ブラームス:ハンガリー舞曲集(第1番~第10番)
(P)ジュリアス・カッチェン:1964年10月12日~14日録音
Brahms:21 Hungarian Dances (Piano), WoO 1 [1.Allegro molto (G minor)]
Brahms:21 Hungarian Dances (Piano), WoO 1 [2.Allegro non assai (D minor)]
Brahms:21 Hungarian Dances (Piano), WoO 1 [3.Allegretto (F major)]
Brahms:21 Hungarian Dances (Piano), WoO 1 [4.Poco sostenuto (F minor)]
Brahms:21 Hungarian Dances (Piano), WoO 1 [5.Allegro (F Sharp minor)]
Brahms:21 Hungarian Dances (Piano), WoO 1 [6.Vivace (D Flat major)]
Brahms:21 Hungarian Dances (Piano), WoO 1 [7.Allegretto (F major)]
Brahms:21 Hungarian Dances (Piano), WoO 1 [8.Presto (A minor)]
Brahms:21 Hungarian Dances (Piano), WoO 1 [9.Allegro non troppo (E minor)]
Brahms:21 Hungarian Dances (Piano), WoO 1 [10.Presto (E major)]
ジプシー音楽を下敷きにした作品
ブラームスのハンガリー舞曲と言えば、第5番だけが突出して有名です。それはきっと、チャップリンが「独裁者」の中で見事に使って見せたことが大きく寄与しているのでしょう。
しかし、ハンガー舞曲は第5番だけではありません。それ以外にも素敵なメロディがあふれていて、ある意味、その手の才能に恵まれなかったブラームスにしては「愛想」のよい作品に仕上がっています。
この作品が書かれることになるきっかけは、若きブラームスがエドゥアルト・レメーニというヴァイオリニストの伴奏ピアニストとしてどさ回りをしていた頃にさかのぼります。
レメーニはジプシー・スタイルの演奏が持ち味で、暇があればジプシー音楽を演奏していました。ブラームスはその音楽が気に入ったようで、暇があればレメーニが演奏するジプシー音楽をメモしていました。そして、そのメモをもとに少しずつ作品として仕上げていったものがハンガリー舞曲集となったわけです。
ですから、後にブラームスがハンガリー舞曲集を発表したときも、「作曲」とはせずに「編曲」とし、さらに作品番号も与えませんでした。
しかし、このブラームスらしい「謙虚」な姿勢があとから彼を救うことになります。
この作品は当初は出版を断られるのですが、後にブラームスの重要なパートナーとなるジムロックが出版を引き受けます。そして、一般家庭にピアノが普及しはじめた社会情勢も追い風となって、この楽譜は飛ぶように売れます。それは、ジムロックだけでなくブラームスにも大きな経済的成功をもたらすことになります。
この成功を見て頭にきたのがレメーニでした。自分が教えてやったジプシーの音楽を勝手に使って、ブラームス一人だけ大もうけしていたのが許せなかったのでしょう。彼はことあるごとに、ブラームスを自分の作品を盗んだ男だと攻撃しました。
ブラームスはこの攻撃に対して静観を決めつけていたようですが、黙っていられなかったのはジムロックの方だったようで、ついにレメーニとジムロックは裁判で白黒をつけることになります。結果は、ブラームスが「作曲」とはせずに「編曲」とした事、そもそも原作者そのもの特定が難しいことなどから、レメーニの敗訴で決着します。
しかし、この裁判によって、ブラームスは続く第3集・第4集においては出来るかぎり自作の旋律を使うようになり、さらにジプシーの音楽を使うときも徹底的に編曲を施して「盗作攻撃」を受けないように配慮するようになりました。
結果として、前半の10曲と後半の10曲ではずいぶんテイストが変わってしまいました。明らかに、後半の作品の方がブラームス的な洗練を感じますが、前半の作品に見られた奔放なジプシーらしさは失われています。
よって、当然のことながら今も昔も人気が高い作品は前半10曲に集中することになります。
ブラームスは間違いなく偉大な作曲家ですが、この事実の中に彼の唯一とも言えるウィークポイントが浮かび上がってきます。
<第1集>
1. ト短調 (Allegro molto)
2. ニ短調 (Allegro non assai)
3. ヘ長調 (Allegretto)
4. ヘ短調 (Poco sostenutto)
