チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1957年2月19日&20日録音
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [1.Adagio - Allegro non troppo]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [2.Allegro con grazia]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [3.Allegro molto vivace]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [4.Adagio lamentoso]
私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。
チャイコフスキーの後期の交響曲は全て「標題音楽」であって「絶対音楽」ではないとよく言われます。それは、根底に何らかの文学的なプログラムがあって、それに従って作曲されたというわけです。
もちろん、このプログラムに関してはチャイコフスキー自身もいろいろなところでふれていますし、4番のようにパトロンであるメック夫人に対して懇切丁寧にそれを解説しているものもあります。
しかし6番に関しては「プログラムはあることはあるが、公表することは希望しない」と語っています。弟のモデストも、この6番のプログラムに関する問い合わせに「彼はその秘密を墓場に持っていってしまった。」と語っていますから、あれこれの詮索は無意味なように思うのですが、いろんな人が想像をたくましくしてあれこれと語っています。
ただ、いつも思うのですが、何のプログラムも存在しない、純粋な音響の運動体でしかないような音楽などと言うのは存在するのでしょうか。いわゆる「前衛」という愚かな試みの中には存在するのでしょうが、私はああいう存在は「音楽」の名に値しないものだと信じています。人の心の琴線にふれてくるような、音楽としての最低限の資質を維持しているもののなかで、何のプログラムも存在しないと言うような作品は存在するのでしょうか。
例えば、ブラームスの交響曲をとりあげて、あれを「標題音楽」だと言う人はいないでしょう。では、あの作品は何のプログラムも存在しない純粋で絶対的な音響の運動体なのでしょうか?私は音楽を聞くことによって何らかのイメージや感情が呼び覚まされるのは、それらの作品の根底に潜むプログラムに触発されるからだと思うのですがいかがなものでしょうか。
もちろんここで言っているプログラムというのは「何らかの物語」があって、それを音でなぞっているというようなレベルの話ではありません。時々いますね。「ここは小川のせせらぎをあらわしているんですよ。次のところは田舎に着いたうれしい感情の表現ですね。」というお気楽モードの解説が・・・(^^;(R.シュトラウスの一連の交響詩みたいな、そういうレベルでの優れものはあることにはありますが。あれはあれで凄いです!!!)
私は、チャイコフスキーは創作にかかわって他の人よりは「正直」だっただけではないのかと思います。ただ、この6番のプログラムは極めて私小説的なものでした。それ故に彼は公表することを望まなかったのだと思います。
「今度の交響曲にはプログラムはあるが、それは謎であるべきもので、想像する人に任せよう。このプログラムは全く主観的なものだ。私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」
チャイコフスキーのこの言葉に、「悲愴」のすべてが語られていると思います。
オケのプロ根性
シルヴェストリのチャイコフスキーの中では一番尖っているのが第4番の交響曲でした。
それに対して、もっとも真っ当なのがこの第6番「悲愴」です。ここには、あの無茶苦茶な第4番の影すらありません。
そう言う意味では、ドヴォルザークの9番に対応するのがチャイコフスキーの4番であり、7番に対応するのが6番「悲愴」なのかもしれません。
- 交響曲第4番 ヘ短調 作品36:フィルハーモニア管弦楽団 1957年2月15日&18日録音
- 交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」:フィルハーモニア管弦楽団 1957年2月19日&20日録音
- 交響曲第5番 ホ短調 作品64:フィルハーモニア管弦楽団 1957年2月21日&22日録音
あの無茶苦茶な4番を録音した翌日に、全く人が変わったように真っ当な「悲愴」を提示されたのですから、フィルハーモニア管の連中も驚いたでしょう。しかし、さすがは録音活動に特化されたオケだけあって、淡々と指揮者の指示に従って「やるべき事はやっていますよ!」と言うプロ根性が凄いです。
基本的にはゆったりとしたテンポで息長く音楽を歌い上げています。ですから、盛り上がるべきところも、長い坂道を少しずつ登りつめていくような風情があるので、音楽は「動的」であるよりは「静的」なもののように聞こえます。それが、場合によってはもう少しエッジが立って推進力がほしいような場面ではもどかしさにも繋がっているようです。
もちろん、この「静かな」表現を良しとする人にとってはそんな事は何の問題にもならないでしょうし、シルヴェストリ自身もその様な方向性は最初から捨てていることは明らかです。
ただし、聞き終えてみて感じるのは、やはりこの表現スタイルは「古い」と言うことです。戦前のフルトヴェングラーがやっていたような音楽の形が透けて見えるような気がするのは私だけでしょうか。
それともう一つ気になったのは、この「悲愴」だけに限らず、何処かオケの響きが「浅い」ような気がするのです。これは録音の問題もあるので、そう軽々には判断できないのですが、十分にオケが鳴り切っていないような気がするのです。
それは、ひっくり返してみれば、シルヴェストリ自身はオケの響きに関してはあまり多くを要求せず、逆に今ある響きの上に乗っかって「音楽の形」だけを指示しているような気がするのです。
そう言えば、彼はこの後にイギリスのボーンマス交響楽団の首席指揮者に就任するのですが、そこではほとんど話題になるような音楽活動はできませんでした。
ボーンマス交響楽団と言えば、このシルヴェストリの後を受けてベルグルンドが首席指揮者に就任して、そのコンビですぐれたシベリウスの交響曲全集を完成させています。
この2流(3流?)のオケを通して時代を接する二人の指揮者を並べてみれば、その気質の違いがよく見えてきます。
ベルグルンドは自分の理想とする音楽を実現するためにオケを鍛え上げ、そしてその理想を実現するためにオケに対する要求レベルを下げることはありませんでした。
それに対して、シルヴェストリにはオケを鍛えるという発想は全くなかったようです。彼にとって、目の前にあるオケの響きは「前提」であって、後はそれを使って自分の考える「音楽の形」を伝えるのが指揮者の役割と考えていたようです。オケからすれば五月蠅いことを言わない指揮者なので歓迎されたでしょうが、それで意味ある音楽活動が出来るほどこの世界は甘くはありません。
「爆裂指揮者」という有り難くないレッテルは、その大部分がこのボーンマス時代の演奏と録音に起因します。
この辺のオケとの関係性においても、シルヴェストリは「古い」タイプの指揮者だったと言えそうな気がします。
よせられたコメント
2016-03-01:emanon
- 第1楽章の前半、音楽はおずおずと進行していきます。展開部に至ってようやくエンジンがかかって音楽が本格的に動き出します。第2楽章は品の良い演奏です。第3楽章は整った演奏です。後半の行進曲部分では落ち着いた進行ですが、コーダで幾分テンポを速めています。第4楽章の第1主題は一音づつ音を切ってユニークな効果を挙げています。それにしては第2主題はあっさり処理されています。第1主題の再現では普通につなげて演奏されています。全体に中間楽章はまともな解釈で、両端楽章で手練手管を発揮しているといえるでしょう。
得点は7点です。この曲は、直近にマルケヴィッチの斬新で颯爽とした演奏を聴いています。それと比べるとこの演奏は幾分持って回った感じはありますが、シルヴェストリのチャイコフスキーの中では一番おもしろく聴けました。
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