モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第24番 ハ長調, K.296
(Vn)ヤッシャ・ハイフェッツ (P)エマニュエル・ベイ 1947年12月16日録音
Mozart:Violin Sonata in C major, K.296 [1.Allegro vivace]
Mozart:Violin Sonata in C major, K.296 [2.Andante sostenuto]
Mozart:Violin Sonata in C major, K.296 [3.Rondo. Allegro]
選帝侯妃ソナタ
モーツァルトが本当の意味でヴァイオリンソナタの作曲に着手するのは就職先を求めて母と一緒にマンハイムからパリへと旅行したときです。このとき、モーツァルトはマンハイムにおいてシュスターという人物が作曲した6曲のヴァイオリンソナタに出会います。モーツァルトはこのときの感想を姉のナンネルに書き送ってます。
「・・・わたしはこれらを、この地ですでに何度も弾きました。悪くありません。・・・」
「悪くありません。」・・・この一言がモーツァルトから発せられるとは何という賛辞!!
残念なことに、モーツァルトを感心させたシュスターの作品がどのようなものかは現在に伝わっていません。しかし、それらの作品が、従来のピアノが「主」でヴァイオリンが「従」であるという慣例を打ち破り、その両者が「主従」の関係を交替しながら音楽を作り上げていくという「交替の原理」にもとづくものであったことは間違いありません。
モーツァルトは旅費を工面するために引き受けたド・ジャンからのフルート作品の作曲にうんざりしながら、その合間を縫ってヴァイオリンソナタを作曲します。このうちの5曲(K301・K302・K303・K305・K296)はマンハイムで完成し、残りの2曲(K304、K306)はパリへ移動してから完成されたと言われています。そして、K301~K306の6曲はプファルツの選帝候妃に作品番号1として、そしてK296はマンハイムで世話になった宿の主人の愛らしい娘、テレーゼ・ピエロンに捧げられています。
私たちが、モーツァルトのヴァイオリンソナタとしてよく耳にするのはこれ以降の作品です。
モーツァルトは選帝候妃に捧げた作品番号1の6曲について、明確に「ピアノとヴァイオリンのための二重奏曲」と述べています。そして、あまりにも有名なホ短調ソナタを聴くときに、何かをきっかけとして一気に飛躍していくモーツァルトの姿を見いだすのです。
そこでは、ピアノとヴァイオリンはただ単に交替するだけでなく、この二つの楽器が密接に絡み合いながら人間の奥底に眠る深い感情を語り始めるのです。アインシュタインが指摘しているように、「やがてベートーベンが開くにいたる、あの不気味な戸口をたたいている」のです。
さらに、作品番号1の最後を飾るK306と愛らしいピエロンのためのK296は、当時のヴァイオリンソナタの通例を破って3楽章構成になっています。このK296は第2楽章がクリスティアン・バッハのアリア「甘いそよ風」による変奏曲になっていて、実に親しみやすい作品です。また、K306の方は、K304のホ短調ソナタとは打って変わって、華やかな演奏効果にあふれたコンチェルト・ソナタに仕上がっています。
ヴァイオリンソナタ第24番 ハ長調 K.296
「アウエルンハンマー・ソナタ」の第2曲として出版されているが、成立したのは上で述べたようにマンハイム訪問時です。
- 第1楽章:Allegro vivace
- 第2楽章:Andante sostenuto
- 第3楽章:Allegro
いかなる甘い感傷も入り込む余地のない厳しい音楽
ハイフェッツは1947年の12月16日と17日の二日間で以下の4曲を録音しています。
- ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調, Op.12-1
- ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調, Op.12-2
- ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調, Op.24 「春」
- モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第24番 ハ長調, K.296
前回は、「SP盤」技術の掉尾を飾る「優秀録音」としての意味についてふれましたので、今回は、鋼鉄のごときハイフェッツの演奏について言及したいと思います。
「即物主義」という言葉があります。もとは美術界等で使用された用語だったのですが、それが音楽界においては「主観性を排した楽譜に忠実な演奏」を意味する言葉として使われました。
