クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111

(P)アルフレッド・ブレンデル 1960年録音





Beethoven: Piano Sonata No.32 In C Minor, Op.111 [1. Maestoso - Allegro con brio ed appassionato]

Beethoven: Piano Sonata No.32 In C Minor, Op.111 [2. Arietta (Adagio molto semplice e cantabile)]


誰もが成し遂げることができなかったソナタとフーガの融合が為されている

ベートーベンの後期ソナタは聞き手に多くのものを要求するのですが、その中でももっとも要求する度合いが大きいのがこの最後の作品111のハ短調ソナタでしょう。
一般的には、この第1楽章において、誰もが成し遂げることができなかったソナタとフーガの融合が為されていることが指摘されるのですが、それではこの音楽を聞いてみて、その「融合」の何たるかを、さらに言えばその融合を成し遂げるためにベートーベンがどのような技術的労作を試みているのかを正確に聞き取れる人がどれほどいるのでしょうか。
いや、もっと言葉を継いでみれば、そう言うことをしっかりと意識をして演奏しているピアニストってどれほどいるのかな、とも思ってしまいます。

率直に言って、彼が第1楽章で成し遂げた労作の凄さは、そのあまりの複雑さゆえに私もよく分かりません。

フーガというのは基本的にポリフォニーの音楽であり、ソナタ形式はホモフォニーの音楽です。

ホモフォニックな音楽とは簡単にいってしまえば「伴奏と歌」で成り立っている音楽です。言うまでもなく「歌」が主であり「伴奏」が従です。
それに対して、ポリフォニックな音楽では全ての声部が平等であり、主役である「歌」と従者である「伴奏」には別れていません。

ポリフォニックな音楽のもっとも簡単な形が「カエルの歌」や「静かな湖畔」に代表される「輪唱」形式です。

これを3グループくらいに分けて歌うというのは小学生でも可能ですが、その3声が重なった部分をホモフォニックに見てみるととんでもなく複雑なことになっています。そして、言うまでもなく、この3グループ(3声)の間に何の上下関係も存在しません。
これをもう少し複雑にすると「カノン」になり、その究極の形が「フーガ」になるわけです。

「フーガ」とは最初に示された単純な主題をもとに、それを少しずつ形を変えながら積み上げていく形式です。積み上げていく声部が増えれば増えるほどとんでもなく複雑なことになっていくのですが、聞き手からしてみれば、どこまで行っても最初に示された主題が何度も繰り返されるので、音楽が見上げるような大伽藍になってしまってもその主題に出会うたびにほっと一息がつけます。

つまりは、「フーガ」というのは作る方にとっては大変な労力が求められるのですが、聞き手にとっては非常に親切で優しい形式なのです。
そして、その事はこの最後のピアノ・ソナタにも言えて、聞いているととんでもなく複雑なことになっているような気はするのですが、第1主題の最初の音型が何度も帰ってくるので、聞き手はその複雑さに足をすくわれることなく安心して聞いていることができます。ですから、この楽章は聞いている方にとっては「フーガ」的に聞こえます。

しかし、ベートーベンはそこにソナタ形式というもう一つの形式を持ち込んでいるらしいのです。
ホモフォニックな音楽というのは今では耳に馴染みがあるので聞きやすいように思えます。しかし、ポピュラー音楽のように5分程度で終わる小品ならば「Aメロ」と「Bメロ」と「サビ」くらいでまとめることができます。しかし、このソナタのような長大な音楽になるとそれだけでは間が持ちません。
そこで、その長い時間を持たせるためには構造が必要となります。そんな構造の一つがソナタ形式です。第1主題と第2主題を用意してそれをあれこれ展開させ、最後に第1主題を帰ってこさせる・・・みたいな複雑な構造ですね(^^v。

つまりは、ホモフォニックな音楽というのは規模が大きくなると複雑な構造が必要となり、聞き手はその構造を把握していないと何をやっているのか分からなくなってしまうのです。
ですから、こういう音楽は聞き手に一定の訓練を要求します。そして、クラシック音楽が少なくない人に拒否される原因の一つがそこにあります。
ですから、ベートーベンやブラームスはよく分かんないけどバッハなら楽しく聞けるという人がいるのですが、それは極めて正直な話だと思います。

そして、この第1楽章においてベートーベンが聞き手に要求しているのは、この基本的にフーガの姿をとりながらそれをソナタという形式にまとめ上げたところを聞き取ってほしいと言うことなのでしょう。
でも、そうなると、私も聞いていてよく分からないというのが正直なところなのです。
要は凡なだけですが。

