ベートーベン:ホルン・ソナタ ヘ長調 作品17
(Hr)デニス・ブレイン:(P)デニス・マシューズ 1944年2月22日録音
Beethoven:Horn Sonata in F major, Op.17 [1.Allegro moderato]
Beethoven:Horn Sonata in F major, Op.17 [2-3.Poco Adagio, quasi Andante - Rondo. Allegro moderato]
ホルン奏者にとってはかけがえのない宝物
モーツァルトがホルン奏者にとっては宝物とも言うべき4つの協奏曲を残したのは「我が友ロイドゲープ」のためでした。彼は、この協奏曲以外に「ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407」もロイドゲープのために残しています。そして、モーツァルトにとって、もう一人親交のあったホルン奏者がシュティヒ・プントでした。
モーツァルトはこのホルン奏者との関わりで、「協奏交響曲変ホ長調 H297b」を作曲しています。
ただし、この作品は何らかの陰謀によって自筆楽譜が失われてしまうのですが、その後ある人物の遺品の中から筆写譜が派遣されて「K297B」という番号が与えらます。しかし、最新の研究ではこの筆写譜には疑問が投げかけられ、新全集では「擬作または疑義ある作品」のリストに収録されています。しかし、現在残されている筆写譜の真偽にかかわらず、パリでシュティヒ・プントと関わりがあったことだけは事実です。
そして、時を隔てて、このシュティヒ・プントはウィーンにおいて今度は若きベートーベンと出会い、そこで一つのソナタが生み出されることになるのです。
初演はこの二人によって為されたのですが、伝えられるところではピアノの部分は未だ完成しておらず、空白の部分はベートーベンが即興で演奏したそうです。
結果として、ホルンはベートーベンが「管楽器のために作曲した唯一のソナタ」という栄に浴することになります。そして、それはホルン奏者にとってのかけがえのない宝物を手に入れたことも意味します。
しかし、考えてみれば、ベートーベンの交響曲の至るところにホルンのソロが登場します。
エロイカの第3楽章、8番の第3楽章、さらには運命の第1楽章や第9の第3楽章にも印象的なホルンソロを登場させています。
それを考えれば、ベートーベンはこの楽器が基本的に好きだったのでしょう。
- 第1楽章:Allegro moderato:いかにも狩りの楽器として使われた過去に相応しい冒頭部分です。
- 第2楽章:Poco Adagio, quasi Andante:わずか17小節の短い楽章です。静かさの中で二つの楽器が呼び交わします。
- 第3楽章:Rondo. Allegro moderato:最後の部分がテンポが上がってホルンの名人芸が要求されます。
真摯に音楽と向き合おうとする一人の男の姿
聞くところによると、ホルンという楽器は正確に音を出すことが非常に難しい楽器らしいです。もっとも、他人から聞かなくても、ソロを前にしたときのホルン奏者の不安そうな表情を見ていれば概ね察しはつきます。その日のプログラムがブルックナーの4番なんかだった日には、それこそ「体調不良により本日欠席」と言いたくなることでしょう。
ホルンの難しさはグルグル巻きになった管の長さと、それに似合わぬマウスピースの小ささに由来するそうです。構造的にきわめて不安定で、一発で音程を安定させるのが非常に困難なので、吹き始めで音を外す確率が非常に高い楽器です。
さらに困るのが高音域です。同じ指使いでいくつもの音が出ますから、ちょっとした加減の違いで間違って隣の音が出てしまいます。
しかし、そう言う不自由さと引き替えに、他の金管楽器にはない独特の音色が大きな魅力となっています。ホルンは金管楽器に分類されるのですが、そのふくよかでふっくっらとした響きは木管楽器を思わせるものがあります。言ってみれば、金管と木管のいいとこ取りをしたような魅力がホルンにはあるのです。
ですから、そう言う魅力のある響きのホルンを、まるでクラリネットやオーボエのように自由自在に吹きこなしてくれれば、その名人芸には拍手喝采なのです。
そう言う意味において、デニス・ブレインは唯一無二の存在でした。1950年代においては、それは疑いもない事実でした。
しかし、音楽教育のレベルが上がり、さらには録音がアナログからデジタルに移行することで、演奏家の技術は飛躍的に向上しました。
とりわけ底辺のレベルが大きく向上した事は疑いがなく、その成果を最も享受したのがオーケストラでした。これは今さら繰り返す必要もなく、80年代以降のオーケストラの技術的向上はめざましいものがあります。ただし、その結果として指揮者が個性を主張しづらくなり、結果として平均点は高いものの小利口な演奏ばかりがはびこることになりました。
しかし、その様な技術的向上の中で、頂点の部分はどうだったのでしょうか?
