ma non troppo. Heftig, aber markig.]
Gustav Mahler:Symphony No. 6, "Tragic" [2.Scherzo: Wuchtig]
Gustav Mahler:Symphony No. 6, "Tragic" [3.Andante moderato]
Gustav Mahler:Symphony No. 6, "Tragic" [4.Finale: Sostenuto - Allegro moderato - Allegro energico]
とても怖い音楽
わたしが初めてこの作品を聞いたのはセル&クリーブランドによるライブ録音でした。
いやぁ、実に怖い音楽でして、初めて聞いたときは夜中だったので、最後の一撃を食らったときは心臓が止まるかと思いました。
また、セル自身にとってもよほど出来がよかったのでしょう、ライブ録音であるにもかかわらず、他のスタジオ録音と同じ位置づけでリリースすることを許したようで、セルの一連のシリーズの中にも必ず収録されていました。完璧主義者のセルにしては実に珍しいことです。
しかし、考えようによっては、5管編成という巨大なオケの編成に加えて、初演時に「今後は、音楽学校は打楽器のための上級クラスを設けねばなるまい」などと揶揄されたほどの打楽器軍団が必要な作品だけに、別途スタジオ録音をするのが困難だったとも考えられます。
この作品は、初演を前にスコアが出版されるという稀有の存在でした。それは、当時のヨーロッパに於けるマーラーの権勢と、この作品に寄せるマーラーの自身のあらわれだったといえます。ですから、多くの専門家は初演を前にしてじっくりと研究し、さらには初演時にはスコアを見ながら聞くことができました。
しかし、マーラーという人は、出版した時点のスコアが「決定稿」という人ではありませんでした。このように巨大な作品となると、頭の中のイメージと、実際に音として再現したときでは少なからず食い違いがでるのは当然です。ですから、マーラーはどの作品においても、演奏を重ねるたびにスコアを書き直していく人でした。
そのことは、この6番の初演においても同様で、出版した楽譜はリハーサルの過程でどんどん変更されていったようなのです。
特に大きな違いは、第2楽章と第3楽章が出版された楽譜とマーラー自身による初演とでは入れ替わっていたこです。さらに、最終楽章の最後に振り下ろされるハンマーの回数が2回か3回かという問題もあります。
私にとってはどうでもいいような瑣末なことのように思えるのですが、これ一つで論文が書けるとのことなので、音楽学者たちにとっては良い飯の種になっているようです。
この作品を貫くコンセプトは明確です。
偉大なる英雄が、徹底的に戦い抜いた末についに力尽きて打ち倒される、というものです。
第1楽章冒頭は、付点音符が特徴的な英雄のイメージです。この英雄が第2楽章や第3楽章で、時に憩いや平安を得ながらも、ついに最終楽章で容赦のない闘争の場に引きずり出されます。そして、英雄は凄まじくも呵責のない運命と徹底的に戦い抜いた末に、最後は木っ端微塵に打ち砕かれて倒れ伏します。
そこにあるのは、甘い感傷などを一切寄せ付けない「悲劇」そのもののイメージです。チャイコフスキーの「悲愴」と比べてみれば、まったく似て非なることにすぐに気づくはずです。
また、チャイコフスキーの交響曲が基本的に私小説であったのに対して、マーラーの交響曲はそのようなライン上で捉えると誤ってしまうということにも気づかせてくれます。
最終楽章で振り下ろされるハンマーを、マーラー自身を襲った不幸に重ねる見方を時々見受けますが、音楽に真摯に耳を傾ければ、そのようなレベルをこえた「悲劇』が提示されていることはすぐに理解できるはずです。
そういう意味で、音楽の絶対性ということに方向を定めた、言葉をかえれば、マーラーの作品の中では最も強くベートーヴェンを意識した作品だといえるのではないでしょうか。
それにしても、最後の鉄槌が下される終わり方は何度聞いても恐い。いつも心臓がえぐられるような恐怖を覚えます。
共感をスタンダードへ!!
