ディーリアス:別れの歌(Delius:Songs of Farewell)
マルコム・サージェント指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 ロイヤル・コーラル・ソサエティ 1964年4月22日~23日録音(Sir Malcolm Sargent:Royal Philharmonic Orchestra Royal Choral Society Recorded on April 22, 1964)
Delius:Songs of Farewell [No.1 How sweet the silent backward tracings!]
Delius:Songs of Farewell [No.2 I stand as on some mighty eagle's beak]
Delius:Songs of Farewell [No.3 Passage to you!])
Delius:Songs of Farewell [No.4 Joy, shipmate, joy!]
Delius:Songs of Farewell [No.5 Now finale to the shore]
合唱音楽における到達点の一つ
晩年のディーリアスが失明と全身麻痺に苦しむ中、弟子のエリック・フェンビーの献身的な代筆(口述筆記)によって完成された「不屈の精神」を象徴する作品です。
ディーリアスが若き日から愛読していたウォルト・ホイットマンの詩集「草の葉」から選ばれた5つの詩がテキストに使用されています。
全5曲で構成されており、死を「終わり」ではなく「新たな旅立ち」として捉える神秘的で壮大な世界観が描かれています。
第1曲:過去への回顧
"How sweet the silent backward tracings!"(静かに過去を辿るのは、なんと甘美なことか)
老境に入った者が、静かにこれまでの人生の歩みを振り返る様子を描いています。冒頭、弦楽器による溜め息のような半音階の導入から始まります。
合唱は極めて静かに、夢想的な響きで入ります。ディーリアスの特徴である「移ろう和声」が最も顕著で、まるで霧の中の記憶を辿るような、輪郭のぼやけた美しさが支配します。
第2曲:高所からの展望
"I stand as on some mighty eagle's beak"(私は巨大な鷲の嘴の上に立っているかのように)
険しい断崖の先に立ち、眼下に広がる荒れ狂う海と、頭上の無限の空を見渡す視覚的な詩です。
第1曲の静寂を破り、オーケストラが力強いエネルギーを放ちます。男声合唱と女声合唱が激しく交差(対位法的な動き)し、波のうねりや自然の猛威をダイナミックに表現します。ディーリアスには珍しい、峻厳で男性的な響きが聴きどころです。
第3曲:魂の渡航
"Passage to you!"(あなたへの道!)
魂が肉体を離れ、神、あるいは宇宙的な「真理」へと向かって航海に出る決意を歌っています。
非常に流動的で、前進するリズムが特徴です。「Passage(航路、通過)」という言葉が繰り返され、合唱が波を乗り越えていくような高揚感を作り出します。
未知の世界への期待と不安が混ざり合った、神秘的な推進力に満ちた楽章です。
第4曲:喜びの航海士
"Joy, shipmate, joy!"(喜びよ、友よ、喜びよ!)
死を「長い休暇の始まり」や「船出」と捉え、仲間に向かって「ついにその時が来た、喜ぼう」と呼びかける非常に短い詩です。
全曲の中で最も明るく、快活なスケルツォ風の音楽です。
わずか2分足らずの短い曲ですが、それまでの重厚な響きから一変して、軽やかで歓喜に満ちたファンファーレのような響きが響き渡ります。
死を祝祭として描くホイットマンの精神が、ディーリアスの鮮やかな管弦楽法で彩られています。
第5曲:終幕と岸辺への別れ
"Now finale to the shore"(さあ、岸辺に別れを)
船が港を離れ、陸地が遠ざかっていく様子。すべてをやり遂げた後の安らかな沈黙へと向かいます。
再び第1曲のような回顧的な雰囲気が戻りますが、より透明感が増しています。
合唱が「Farewell(さらば)」と繰り返す背後で、オーケストラは夕映えのような残照を描き出します。
最後は、合唱が囁くように消え入り、低音弦楽器の長い持続音の中にすべてが溶け込んで終わります。この「消え入るような終止(Morendo)」こそが、ディーリアスが到達した究極の静寂の表現と言えます。
ディーリアス特有の「半音階的に移ろう和音」が合唱の厚みと重なり、非常に幻想的で浮遊感のある響きを生み出しています。
彼は生涯を通じて自然を愛しましたが、この曲でも「海」や「風」といった自然のイメージが、単なる描写を超えて哲学的な深みを持って表現されています。