この「即物主義」という言葉に対する概念として美術界では「表現主義」という言葉が使われるのですが、不思議なことに音楽界ではその言葉あまり使用されません。
「表現主義」とは「印象派」に対抗する概念として提唱されました。
それは、「印象派」のように、物事の外面的な特徴を描写する事に力を注ぐのではなくて、物事と向き合った時の人間の内面的な感情こそを描き出すが重要だという主張でした。
これを音楽の世界に援用すれば、楽譜の外面をなぞるのではなくて、それと向き合ったときの率直な感情こそを大切にするべきだと言うことになり、それはまさに19世紀的な過度にロマンティックな演奏様式を応援する概念となります。そして、美術界を中心として「表現主義」に対する批判と反省から「即物主義」が唱えられるようになると、音楽界でもその大きな流れが押し寄せてくることになるのです。
音楽界でのこの新しいムーブメントの立役者は、言うまでもなくトスカニーニでした。彼と較べれば、フルトヴェングラーは「表現主義」の人だったことは明らかでしょう。
そして、この二人がアメリカとヨーロッパに別れていたこともあってか、アメリカは「即物主義」の牙城となり、ヨーロッパでは長く「表現主義」が生き残ることになりました。このあたり、あまり雑駁なまとめ方をすると思わぬ地雷を踏むことにもなりかねませんのでこれ以上の深入りは避けますが、それでも、アメリカに亡命をしたワルターがガラリと芸風を変えてしまった事からも、アメリカにおける「即物主義」の影響力の強さが分かります。
そして、そんな「即物主義」の最たる存在がこのハイフェッツだったような気がするのです。
振り返ってみれば、トスカニーニにしてもワルターにしても、そしてセルやライナーにしても、彼らがアメリカを活動の拠点としたのはナチスの台頭がきっかけとなっていました。そして、彼らがアメリカに移ったときには、彼らはすでに成熟した「ヨーロッパの音楽家」だったのです。
それと比べると、ハイフェッツがアメリカの拠点を移したのはナチスの影響ではなくてロシア革命がきっかけでした。ですから、その時彼はとても若かったのです。
彼は1917年にカーネギー・ホールでアメリカデビューを果たすのですが、そのままロシア革命を避けるためにアメリカ在住の道を選ぶのです。その時彼は未だ16歳であり、いかに10代の初めからヨーロッパ各地で演奏会を行っていたとはいえ、そこに根を張るには時間不足でした。
そして、彼が新しく根を張ったアメリカという社会は、日頃の不摂生などが原因でちょっとした技術的な不都合が起こるだけで厳しく非難される社会だったのです。
例えば、あのラフマニノフでさえ、1930年代にはいるとテクニックが落ちたと批判されたのです。
そして、ハイフェッツもまた、20代の中頃にその様な批判にさらされ、それを乗り切るために「鋼鉄のような自己節制」を自らに課したのでした。
彼はヴァイオリンの上達法を聞かれたときに「練習。ただ練習あるのみです。」と語っていたというのは有名な話で、通行人にカーネギー・ホールへの行き方を訊かれた時にも「練習。ただ練習あるのみです。」とこたえたというのもまた有名な話です。
トスカニーニにしてもセルにしても、それがいかに鋼鉄の規律で貫かれていたとしても、その奥底には抑えがたいロマンティシズムが息づいている事に気づかされます。それは、彼らの根っこに成熟した「ヨーロッパの音楽家」が存在してたからでした。
しかし、ハイフェッツの演奏こそはまさに鋼鉄の規律によって作りあげられた「即物主義」の化け物のような音楽であり、そこには一切の感傷のようなものは入り込む余地もないように聞こえるのです。
そして、その様な音楽というものは、ごく些細な不完全さをも許さないものであり、それは、断崖絶壁の縁を歩き続けるような所業だったはずです。
ハイフェッツは1959年に公開の演奏会から身を引き、1970年には(おそらく・・・^^;)録音活動からも身を引きます。つまりは50代で演奏家会から身を引き、60代で録音活動からも身を引き、その後の亡くなるまでの10年以上の日々は沈黙を守ったのです。
それは、ハイフェッツという人の自己批判力の強さの表れでもあったのでしょうが、それ以上に、彼の音楽が技術的な「衰え」を一切許さないものだったからでしょう。
そう思えば、このような40代から50代にかけての全盛期の録音は、一点も余さずにすくい上げておく必要があるのかもしれません。
繰り返しになりますが、そこにあるのは「いかなる甘い感傷も入り込む余地のない厳しい音楽」だからです。
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