<はじめに少しばかりの追記>
実はこの録音の初出は1968年だと思っていこんでいました。
あーっ、著作権法の改訂でバーンスタイン&ニューヨーク・フィルによるマーラー演奏はこの6番だけを残して未完のままで終わるのか!・・・と溜息をついていました。
しかし、諦めがつかず、ふと、もう一度確認してみると、この第6番の出は1968年ではなくて、録音が行われた1967年にリリースされていることを発見しました。もっとも、発見と言うほどのたいそうなものではなくて、調べる気になればすぐにでも分かることだったのですが、何故か私の中では「1968年初リリース」という思いこみが根を張っていたのです。いやはや、思いこみというものは要注意です。
とはいえ、結果としてはこの組み合わせによるマーラー録音の全てがパブリック・ドメインとなったことは幸運でした。
特に第9番と第6番はまさに滑り込みセーフでした。
そして、このコンビによる「大地の歌」は録音されなかったので、これでバーンスタインによる一回目のマーラー全集はパブリック・ドメインとして完結したと言ってもいいでしょう。
この20世紀の録音史を飾る金字塔とも言うべき録音がパブリック・ドメインとなったことはこの上もなく喜ばしいことです。
<追記終わり>
バーンスタインと言えばマーラーです。しかし、マーラーと言えばバーンスタインと言えるかというとそれは微妙ですが、それでもマーラーの演奏史における役割の大きさは否定できません。
1958年にニューヨークフィルの常任指揮者に就任すると同時に彼の録音活動が本格化するのですが、その中核をなしたのは疑いもなくマーラーでした。
この時代の彼の録音をまとめて聞いているうちに不思議なことに気づきました。
それは、作品へのアプローチが極端に二分しているのです。
一つは、「俺の音楽を聴け!」という「俺さま症候群的な音楽」の作り方で、もう一つは「作曲家視線」で「皆さん、この作品はこういう構造なんですよ!」と懇切丁寧に解説するようなアプローチです。
前者のアプローチは、作品に没頭し、時には指揮台の上でジャンプしていたバーンスタインの姿が思い浮かぶようなアプローチです。
ドヴォルザークやチャイコフスキーなどの録音を聞くと、ものの見事までにこの「俺さま症候群的な音楽」になっています。ヨーロッパの伝統的なアプローチから見ればかなりへんてこな音楽になっているのですが、それでもそんな「お約束」などは気にせず、己の信じた音楽を貫いています。
ところが、ドイツ正統派の王道であるベートーベンの交響曲なんかになると「俺さま症候群的な音楽」は後退してしまいます。逆に、「僕は作曲家だから、こんなにも見事に作品の構造を描き出せるんだよ!」という雰囲気が前面に出てきます。底意地の悪い見方をすれば、さすがに「俺さまのベートーベンを聴け!」という勇気は持てなかった・・・と言うことです。
さらに、共感できないような作品になると「俺さま症候群的な音楽」の作り方ができるはずもないので、「皆さん、この作品はこういう(ココロの中ではおそらく・・・この程度の)音楽なんですよ!」と言う感じで、「作曲家視線」がさらに顕わになります。
もちろん、この時代のバーンスタインの録音がこんなにも簡単に図式的に割り切れるわけはないのですが、それでも大きく的は外れていないように思います。
そこで、マーラーなのですが、これは当然のことながら前者の「俺さま症候群的な音楽」の作り方です。
しかし、ドヴォルザークやチャイコフスキーの録音で感じたような「変てこさ」はありません。マーラーへの深い共感に満ちた演奏でありながら、そこで構築されたマーラー像はこれ以後のマーラー演奏のスタンダードとなり得たのです。
なるほどそうだったのか!!と、勝手にひらめいてしまいました。
そうなんです、彼は、己の感性と共感をフルに発揮して演奏してもヨーロッパの正統的伝統から「間違ってるんじゃない?!」と言われなくてもすむような対象を探していたんだと思います。
マーラーこそは、己が深い共感を持って対峙できる音楽でありながら、同時にヨーロッパの伝統という「垢」というか「苔」というか、そう言うものがほとんどついていない音楽だったのです。
なにしろ、マーラーの弟子だったワルターやクレンペラーが師の作品を何とか多くの人に理解してもらおうと孤軍奮闘が続いていた時代です。それでもなかなか理解は広まらず、一部の現代音楽に強い指揮者が時たま取り上げる程度にとどまっていたのです。
