モーツァルト:ピアノソナタ第13番 変ロ長調, K.333/315c
(P)ワンダ・ランドフスカ:1956年8月録音
Mozart:Piano Sonata No.13 in B-flat major, K.333/315c "Linz" [1.Allegro]
Mozart:Piano Sonata No.13 in B-flat major, K.333/315c "Linz" [2.Andante cantabile
Mozart:Piano Sonata No.13 in B-flat major, K.333/315c "Linz" [3.Allegretto grazioso]
モーツァルトの人生におけるもっとも幸福な時代の作品

- ソナタ第10番 ハ長調 K 330・・・1783 <ヴィーンorザルツブルク>
- ソナタ第11番 イ長調 K 331・・・1783 <ヴィーンorザルツブルク>
- ソナタ第12番 ヘ長調 K 332・・・1783 <ヴィーンorザルツブルク>
- ソナタ第13番 変ロ長調 K 333・・・1783?< リンツ?>
K330からK333までの連続した番号が割り当てられている4つのソナタを一つのまとまりとしてとらえることが可能です。
従来は、K310のイ短調ソナタとこれら4つのソナタはパリで作曲されたものと信じられていて「パリ・ソナタ」とよばれてきました。この見解にはあのアインシュタインも同意していていたのですから、日本ではそのことを疑うものなどいようはずもありませんでした。
例えばあの有名な評論家のU先生でさえ若い頃にはハ長調k330のソナタに対して「フランス風のしゃれた華やかさに彩られているが、母の死の直後に書かれたとは思えない明るさに支配されており、ここにもわれわれはモーツァルトの謎を知らされるのだ。」などと述べていました。しかし、これは決してU氏の責任ではないことは上述した事情からいっても明らかです。何しろ、モーツァルトの大権威ともいうべきアインシュタインでさえその様に書いていたのですから。
しかしながら、現在の音楽学は筆跡鑑定や自筆譜の紙質の検査などを通して、K330からK333にいたる4つのソナタはパリ時代のものではなくて、ザルツブルグの領主であるコロレードとの大喧嘩の末にウィーンへ飛び出した頃の作品であることを明らかにしています。さらに、K333のソナタはザルツブルグに里帰りをして、その後再びウィーンに戻るときに立ち寄ったリンツで作曲されたものだろうということまで確定しています。
これら4つの作品にはイヤでイヤでたまらなかったザルツブルグでの生活にけりを付けて、音楽家としての自由と成功を勝ち取りつつあったモーツァルトの幸せな感情があふれているように思います。それはこの上もなく愛らしくて美しく、それ故にあまりにも有名なK331のソナタにだけ言えることではなくて、この時代のモーツァルトを象徴するような「華」をどの作品からも感じ取ることができます。
そんな中でとりわけ注目したのがK333のロ長調ソナタです。これは音楽の雰囲気としてはK330のソナタと同じようにまじりけのない幸福感につつまれていますが、愛好家が楽しみのために演奏する音楽というよりはプロの音楽家がコンサートで演奏するための作品のように聞こえます。とりわけ第3楽章ではフェルマータで音楽がいったん静まった後に長大なフルスケールのカデンツァが始まるあたりはアマチュアの手に負えるものとは思えません。さらにピアノをやっている友人に聞いてみると、第1楽章の展開部のあたりも全体の流れをしっかり押さえながら細部の微妙な動きもきっちりと表現しないといけないので、これもまたけっこう難しいそうです。
おそらくは、モーツァルトが自分自身がコンサートで演奏することを想定して作曲したものではないかと考えられます。しかし、作品を貫く気分は幸福感に満ちていて、その意味ではこの時代のソナタの特徴をよく表しています。
モーツァルトの心にそった自由自在な演奏
それにしても迂闊でした。
まさか、こんなにも録音クオリティの高いランドフスカのレコードが残っていたとは、全く気づいていませんでした。おまけに、その演奏を一言で表現するならば、「モーツァルトの心にそった自由自在な演奏」と言っていいほどの優れものなのですから、まさに涙ものです。
ランドフスカは1959年に亡くなっていますから、これはまさに70代後半の亡くなる少し前の録音と言うことになります。
さすがに、ランドフスカをスタジオ録音に連れ出すのは無理とRCAも思ったのでしょう、逆にRCAの録音スタッフがランドフスカの自宅を訪れて録音を行ったのです。そして、幸いだったのは、ランドフスカの自宅にレコーディング・スタジオと言っていいほどの環境があったようで、かくも素晴らしい演奏が素晴らしい録音で残されたのです。
