チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
(vn)クリスチャン・フェラス コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1957年6月26日~28日録音
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [1.Allegro moderato - Moderato assai]
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [2.Canzonetta. Andante ]
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [3.Finale. Allegro vivacissimo]
演奏不能! ?初演の大失敗!
これほどまでに恵まれない環境でこの世に出た作品はそうあるものではありません。
まず生み出されたきっかけは「不幸な結婚」の破綻でした。これは有名な話のなので詳しくは述べませんが、その精神的なダメージから立ち直るためにスイスにきていたときにこの作品は創作されました。
ヴァイオリンという楽器にそれほど詳しくなかったために、作曲の課程ではコテックというヴァイオリン奏者の助言を得ながら進められました。
そしてようやくに完成した作品は、当時の高名なヴァイオリニストだったレオポルド・アウアーに献呈をされるのですが、スコアを見たアウアーは「演奏不能」として突き返してしまいます。ピアノ協奏曲もそうだったですが、どうもチャイコフスキーの協奏曲は当時の巨匠たちに「演奏不能」だと言ってよく突き返されます。
このアウアーによる仕打ちはチャイコフスキーにはかなりこたえたようで、作品はその後何年もお蔵入りすることになります。そして1881年の12月、親友であるアドルフ・ブロドスキーによってようやくにして初演が行われます。
しかし、ブドロスキーのテクニックにも大きな問題があったためにその初演は大失敗に終わり、チャイコフスキーは再び失意のどん底にたたき落とされます。
やはり、アウアーが演奏不能と評したように、この作品を完璧に演奏するのはかなり困難であったようです。
しかし、この作品の素晴らしさを確信していたブロドスキーは初演の失敗にもめげることなく、あちこちの演奏会でこの作品を取り上げていきます。やがて、その努力が実って次第にこの作品の真価が広く認められるようになり、ついにはアウアー自身もこの作品を取り上げるようになっていきました。
めでたし、めでたし、と言うのがこの作品の出生と世に出るまでのよく知られたエピソードです。
しかし、やはり演奏する上ではいくつかの問題があったようで、アウアーはこの作品を取り上げるに際して、いくつかの点でスコアに手を加えています。
そして、原典尊重が金科玉条にようにもてはやされる今日のコンサートにおいても、なぜかアウアーによって手直しをされたものが用いられています。
つまり、アウアーが「演奏不能」と評したのも根拠のない話ではなかったようです。ただ、上記のエピソードばかりが有名になって、アウアーが一人悪者扱いをされているようなので、それはちょっと気の毒かな?と思ったりもします。
ただし、最近はなんと言っても原典尊重の時代ですから、アウアーの版ではなく、オリジナルを使う人もポチポチと現れているようです。でも、数は少ないです。クレーメルぐらいかな?
やっぱり難しいんでしょうね。
平均点では見えてこないもの
先に紹介したフランクとフォーレのヴァイオリンソナタの一ヶ月後に、この二つの協奏曲が録音されています。伴奏はシルヴェストリ&フィルハーモニア管です。
フェラスのチャイコフスキーと言えば、一般的にはカラヤン&ベルリンフィルで録音した1965年盤が一般的です。しかし、この二つの録音を聞き比べてみると、この10年足らずの間にクラシック音楽の世界が大きく変わってしまったことがよく分かります。
カラヤンの録音を聞くとき、私たちはいわゆる「巨匠達」の世界が終焉したことをはっきりと感じざるを得ません。外観上は一切の恣意性が排除され、スコアに書き込まれた音符達が機能的なオケによってこの上もなく精緻で美しい響きへと変換されていきます。
そこにはもう、フルトヴェングラーが君臨していた古き良き時代の面影は跡形もなく消え去っています。
しかし、カラヤン達の若い世代が巨匠達の二番煎じに陥ることを拒否するならば、言葉をかえれば、過去の巨匠達とは異なる価値観に基づいて新しい世界を切り開いていこうとするならば、避けて通れない変化だったことも納得させてくれる演奏です。
何度も繰り返しますが、その事をもって「昔の巨匠達は偉かった、それと比べれば後に続く世代は粒が小さい・・・」みたいな物言いは根本的に間違っています。
過去のある時代の価値観を絶対視し、それを価値判断の基準として後の世代に駄目出しをするのは、愚かな年寄りの愚痴でしかないのです。
それからもう一つ、この録音を聞くと、フェラスもまたその様な新しい表現に自らのヴァイオリンを添わせていこうと奮闘している姿が手に取るように分かります。
しかし、悲しいかな、フェラスの本質は明らかに古き良き巨匠達の時代にありました。
その事は、先に紹介したフランクやフォーレのヴァイオリンソナタを聞けば明らかです。
そう言えば、彼が幼い時代に学んだ師はカペーでした。
そんな出自を持つヴァイオリニストがかくも機能的なカラヤンの世界に添っていくというのは、たいへんな自己変革を求められた事でしょう。
もっと分かりやすく表現すれば、「随分と無理してるなぁ!」と言うことです。
それと比べると、この57年に録音されたシルヴェストリとの録音では、フェラスは実に楽しげで自由です。
そこでは、何よりもフェラスが感じたチャイコフスキーの世界を、自らの美音でもって何の疑いもなく自由に描ききっています。そして、それをサポートするシルヴェストリもまた同じベクトルをもった音楽家なので、そんなフェラスの美質が引き立つようにオケをコントロールしてくれています。
確かに、作品のプロポーションと言うことで言えば、間違いなくカラヤンとの65年盤の方がすぐれています。
おそらく、演奏という行為を幾つかの観点に細分化して得点化すれば、平均点が高くなるのは間違いなくカラヤンとの競演盤です。そして、そう言う演奏が持っている魅力は決して否定しません。
しかし、音楽というのは、その様な立派さだけで成り立っているものではないことも、このシルヴェストリとの録音は教えてくれます。
音楽は減点法では採点できません。
この57年盤の主観に徹したロマンティックな表現には、他に抜きんでた魅力があります。
なお、メンデルスゾーンの方は、何故かカラヤンはフェラスとは録音をしていません。
残念なことです。
もしも、これと同じ時期に録音を残してくれていれば、この時代の変化、主観に重きをおいた時代から客観性に重点が移っていくこの時代の変化がもっとはっきりと刻印されたことでしょう。
何故ならば、作品が持つ「灰汁」と、フェラスの持つ「灰汁」がまさにピッタリ一致するからです。
メンゾルスゾーンという舞台を得て、さらには、シルヴェストリという心強いサポートを得て(^^;、フェラスが持つ主観性の強い表現が内包している魅力は思う存分に発揮されています。
こういう表現が大手を振って表通りを歩いていた時代もあったのです。
昔は良かったという年寄りの愚痴には気をつけながら、失われた昔の「美」に思いをはせるのもまた楽しからずやです。
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