文字通りディーリアス自身の人生の終焉を予感させる内容であり、彼の合唱音楽における到達点の一つとされています。
イギリス音楽の発展に尽くした功績は大きなものがありました
サージェントという人はイギリスの作曲家の良き理解者であり支持者でもありました。エルガー、ホルスト、ブリテン等というそれなりに認知度のある作曲家だけでなく、ウォルトンやヴォーン=ウィリアムズ、さらにはアフリカ系イギリス人のサミュエル・コールリッジ=テイラー等の作品も熱心に取り上げています。
また、合唱の指揮者としてスタートしたこともあって、合唱を伴った作品の扱いは得意としていました。
メンデルスゾーンの「エリヤ」、ヘンデルの「メサイア」という定番だけでなく、エルガーの「ゲロンティアスの夢」やウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」などと言うレアな作品もよく取り上げています。
そして、そう言うレアではあるけれども「手の内」に入った音楽では、非常にアグレッシブな演奏を聴かせてくれます。
言葉をかえれば、自信満々に「自分の音楽」を展開してくれていて聞きごたえは十分にあります。
ところが、それが一転してベートーベンやシューベルトみたいな、いわゆるドイツ・オーストリア系の正統派の音楽になると、急に行儀良くなるのです。
例えば、1960年に録音したベートーベンの3番「エロイカ」やシューベルトの「未完成」になると、いわゆる楷書風のさらっとした音楽になってしまっています。それを趣味の良い外連味のない音楽と評することも出来るのでしょうが、こういう二つの顔を見せつけられると「内弁慶」という言葉が頭の上を過ぎらざるを得ません。
そして、クラシック音楽の世界というのは、辺境部分でどんなに素晴らしい演奏を聴かせても、ドイツ・オーストリア系の正統派の部分でそれなりの実績を残さないと、早晩その存在は忘れ去られるという「悲しい現実」に行き当たることになるのです。
そこで、ふと気づいたのはサージェントの「合唱指揮者としての顔」と「オーケストラ指揮者としての顔」が随分異なっていたと言うことです。
サージェントは、ハダースフィールド合唱協会やロイヤル・コーラル・ソサエティといったイギリス伝統のアマチュア合唱団を長年率いました。
彼はアマチュア合唱団に対しては常に優しく熱心でした。
そして、彼の華やかでカリスマ的な指導は、アマチュア歌唱者たち強くひきつけ、彼らに「自分たちは最高の音楽を作っている」という自信と誇りを持たせました。
しかし、それがプロのオーケストラを相手にすると雰囲気がガラリと変わってしまうのがサージェントという指揮者でした。
何しろ、「サージェントの下では演奏したくない」とボイコットに近い動きまで引き起こすほどに嫌われてしまっていたのです。
その背景にあったのは「スター意識」と「厳しい規律」、そして何より「不用意な発言」だったと言われています。
なかでも極めつけの「不用意な発言」が「インタビュー事件」でした。
1936年に彼が新聞のインタビューでこんな事をいってしまったのです。
オーケストラ奏者は、終身雇用を保証されるべきではない。なぜなら、生活が安定しすぎると、演奏から情熱や必死さが失われ、ただの「公務員」のような仕事になってしまうからだ
この発言は、世界恐慌の余波で生活に苦しんでいた当時の楽員たちの感情を激しく逆なでしました。
特に、サージェント自身が華やかな生活を送り、「フラッシュ・ハリー(派手なハリー)」というあだ名で社交界のスターとして振る舞っていたこともあり、楽員からは「自分は贅沢をしながら、我々にはハングリー精神を強いるのか」と猛烈なバッシングが巻き起こしてしまったのです。
また、彼の完璧主義と「上から目線」の指導も反発を招きました。
彼は楽員を「音楽を作るパートナー」というよりは、「自分のビジョンを具現化するための駒」として扱う傾向があったのです。
つまりは、アマチュアの合唱団員には熱心で優しい「導師」として振る舞う一方で、プロのオーケストラ奏者に対しては高圧的な態度を取ることが多く、その落差が軋轢を生んだのでした。
なるほど、これでは、ドイツ・オーストリア系の正統派音楽では楷書風のさらっとした音楽にならざるを得なかったのも納得です。
とはいえ、それでも、サージェントがイギリス音楽の発展に尽くした功績は大きなものがありました。
癌に冒された死の直前にサージェントががプロムスのステージに姿を見せた際、かつて彼を嫌った楽員たちも、観客と共にスタンディングオベーションで迎えました。
オーケストラ奏者にとって、彼は「鼻持ちならない上司」ではありましたが、同時に「イギリスの音楽界を格上げした功労者」であることは認めざるを得なかったのでしょう。
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