それにしても、ピアニストとしてのランドフスカの技量がほとんど落ちていないことにも驚かされました。チェンバロ奏者というものはピアニストになれなかった人という印象がないわけでもないのですが、ランドフスカの場合はそう言う一般論は全くあてはまりません。
それどころか、専業ピアニストでも、これほどに素晴らしい音色でニュアンス豊かに演奏できる人はあまりいないでしょう。
これはもう、RCAに感謝あるのみです。
そして、調べてみればモーツァルト以外にもハイドンやバッハの録音も行ったようなので、そちらも順次紹介していければと思っています。
さて、このモーツァルトの演奏を「自由自在な演奏」と述べました。
それは、聞いてもらえれば誰もがすぐに納得されることでしょう。
しかし、作曲家の書いた楽譜に忠実である事こそが作曲家への最大の敬意だと信じている「原典尊重主義者」にとっては、いささか困った演奏と言うことになるかもしれません。
まずはテンポがとんでもなく自由です。例えば、アレグロ楽章は一般的な感覚からすればかなりゆっくりですし、さらに細かく見ていけば楽譜には何も記されていない(一般的にモーツァルトは楽譜に細かい指示はほとんど書き込んでいません)場所でルパートをかけたりアクセントをつけたりして実に主情的な表情をつけています。
また、至るところに装飾音符も散りばめていますし、極めつけはピアノ・ソナタ13番の第2楽章です。演奏時間が通常の倍以上なので驚いたのですが、それは聴いたことがないようなメロディが聞こえてきたりするからで、おそらくはランドフスカ版のカデンツァと解するしかないようです。
そして、こういう問題についてはグルダが65年に録音した「
ピアノソナタ第15番 ハ長調 K 545」の演奏をめぐって少しばかり言及したことがあります。
簡単にいってしまえば、モーツァルトの時代においては、ピアノ音楽というものは楽譜に書かれたとおりの演奏するのではなくて、常に「表情と趣味をもって」装飾音を施すことが演奏家としての義務だったということです。
この事については、ショーンバーグが「ピアノ音楽の巨匠たち」の中で詳しく述べています。
驚いたのは、常に「表情と趣味をもって」装飾音をほどこす事を50年代の半ばにランドフスカが行っていたことです。
60年代の中頃においてもグルダの主張と演奏はほとんど無視されて、ただの「グルダの酔狂」としか受け取られませんでした。そして今となっても、無表情な取り澄ました表情でモーツァルトを演奏するのが当たり前という状態が続いています。
そう言う歴史的な流れから見てみれば、ランドフスカの演奏は驚くほどの先見性を持っていたと言えます。
しかし、もう一歩踏み込んで考えてみれば、音楽家としての根っこを19世紀に持っているようなランドフスカにとっては、モーツァルトとは本来そのようなものだったのかもしれないと言うことに気づきます。
大切なことは、楽譜にどこまで忠実かではなくて、その音楽がどこまでモーツァルトの心に添っているかです。モーツァルトはそう言う演奏こそが「趣味がいい」と言って評価しました。
逆に、なんの工夫もしないで楽譜通りに演奏することは愚か者とみなしていたのです。もちろん、その装飾や表情の付け方が大袈裟なものだったりすると、それもまた「趣味の悪い」演奏だと酷評しています。
ですから、ランドフスカも「今日の私たちが印刷された楽譜に忠実に取り組むことによって敬意を払っているつもりの演奏は、モーツァルトの同時代の人々からは、無知で野蛮だと呼ばれたことだろう。」と述べています。
つまりは、19世紀的伝統を根っこにして、50年代に主流となりつつあった即物主義的な演奏が陥ってしまう危険性を指摘していたのです。
ですから、私はこのランドフスカの演奏を「モーツァルトの心にそった自由自在な演奏」と言いたいのです。そこには彼女の人生とモーツァルトの音楽がこの上もなく美しく寄りそっています。
第2時世界大戦によって、ユダヤ系ポーランド人であったランドフスカはフランスの自宅を捨ててアメリカに移らざるを得ませんでした。彼女もまた戦争によって大きく人生を左右された人であり、その中で様々な悲劇を経験せざるを得なかった人でした。
そして、そのような悲劇の果てに辿り着いた諦観の様な心の有りようが彼女の晩年の演奏には反映しているように思われます。
もしも、モーツァルトのピアノ音楽は退屈だと心密かに思っている人がいれば(そう言う本音はなかなか言いにくいことですが・・・^^;)、是非とも聞いてもらいたい演奏です。
そこであなたは、ランドフスカを通して本当のモーツァルトの素顔をみることが出来るはずです。
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