クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 1962年11月録音





Wagner:Die Meistersinger Von Nurnberg Prelude


苦みのきいた喜劇

マイスタージンガーはワーグナーが作曲した唯一の喜劇と言うことになっています。ですから、ベックメッサー役に演技力が必要になるようで、私がウィーンで見たときもこのベックメッサー役に評判が集まっていました。
しかし、面白味というものはその国と民族の文化に深く根ざしているようで、評判だというベックメッサーの演技も私には単なるオーバーアクションのように感じられて目障りでさえありました。ですから、日本人にとってこの作品を本当に「喜劇」として楽しむのは難しいだろうなと思った次第です。

それよりも、最終幕でマイスタージンガーたちが入場してくる場面のゾクゾクするような高揚感と、その後の圧倒的な盛り上がりに身も心も翻弄されて、その凄さにただただ感心する方がこの作品は受容しやすいのかもしれません。

何しろ長い作品ですから、5時開演で終わったのが10時半ごろでした。ただただ長くて、おまけに「喜劇的なやりとり」は暗い場面で延々と続くので正直言ってそう言う場面は退屈してしまいます。
少しは耳になじんでいる有名なアリアなんかだと遠のきかけた意識も戻るのですが、そうでない場面だとどうしてもうとうとと居眠りをしてしまいます。そして、再び意識が戻ってみても、居眠りをする前と何も変わることなく舞台の上で二人の男がやりとりしているので、これは大変なものだと心底恐れ入ったものです。

正直申し上げて、オペラという形式に慣れていない人にとって、この作品を最後まで聞き通すのはかなり敷居が高いと思います。
その事は、マイスタージンガーだけでなく、トリスタンにしてもパルジファルにしてもワーグナーの楽劇では事情は全て同じようなものです。

しかし、そんな中でもこのマイスタージンガーは私にとっては一番聞き通すのが困難だった作品です。なぜならば、トリスタンやパルジファルは難しいことは分からなくても、音楽の流れに身を浸していると、たとえようもない陶酔感につつまれていきます。
聞き手にしてみれば、その様な陶酔感につつまれているだけでもう十分だと思うことが出来ます。
また、これ以上に巨大な指輪にしても、聞いていくうちに4楽章構成の巨大なシンフォニーを聴いているような気分になることが出来ます。そう思ってくると、聞き続けるための手がかりみたいなものが自分の中に見えてきます。

ところが、このマイスタージンガーにはトリスタンのような陶酔感はありませんし、リングから感じ取れるような構成感も稀薄です。
ただ、最終幕の圧倒的な音楽の威力には正直言ってたまげました。

そして、その音の威力は残念ながらオーディオを通しては感じ取ることが出来ないものでした。もう少し正確に言えば、到底オーディオというシステムの中には入りきらないほどの巨大さがこの作品にはあります。

聞き手にしてみれば、長い長い忍耐の末に、最後の最後に一気に開放されるわけで、その巨大さに「これ以上の音楽はない!!」という思いにさせてくれます。
そして、その最後の最後のクライマックス場面で「神聖ローマ帝国は露と消えても、我がドイツ芸術は永遠に不滅なり!!我らがザックス万歳!ハイル ザックス!!」と絶叫して終わるのですから、その意味では使い方を間違うと本当に怖い音楽になります。

ナチスはこの「ハイル ザックス!」の先に「第3帝国の永遠の不滅性」と「ハイル ヒトラー!!」をだぶらせたのですが、その2つが何の不整合を感じずにシームレスにつながっていく感触をその時リアルに感じてちょっと怖くなったものです。
もちろんその事はワーグナーに何の責任もない話ではありますが・・・。

深々と沈潜していくワーグナー、外に向かってエネルギーを放出するワーグナー


クナパーツブッシュのことを、「徒弟修行的な音楽の世界にあっては珍しいほどの知性派であり、それ故に劇場的継承を取りあえずは無批判に受け容れて己の腕を磨くという体育会的スタンスとは遠い位置にあった」と書きました。
しかし、この様な書き方をすると、クナパーツブッシュという人はそう言う伝統とは無関係のところで自分勝手に音楽を作りあげたのかという誤解を招くかもしれません。

もちろん、そんな事はないのであって、バイロイト音楽祭でハンス・リヒターの助手として潜り込むことから彼のキャリアはスタートしているのです。それは無給の使い走りのような仕事だったのですが、ハンス・リヒターやカール・ムックのような偉大な芸術家と出会えたことが自らの成長に深い影響を与えたと述べています。