それから、アリエッタと題された第2楽章はベートーベンが得意とした変奏曲形式で書かれています。
この変奏曲の一番の聞き所は、第1変奏からだ3変奏へとどんどん音価が短く刻まれていくところで、それはまるで20世紀のジャズ音楽を想起させると言われます。
そして、その極限まで短くなった細かい音符で緩やかに旋律が歌われていくところは一種異様な雰囲気を湛えた音楽になっています。

しかし、そう言う斬新さに満ちていながら、おそらく、ベートーベンが書いた数多い変奏曲の中でももっとも感動的な音楽の一つでしょう。
ただし、この楽章にはどのようなテンポ設定をとるのが相応しいのかという問題が常に横たわっています。

この変奏曲は冒頭の変奏主題と5つの変奏で成り立っているのですが、やりようによってはいくらでもテンポを落とすことが可能です。そして、テンポを落とせば落とすほどより深い精神性に満ちた世界が展開されるように聞こえる事は事実で、そこに仏教における「解脱」の領域を見いだす人もいるようです。(^^;

しかし、それでは「Adagio molto, semplice e cantabile」と指示しているベートーベンの意図との整合性が問われることになります。
つまりは「素朴に歌え(semplice e cantabile)」と言う指示をどのように受け取るかという問題なのですが、多くのピアニストは「素朴に歌う」よりは遅いテンポ設定で入念に歌い上げることで「己の深い精神性」を表明したとの欲望から逃れることは難しいようです。

すみずみまで考え抜かれた主情的な演奏


ブレンデルの録音活動は「Philips」と強く結びついています。
何しろ、同じレーベルで2度もベートーベンのピアノ・ソナタの全曲録音を行っているのです。一度目は1970年~1977年にかけて、2度目は1992年~1996年にかけてです。

ピアニストにしてみれば生涯で一度でも全曲録音が出来るならばそれは大いなる勲章ともなるべきものなのですから、同じレーベルで、それも「Philips」のようなメジャー・レーベルで2度も全曲録音を行うというのは破格の扱いです。
しかしなら、ブレンデルと「Philips」の結びつきは最初の録音をはじめた1970年からスタートするのであって、それ以前はアメリカの新興レーベルである「Vox」が彼にとっての活躍の場でした。そして、驚くことに、ブレンデルはこの「Vox」においてもベートーベンのピアノ・ソナタを全曲
録音しているのです。
さらに、協奏曲やバガテル、変奏曲などもほぼ全て取り上げていて、彼は「Vox」において、ベートーベンのピアノ音楽をほぼ全てコンプリートしているのです。
つまりは、ブレンデルは「Vox」にとっても重要な位置を占めるピアニストになっていくのであり、そして、その事を踏み台として「Philips」というメジャー・レーベルとの契約にたどり着くのです。

それにしても、その生涯で3度もベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音したピアニストというのは他にいるのでしょうか。
そう言えば、少し前にフルードリヒ・グルダが1953年から1954年にかけて全曲録音した音源が復刻されて(おそらく、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったのでしょう)、それを勘定に入れればDcca時代のモノラルステレオ混在の録音とAmadeoでのステレオ録音をあわせればグルダも生涯に3度という事になります。

しかしながら、最近復刻された1953年から1954年にかけての録音はウィーンのラジオ局によってスタジオ収録されたにも関わらず、結局は一度も陽の目を見ることはなかったのですから、これを勘定に入れて生涯に3度と言い張るのはいささか無理があるでしょう。
と言うことになれば、ブレンデルの生涯3度というのは異例のことだといえます。
それから、ついでながら言えば、著作権法の改訂によって隣接権の保護期間が50年から70年に延びたことで、グルダのAmadeoでのステレオ録音(1967年録音、1968年リリース)は、まさに目の前でスルリとパブリック・ドメインから身をかわしてしまいました。そして、事情は1970年から開始されたブレンデルの録音も同様であって、それらがパブリック・ドメインの仲間入りすることは大きく遠のいてしまいました。

そうなってみると、1962年から1964年にかけて録音された「Vox」での全集録音はパブリック・ドメインという観点から見ればとても貴重なものだといえます。そして、その録音を今回あらためて聞き直してみて、すみずみまで考え抜いた上で極めて叙情性と主情性の強い演奏であることに気づかされました。
「Vox」時代のブレンデルの演奏は、最初は一刀彫りのような荒々しさが残っていたものが、1962年にピアノ・ソナタを手がける頃には次第に丁寧に作品を彫琢していくように変化していくのが分かります。