バーンスタインにとって、マーラーこそは漸くにして探り当てた金鉱だったのです。
そして、彼は己に与えられた「録音の自由」という特権を生かしてマーラーの録音に取りかかります。
そこで己に課したことは、「自分が信じ、共感したマーラーの姿をマーラーのスタンダードにする」ことだったはずです。
ベートーベンと言えばフルトヴェングラーであり、モーツァルトと言えばワルターであったように、マーラーと言えばバーンスタインと言ってもらえるような仕事を目指したのです。
そして、その事は実現しました。
弟子あでったワルターやクレンペラーが結局は成し遂げられなかったマーラーの再評価、マーラールネッサンスをこのアメリカの若者は実現したのです。そして、これに続く時代はこの録音を一つの基準として様々なマーラー像が探られていったのです。
もちろん、バーンスタイン自身もこの地点にとどまることなく、再度、新しいマーラー像を問うことになるのですが、それでも、このニューヨーク時代のマーラー演奏の価値は失われることはありません。いわゆる創業者利益みたいなものです。
そして、この徹底的に己を信じ、そう言う己のマーラーへの深い共感をさらけ出した演奏はやはり感動的です。
わずか40歳にして、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてアメリカのメジャーオケのシェフに就任するというのは、大変な重圧だったと思うのですが、その重圧を跳ね返して次のステップへと歩を進めることができたのはこのマーラー演奏に対する自信があったからだと思います。
これだけは誰にも負けないというものがあれば、人はかなり幸せに生きていけると言うことなのでしょう。
よせられたコメント 2020-11-05:tks. 是非とも聴きたかった録音がようやく聴けました!
(それほど珍しいものではないはずですが買いそびれていました。)
ありがとうございます。やりたい放題のまさに「俺様マーラー」!
急加速、急ブレーキがあちこちにあり、実にスリリングでした。
シェフの無謀(?)運転にしっかり応えるNYPも大したものです。
各種打楽器を鮮明に捉えた録音もこの曲の特徴と魅力をよく伝えています。
勢いと瑞々しさでは、後年の録音・録画を上回っていると思いました。
(でも、この曲の「怖さ」はセルの方により強く感じます。
私もセル盤がこの曲とのファーストコンタクトでした。) 2023-08-19:大串富史 今回はバーンスタインとマーラーに1票を入れさせてくださいー
#ミトロプーロスの方も聴いたのですが、ノイズで流せないんですよー云々より、今回はなぜかバーンスタインとマーラーの相性がいい?ように聴こえました。すんすんと行ってくれて、やっぱりバックグラウンドミュージック向けなんでしょうか。
というか、第4番と第5番は… いや第5番は確かに聴いた覚えもあって全然嫌いということはないものの、なぜか脈絡なく、そういえばかの人が作曲したことになっていた交響曲第1番 HIROSHIMAってまだ聴いてなかった、どれどれ聴いてみよう…ぐらいのあり得ない寄り道をしてからこちらに来て、うんうん、本家本元オリジナル咆哮スペクタクルいいじゃないですかー、とコメントさせていただいています。
#で思うに、現代に恐竜を復活させて咆哮スペクタクルをやっても、恐竜最高!みたいなガチの恐竜時代の恐竜たちには全然及ばないよなー、あれはもう、やっぱり絶滅でいいのかもー、などとつらつら思いました(まてまて
同時に、自分はやっぱり第2番や第3番の第1楽章が好きなのであって、この第6番の第4楽章を聴いて、えっ?まだ終わらない?みたいなのはさすがにどうも… なのです…
#いえ、ちゃんと最後の鉄槌まで聴きましたー(やっぱり長いですー)
それにしても、YOSHIKIさんあれではないのですが、今回もYouTubeのコメントに、あれは名曲で、ブルックナーとかショスタコに和テイストというか武満さんとかもうまく吸収融合していて、絶対数十年後に改めて見つめ直される、と書かれているのを見るにつけ、現代日本人ってそうなんですね、分かりましたー、と認識を新たにしています(まて
その一方でこのサイトを運営を続ける管理人様には、菓子折の一つでも直接お渡ししたいぐらいです。数十年後を待つ必要なんか全然ないですし。今回もエールまた感謝と共に。
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