ヴァイオリンのハイフェッツ、ピアノのホロヴィッツ、そしてホロンのでニス・ブレイン。
名人と呼ばれたた彼らの芸は、今の時代から見れば技術的にはもはや過去のものになったのでしょうか。
答えは明らかに「NO!」です。
しかしながら、50年代においては飛び抜けた存在だった彼らに、技術的には互角に肩を並べる存在は登場してきています。その意味では、彼らはもはや「神」ではありません。
ホルンで言えば、ベルリンフィルみたいなトップ・オケの首席を務めるような連中の中には、疑いもなくブレインと肩を並べるホルン奏者がいます。しかし、これもまたオケの時と同じで、技術的完成だけで事が成り立つほど音楽というものは底が浅くはありません。うまいとは思うものの、結局最後まで心に残るのはブレインの録音です。
確かに、1957年9月、エディンバラ音楽祭からの帰路にトライアンフTR2とともにこの世を去ることでブレインの存在は「伝説」となり、その「伝説」ゆえに彼の録音は「神話化」されていると見る向きもあるでしょう。しかし、そう言う音楽以外のことを一切心から排除して、虚心坦懐に彼の音楽に耳を傾けてみれば、そこで聞こえてくるのは譜面台の上に自動車関係の雑誌を載せていたやんちゃ坊主の姿ではなく、何処までも真摯に音楽と向き合おうとする一人の男の姿です。
そんな男が残した録音を、いかに古いものであっても紹介しておくのがこのようなサイトの役割でしょう。
この若きホルン奏者の名を広く世に知らしめたのが、1944年録音のベートーベンのホルンソナタです。
- ベートーベン:ホルンソナタ ヘ長調 作品7:(P)Denis Matthews 1944年2月21日録音
この録音はもしかしたら、ヒストリカル音源を楽しめるかどうかのリトマス試験紙かもしれません。SP原盤時代の録音ですからパチパチノイズは満載ですが、そのノイズの向こう側に驚くほど明瞭にホルンとピアノの響きがとらえられています。
ここで、どうしてもパチパチノイズが気になって音楽が楽しめないという人は、無理をせずにヒストリカルの世界とは縁を切った方がいいでしょう。しかし、最初は気になっても、聞き進めていくうちにホルンとピアノの響きに魅了されテイクという人は、どんどんとこのディープな世界ニアしに踏み込んでいっても、人生における貴重な時間の無駄遣いとはならないでしょう。
それと比べれば、40年代に録音されたモーツァルトの二つの協奏曲と、リヒャルト=シュトラウスの協奏曲ははるかに聞きやすく仕上がっています。ベートーベンのソナタが気にならない人ならば全くのノープロブレムでしょうし、そちらが気になってもこちらが気にならないのならば、この辺りを下限としてヒストリカルの世界を辿ればいいでしょう。
- モーツァルト:ホルン協奏曲第2番 K417:ワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1946年3月27日録音
- モーツァルト:ホルン協奏曲第4番 K495:マルコム・サージェント指揮 ハレ管弦楽団 1943年11月21日録音(意外と雑音少ない)
- R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番 変ホ長調 作品11:アルチェロ・ガリエラ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1947年5月21日録音
当然の事ながら、1956年に録音されたリヒャルト=シュトラウスの二つの協奏曲ならば、ネックは「モノラル録音」だということだけです。
- R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番 変ホ長調 作品11:ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1956年9月23日録音
- R.シュトラウス:ホルン協奏曲第2番 変ホ長調:ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1956年9月23日録音
ただし、この「モノラル」であると言うことがどうしても我慢できないという人がいれば、それはもうヒストリカルの世界とは無縁と言うことになるでしょう。それは、事の良し悪しではなくて、己の心が拒否するもののために時間を費やすことができるほど人生は長くはありません。
しかし、これもまたもう一つの真実だと思うのですが、人は必ず変わります。特に、年を兼ねれば、今まで見向きもしなかったものが急に美味しく思えることがあります。
ブレインが残したこれらの録音は疑いもなく、クラシック音楽の演奏史における一つのランドマークです。ですから、こういう古い録音を今は心が拒否しても、できれば何年かの時を隔てて、時には思い出したように聞き直してみれば、その音楽が貴方の心をとらえるときが来るかもしれません。
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