誰が言った言葉かは忘れましたが、あるピアニストが、聞き手からは高い人気と評価を得ているがプロのピアニストからの評価が低い人物としてバックハウスとブレンデルの名前を挙げていました。
この「聞き手からは高い人気」という言に異論はないでしょう。バックハウスもブレンデルも大衆的な人気と評価があったが故に、彼ららはそれぞれ2度、3度と全曲録音を行えたのです。しかしながら、後者の「プロのピアニストからの評価が低い」という事については、バックハウスに関しては(とりわけ晩年のステレオ録音)ある程度理解できる部分があるのですが、ブレンデルに関しては何故にそう言う評価が出てくるのかはよく分かりません。

実は、私などは、長きにわたってブレンデルというのはそれほど良く聞くピアニストではありませんでした。確かに、どの作品を聞いても良く考え抜かれた演奏であって、技術的にも申し分なく些細な隙も見いだせないような人だという認識がありました。しかし、それは裏返せば、何をやってもソツはないものの平均的な演奏を突き破る驚きにかけたピアニストと言う印象があったのです。ですから、どうして彼に人気があるのかが不思議だったのですが、現実は3度も全曲録音するほどの聞き手からの後押しがあったのです。
ですから、私などは、さぞや専門家からの評は高いんだろうけれど、その良さが私には分からないんろう、ななどと考えていたものです。

しかし、そう言うブレンデルへの評価はこの「Vox」での全曲録音を聞いてみて私の中で大きく変化しました。
その演奏は最初にも少しふれたように、平均的でソツがないどころか、実に叙情性にあふれた聞き手の心の琴線に触れてくる演奏だったのです。おそらく、普通の人はベートーベンのピアノ・ソナタを同一のピアニストで全曲聴くなどと言うことは殆どやらないと思います。しかし、今回彼の演奏でじっくりと聞いてみれば、どうやら私が勝手に思いこんでいた姿とは随分と異なることに気づかされました。

何故ならば、70年代のステレオ録音から何枚かを聞き直してみたのですが、それもまた十分すぎるほどに叙情性の強いベートーベンになっていることに気づかされたのです。しかし、あまりにもすみずみにまで配慮が行き届き、その配慮されたものが極めて高い完成度で演奏されているが故に、その完成度の方に耳が奪われて平均的でソツのない演奏と聞き間違えてしまったのです。

この「Vox」での演奏を聞いていると。「悲愴」とか「月光」とか「アパショナータ」というようなタイトル付きの有名作品よりも、どちらかと言えば地味なナンバーだけの作品の方が魅力的に聞こえます。いや、それは言い方が逆かも知れません。有名な作品の良さはすでによく知っているので「今さら」という感じなのですが、あまり聞く機会の少ない地味なソナタに関しては「これってこんなにも美しい場面が散りばめられているんだ」という事に気づかせてくれるのです。

確かに、こういうアプローチだと、「ワルトシュタイン」とか「アパショナータ」のように、デュナーミクの拡大によって今までは考えられなかったような「巨大さ」を追求したような作品では物足りなさがあるかもしれません。後期の30番から32番の3作品に関しても、とりわけ30番と31番に関してはいささか硬直したような雰囲気があって、いささか物足りなさを感じたことは正直に申し述べておかなければ行けません。
しかし、全体的に見れば、若きブレンデルのあふれるようなロマンティシズムが高い完成度で表白されているこの全集の価値は小さくはないかと思います。ただ、いささか残念なのは、現時点では初期ソナタの音源が私の手もとにないので、全集としてコンプリート出来ないことです。すでにこの録音は廃盤となっているようなので、メットか中古レコード店をまわるしかないようです。

それから、余談ながら、ブレンデルという人は80年代から90年代にかけては、疑いもなく時代を代表するピニストだったのですが、その名前を聞かなくなってから随分と時が経ちます。ですから、すでに鬼籍には入られたのかと思っておられる方も多いかと思うのですが、実は今(2019年)も存命です。
音楽家というのは、とりわけ指揮者とピアニストは「死ぬまで現役」という人が多いのですが、ブレンデルは珍しくも77歳で現役を引退したのです。2008年12月18日のウィーン・フィルとの公演がラスト・コンサートだったそうです。

そして、その後は教育活動に力を入れることになり、今も元気にレクチャーを行っているようです。
ブレンデルのピアノの特徴を一言で言えば、徹底的に考え抜かれた解釈によって繊細極まる造形を行うことにあります。それ故に、その様な完璧性が保持できなくなった時に、潔く撤退するだけの鋭い自己批判力があったと言うことなのでしょう。
私はこの潔さからしても、「プロのピアニストからの評価が低い」という言にはどうしても賛同できないのです。

引退した後のブレンデルのレクチャーを聴いた人の話によると、90歳を目前にした時でもピアノの腕前はそれほど衰えていないように感じたそうです。
しかしながら、それもまた気楽な聞き手ゆえに言える言葉なのでしょう。

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