5. 嬰ヘ短調 (Allegro)
<第2集>
6. 変ニ長調 (Vivace)
7. イ長調 (Allegretto)
8. イ短調 (Presto)
9. ホ短調 (Allegro non troppo)
10. ホ長調 (Presto)
<第3集>
11. ニ短調 (Poco andante)
12. ニ短調 (Presto)
13. ニ長調 (Andantino grazioso)
14. ニ短調 (Un poco andante)
15. 変ロ長調 (Allegretto grazioso)
16. ヘ短調 (Con moto)
<第4集>
17. 嬰ヘ短調 (Andantino)
18. ニ長調 (Molto vivace)
19. ロ短調 (Allegretto)
20. ホ短調 (Poco allegretto)
21. ホ短調 (Vivace)
早世のピアニスト
カッチェンと言っても、今ではそれ誰?と言う方も多いのではないでしょうか。ですから、今回は簡単にこの早世のピアニストについて紹介しておきます。
彼は音楽的にはサラブレッドとも言うべき環境の中で育ちました。一族の大部分が音楽の先生や演奏家であり、弁護士だった父もアマチュアの域を超えるほどのヴァイオリニストだったそうです。そんな環境の中で、ピアニストだった祖母がカッチェンにピアノを教え、音楽院の先生だった祖父が理論を教えたそうです。
おかげで、わずか10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番を演奏会で弾いてデビューするという早熟の天才でした。
まあ、ここまではこの世界ではよくある話です。凄いのはここからです。
弁護士だったカッチェンの父は正規の教育をきちんを受けるべきだという信念を持っていたようで、彼はその父の信念に沿って音楽学校には進まず、普通の高校からHaverford Collegeへ進学します。専攻は哲学と英米文学だったようで、彼はこのカレッジの4年の過程を3年で終えて、なおかつ首席だったそうです。当然その間はピアニストとしての活動は一切行わなかったのですが、「知的好奇心を育ててくれたことで、レパートリーとしてより精神的な面でチャレンジングな作品への関心を持つようになった」と彼は肯定的に語っています。
また、子供時代のカッチェンは水泳選手や卓球選手として活躍し、家でピアノの練習をしていないときは庭で野球をするのが大好きだったそうです。昨今のステージママが聞けば卒倒しそうな話ですが、彼は平気でボール運動を楽しんでいたようです。
このことが彼の常人とは思えないパワフルな演奏活動の基礎を築いたと言えそうです。
つまり、カッチェンとはどんなピアニストだったのかと聞かれれば、「知的なブルドーザー」と言えそうなのです。
彼の音楽に対するアプローチは感性よりは理詰めの知的な構成を特徴としていました。しかし、そう言うアプローチから想像されるようなか弱さは微塵もなかったのがカッチェンというピアニストの特徴でした。タッチは力強くクリアで、音量もたっぷりある聞き映えのするピアニストだったようです。
さらに凄いのはそのスタミナで、彼は1日12時間の練習を平然と続けたそうです。
コンサートにおいてもベートーヴェンの第3番にラフマニノフの第2番、さらにブラームスの第2番の3つのピアノ協奏曲を一気に演奏したり、シューベルトのピアノソナタ第21番、ベートーヴェンのディアベリ変奏曲を弾いた後でアンコールとしてベートーヴェンの熱情ソナタ全楽章を演奏する・・・なんて言うことをちょくちょくやったようです。
聴衆は大喜びか、吐き気がしたかのどちらかでしょうが、まあすさまじいスタミナです。
そんな超人ピアニストだったカッチェンがどうして記憶の彼方に消えようとしているのかと言えば、おそらくはそう言うハードワークが祟ったのでしょう、わずか42歳で肺ガンのためにこの世を去ったのです。
ある人は、そのバイタリティに富み陽気な42年の人生を振り返って「カッチェンの限界を知らない興味と活力と昼夜の別ない生活は、ボードレールのように、1度の人生でその3倍の人生を生きたということをまさに表している。彼が4月に亡くなった時、カッチェンは42歳ではなく、126歳だったんだ。」と語ったほどです。
歴史にイフはありませんが、彼がもう少し長く活動を続ける事が出来ていれば、ピアニスト業界の絵地図も随分変わったものになったことでしょう。
なお、ここで紹介している二つのブラームスの変奏曲は、そんなカッチェンの特徴がもっともよく出ている優れた演奏だと思います。彼は60年代の初めにももう一度この二つの変奏曲を録音していますが、どちらも優れた演奏であり、今もってこの作品の一つのスタンダードとしての位置を占めています。
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