クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」

カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1955年5月17,21,23,24,27日 & 1956年6月18日録音





Tchaikovsky:交響曲第6番「悲愴」 第1楽章

Tchaikovsky:交響曲第6番「悲愴」 第2楽章

Tchaikovsky:交響曲第6番「悲愴」 第3楽章

Tchaikovsky:交響曲第6番「悲愴」 第4楽章


私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。

 チャイコフスキーの後期の交響曲は全て「標題音楽」であって「絶対音楽」ではないとよく言われます。それは、根底に何らかの文学的なプログラムがあって、それに従って作曲されたというわけです。
 もちろん、このプログラムに関してはチャイコフスキー自身もいろいろなところでふれていますし、4番のようにパトロンであるメック夫人に対して懇切丁寧にそれを解説しているものもあります。
 しかし6番に関しては「プログラムはあることはあるが、公表することは希望しない」と語っています。弟のモデストも、この6番のプログラムに関する問い合わせに「彼はその秘密を墓場に持っていってしまった。」と語っていますから、あれこれの詮索は無意味なように思うのですが、いろんな人が想像をたくましくしてあれこれと語っています。

 ただ、いつも思うのですが、何のプログラムも存在しない、純粋な音響の運動体でしかないような音楽などと言うのは存在するのでしょうか。いわゆる「前衛」という愚かな試みの中には存在するのでしょうが、私はああいう存在は「音楽」の名に値しないものだと信じています。人の心の琴線にふれてくるような、音楽としての最低限の資質を維持しているもののなかで、何のプログラムも存在しないと言うような作品は存在するのでしょうか。
 例えば、ブラームスの交響曲をとりあげて、あれを「標題音楽」だと言う人はいないでしょう。では、あの作品は何のプログラムも存在しない純粋で絶対的な音響の運動体なのでしょうか?私は音楽を聞くことによって何らかのイメージや感情が呼び覚まされるのは、それらの作品の根底に潜むプログラムに触発されるからだと思うのですがいかがなものでしょうか。
 もちろんここで言っているプログラムというのは「何らかの物語」があって、それを音でなぞっているというようなレベルの話ではありません。時々いますね。「ここは小川のせせらぎをあらわしているんですよ。次のところは田舎に着いたうれしい感情の表現ですね。」というお気楽モードの解説が・・・(^^;(R.シュトラウスの一連の交響詩みたいな、そういうレベルでの優れものはあることにはありますが。あれはあれで凄いです!!!)
 
 私は、チャイコフスキーは創作にかかわって他の人よりは「正直」だっただけではないのかと思います。ただ、この6番のプログラムは極めて私小説的なものでした。それ故に彼は公表することを望まなかったのだと思います。
 「今度の交響曲にはプログラムはあるが、それは謎であるべきもので、想像する人に任せよう。このプログラムは全く主観的なものだ。私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」
 チャイコフスキーのこの言葉に、「悲愴」のすべてが語られていると思います。

若きカラヤンの到達点を示すもの


カラヤンはよほどこの作品に愛着があったのでしょう。
よく知られているように、正規のスタジオ録音だけで7回を数えます。

1939年:ベルリンフィル
1948年:ウィーンフィル
1955〜56年:フィルハーモニア管
1964年:ベルリンフィル
1971年:ベルリンフィル
1976年:ベルリンフィル
1984年:ウィーンフィル

オケは基本的にベルリンフィルかウィーンフィル、それだけにここで紹介したフィルハーモニア管の録音だけが「異彩???」をはなちます。そして、演奏の方も「ドイツのトスカニーニ」(きっと、こういう言われ方を本人はとても嫌っていたと思いますが・・・)にふさわしい、直線的でスタイリッシュな「悲愴」に仕上がっています。
カラヤンが終生頭が上がらなかった指揮者がジョージ・セルですが、セルは何故か「悲愴」を録音していません。演奏会の記録を調べても1948年3月にニューヨークフィルの定演・1969年8月のクリーブランドの定演以外で取り上げた以外では記録を発見できませんでした。もっとも、手兵のクリーブランド管との記録が不十分なものなので断言はできませんが・・・、等と書きつつネットを調べてみると、このクリーブランドとの録音が海賊盤として出回っていることを発見しました。
でも、もうそんなCDは注文しませんよ。
何故なら、セルが悲愴を演奏すれば、きっとこのフィルハーモニア管を振ったカラヤンみたいな演奏になるだろうと、想像がつくからです。それくらい、このカラヤンの演奏は立派です。

それから、もう一つ驚いたのは、このモノラル時代末期の録音の素晴らしさです。
これは、私の再生システムが最強の再生ソフト「cMP2」を核に一定のレベルに達したためでもあるのでしょうが、技術が確立された時期のモノラル録音の素晴らしさを再確認させられました。
感心したついでに、55〜56年にこのコンビで録音されたモノラル録音(ブラームスの2番・4番、ムソルグスキーの展覧会の絵・・・などなど)をいくつか聞いてみたのですが、確かにどれもこれも素晴らしいです。

コンサートによく通われる方はおわかりだと思うのですが、演奏会場で聞くオケの響きというものは、直接音よりは反射音の方が多いので、すべての楽器の音がほどよくブレンドされた響きとなって耳に到達します。オーディオ装置で聞くように、楽器が綺麗に分離して聞こえるようなことはありません。
その昔、名のあるオーディオマニアが実際のコンサート会場でオケの音を聞いて「定位が悪い!」と叫んだそうです。笑い話みたいですが、恐ろしいことに実話らしいです。

ですから、オケのナマ音を聞いて「定位が悪い」と叫ぶような人でなければ、おそらくこのモノラルによる録音を聞いて不満を感じることはほとんどないでしょう。
それほどに、この時期のモノラル録音の技術は完成の域に達していたのです。そして、それ故に、EMIはステレオ録音という新しい技術に対して懐疑的にならざるを得ず、その結果、ライバルであるRCAに対して大きな遅れをとることになるのです。しかし、その気持ちも分かるよな、と言いたくなるほどのモノラルとしての完成度です。

しかし、さらに調べてみると、この録音はモノラルと同時に実験的にステレオによる録音もされていたそうです。
これもまた想像の域を出ませんが、おそらくは乗り気でないEMIのスタッフをカラヤンが押し切ったのではないでしょうか。後年、この実験的になされたステレオ録音の方もリリースされたようですが、残念ながらあまり上手くいっていなかったようです。
そう言えば、57年に録音したブルックナーの8番も両方のスタイルで録音されていたようですが、今もってモノラルの方がいいという人が少なくありません。
しかし、58年の「ローマの松」では完全にステレオ録音を自分のものにしています。そして、カラヤンはその技術の将来性を確信して己の演奏スタイルを変えていくことになったのでしょう。

その意味では、55〜56年のフィルハーモニア管とのモノラル録音は、カラヤンの若き時代の一つの到達点を示すものだと言っていいでしょう。
クレンペラーではありませんが、「ヘルベルト、悪くないぞ!!」です。ああ、失礼、あれは偏屈オヤジの嫌味だった。

よせられたコメント

2012-09-02:セルのファン


2012-11-04:マオ


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