ベートーベン:ヴァイオリン協奏曲
(Vn)エルマン ショルティ指揮 ロンドンフィル 1955年4月録音
Beethoven:ヴァイオリン協奏曲 「第1楽章」
Beethoven:ヴァイオリン協奏曲 「第2・3楽章」
忘却の淵からすくい上げられた作品
ベートーベンはこのジャンルの作品をこれ一つしか残しませんでした。しかし、そのたった一つの作品が、中期の傑作の森を代表するする堂々たるコンチェルトであることに感謝したいと思います。
このバイオリン協奏曲は初演当時、かなり冷たい反応と評価を受けています。
「若干の美しさはあるものの時には前後のつながりが全く断ち切られてしまったり、いくつかの平凡な個所を果てしなく繰り返すだけですぐ飽きてしまう。」
「ベートーベンがこのような曲を書き続けるならば、聴衆は音楽会に来て疲れて帰るだけである。」
全く持って糞味噌なけなされかたです。
こう言うのを読むと、「評論家」というものの本質は何百年たっても変わらないものだと感心させられます。
ただし、こういう批評のためかその後この作品はほとんど忘却されてしまい、演奏会で演奏されることもほとんどありませんでした。その様な忘却の淵からこの作品をすくい上げたのが、当時13才であった天才ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムでした。
1844年のイギリスへの演奏旅行でこの作品を取り上げて大成功をおさめ、それがきっかけとなって多くの人にも認められるようになりました。
この曲は初演以来、40年ほどの間に数回しか演奏されなかったと言われています。そして1844年に13歳のヨアヒムがこの曲を演奏してやっと一般に受け入れられるようになりました。
第一楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
第二楽章 ラルゲット
第三楽章 ロンド アレグロ
エルマン・トーンの残り香
エルマンという人は未だに人気があるようで、結構たくさんのリクエストをいただきます。
そして、エルマンという人は戦前のSP盤の時代に活躍した歴史的人物かと思っていたら、なんと1960年代まで現役を続けて立派なステレオ録音(?)も残していることを最近になって知りました。
しかし、そう言うステレオ録音を聴いてみると、なぜに引退をしなかったのだろうか?と心の底から疑問がわき上がってくるほどに酷い演奏ばかりです。一般的に演奏家というものは自己批判力の強い人が多くて、本人が100%近くまで納得できないとリリースにゴーサインが出さないというのが普通です。ところが、晩年のエルマンには一欠片の自己批判力もなかったようで、例えば音符が混み合って難しくなってくるとテンポが極端に落ちるという、まるでヴァイオリンを弾き始めた初心者のような演奏ばかりです。
エネスコのバッハに関してはなんとか苦しい言い訳を展開することもできましたが、エルマンに関しては全くのお手上げです。
確かに若い頃のエルマンもテンポ設定や弾き回しなどは自由奔放であり恣意的ですらありました。しかし、そう言う奔放さはしっかりとしたテクニックによって支えられていました。しかし、晩年のテンポ設定は自由なものではなくて、明らかに技術的な衰えからくる「痛々しいまでの必然性」に縛り付けられたものでした。「作曲家の指示に従わない」のと「作曲家の指示に従えない」のとでは、外面的には似通ったように見えてもその内実においては天と地ほどの差があります。
おそらくエルマンを聴くのはSP盤の時代のものがベストでしょう。LPの時代ならばモノラル録音の時代までがギリギリの許容範囲といえるでしょう。そして、この55年に録音されたベートーベンのコンチェルトは「エルマントーン」の残り香をかろうじてかぎ取ることが可能だと言う意味で、ギリギリその存在価値を主張できる演奏だといえます。
しかし、作品全体をしっかりと構築する力は彼には残っていなかったようで(そう言うとらえ方はもともとエルマンには存在しなかったのかもしれませんが・・・)、比べることは酷にすぎるでしょうが、同じ時代に録音されたシュナイダーハンのもの等と聴き比べればあまりにも緩くて大甘の演奏になっています。もちろん、聴きようによっては、優雅で女性的な甘さに満ちた演奏という賛辞を捧げることも可能なのですが、どんなものでしょうか?