そして、その後は故郷のエルバーフェルトの歌劇場を振り出しに各地の歌劇場を渡り歩き、1922年にバイエルン州立歌劇場の音楽監督のポストを手に入れているのです。
それは、ヨーロッパにおける指揮者の典型的なキャリアの積み上げ方でした。

ですから、彼がその様な劇場的継承によって引き継がれる「伝統」を知らないはずはないのです。
それこそ「知り尽くしていた」はずです。
しかし、その「重み」を知り尽くしていながら、それでもその「重み」を言い訳にして唯々諾々と「伝統」に従うことを良しとはしなかったのです。

クナパーツブッシュが指揮の基本を学んだのは、ブラームスの権威と言われていたケルン音楽院のシュタインバッハでした。そして、同じ時期にフリッツ・ブッシュもまた、シュタインバッハに指揮を学んでいました。
そのフリッツ・ブッシュが、シュタインバッハの言うことを聞かずにワーグナーに入れあげるクナパーツブッシュの事を、「無能だ」「今すぐ音楽をやめるべきだ」と酷評していたという思い出を語っています。
そして、ブッシュ自身も、新しい音楽的潮流にばかり興味を示してシュタインバッハの言うことを聞こうとしないので、クナパーツブッシュと同じよう「無能だ」「今すぐ音楽をやめるべきだ」と酷評されたらしいのです。

しかし、時が流れて名を残す指揮者となったのは無能だと酷評されたクナパーツブッシュとフリッツ・ブッシュでした。

この手の話は音楽だけに限らず、どの世界でもある話です。
そして、無能呼ばわりされたにも関わらず、クナパーツブッシュはシュタインバッハに深く感謝をしていたようで、彼が得意としたブラームスの演奏に関して「シュタインバッハの真似をしているだけです。」と、本気とも冗談とも取れるような事を述べているのです。
ブッシュもまた、シュタインバッハの教え方に問題があったわけではなく、結局は学生たちの資質に起因する問題だったと述べています。

つまりは、彼はホンの駆け出しの頃から、伝統の重みを学びながらもその中に安住するつもりはなかったのです。
そして、その伝統に安住しないクナパーツブッシュの特異な音楽に多くの日本人は引きつけられてきたのかもしれないのです。

しかしながら、そう言う特異な音楽の横に、伝統というものの上にしっかりと根を張った演奏を持ってきてみると、時にはその「アンチ・伝統」みたいなクナパーツブッシュの音楽が上手くいっていないのではないかと思うときもあるのです。
何故にその様なことを感じたのかというと、この1ヶ月ほど、ルドルフ・ケンペの50年代から60年代にかけての録音をまとめて聞く機会があったからです。
彼の指揮によるワーグナーを聴いていると、「伝統」というものが持っている力をまざまざと見せつけられるのです。

「Decca」の名物プロデューサーだったカルショーはケンペのことを「徹底的な保守主義者」、「新しいことに全く関心を示さない指揮者」だと述べていました。
おそらく、ケンペと言う人は若い頃から「才能のある優等生」だったのでしょう。

そのようなケンペによるワーグナーは、伝統という豊かな土壌の中にしっかりと根を張った「立派な」ワーグナーなのです。
クナパーツブッシュの音楽がひたすら内へ内へと沈潜していくのに対して、ケンペのワーグナーはワーグナーという男に相応しいエネルギーを外に向かって放出していくのです。

もちろん、沈潜していくクナパーツブッシュの音楽にも巨大なエネルギーが内包されているのですが、そのエネルギーはマイナスエネルギーです。
それ故に、ミュンヘンフィルと録音した一連のワーグナー作品の中では、マイスタージンガーやローエングリンの前奏曲、さまよえるオランダ人の序曲などはあまり上手くいっていないように思うのです。
やはり、こういう音楽は外に向かってプラスのエネルギーを放出するものとして聞きたいのです。

もちろん、ワーグナーの音楽をケンペのようにひたすら逞しく、そして明るく演奏することに疑問を感じる(根暗な・・・^^;)人はいるかもしれません。
ですから、それを持って優劣を論ずるのはナンセンスではあるのですが、「伝統」というものを対称軸としてこの二人は鮮やかな対比を見せてくれる事は間違いありません。

よせられたコメント

2022-03-26:大串富史


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