もっとも、これ以上悪口を書き連ねるとエルマンファンの方から石礫が飛んでくるかもしれませんから、その辺の最終的な判断は聞き手にまかせることにしましょう。
よせられたコメント
2009-05-24:Sammy
- あまりに酷なコメントを読み、プロの演奏について、いくらなんでも…と思いながら聴き始めました。
ショルティ指揮ロンドンフィルの立派で潔い素晴らしい主題提示の後、来ましたヴァイオリン…音がひずんでいるのは、決してSP音源だからではない、と確認したくなりました。何といいますか、マイペースなので味わいあり、とも言えますが、凝集力のあるマイペースではなくまあなんとなくゆらっと揺れ、ずるっと遅くなる、ある種のどかな大雑把さが伝わってきます。
バックが本当に立派で芸術的な分、ヴァイオリンの異様な感じが際立ってしまう印象を受けました。ヴァイオリンのなんとも言いようのない、数十年ぶりにヒットソングを歌った歌手のぐだぐだだけれど懐かしいからまあいいのかな、という歌い方を思い出させるような不安定だけれども懐かしいようなでもやっぱりなんとも気まずいような感じが、「オンリーワン的」でなんとなく聞いてしまったりもします。
(わたしの知る限り、プロでこのくらいの方は結構いらっしゃるわけで、ご高齢でこの水準で演奏ができること自体はすごいことなのだと思います。でも、もはや「一流」と呼ぶのはつらい水準になってしまったまま昔の名前でやってしまったのかな、という感じなのでしょうか…)
2010-05-20:さまよえるフリーター
- こんにちは。
この演奏なのですが、第2楽章と第3楽章が繋がってしまっています。
最初聞いたときは、あれ?なんで第3楽章がないんだ?とおもっていたら、繋がってたんですね。
というよりもこの演奏って、第2、第3楽章をつなげて演奏する曲でしたっけ?
それにしても、エルマンについては糞味噌にいってますね;^^。私も一度も聞いたことはありませんが。
2019-04-22:K
- 原典を過度に神格化する現在の音楽界とは全くの無縁の演奏といえる。のだめカンタービレでのだめの演奏が一部酷評を受けたのを思い出してしまった。
エルマンは確かに過度のポルタメント、引き崩しを諸悪の根源みたいに言われる演奏家の筆頭であるが、譜面のままに弾いて何の感動も得られない演奏よりは格段に優れていると思う。曲のイメージと演奏家のスタイルがみごとに同化している稀有な例ではないか?
一時代前の演奏家は程度の差こそあれすべてこの方法によっていると思う。この曲はこのように弾かなければならないという命題自体がそもそもまやかしである。エルマンは確かに個性が強すぎて万人受けする演奏家ではないかもしれないが、譜面どおりにしか弾けない演奏家が絶対に到達できない独特の節回しをもっており、曲を熟知した聞き手にはそこまでやるか?とうなずかせる力量をもっている。再評価すべきと考える。
この盤では、若き日のショルテイの非凡なサポートが聴ける。素晴らしい
2022-11-24: joshua
- この曲は若いころにはつまらない曲だと思ってました。曲想はわかりやすく美しさや陰影の濃さも十分なのですが、ドキドキしないワクワクしない病、つまり若気の至りでそう思ったようです。この曲は当初聴衆受けしなかったものの、ヨアヒムが蘇らせたとはいえ、私が還暦越えて好きになったように、時を得れば「やはりいいものはいい」と人は感じるのかもしれません。ウクライナ出身・練習中に心臓発作で突如倒れて颯爽と旅立ったエルマンのこの演奏は諸氏のコメント通り、伴奏の立派さと好(?)対照で楽しめます。オケ伴奏が終わって、ヴァイオリンの出る瞬間、存在感がありますね。いろんな弾き方でそれなりに映える受容力の高い曲と言えるでしょうか。個人的に大好きなところは、第2楽章始まって、3分20秒のところ。ヴァイオリンが上昇音を弾き切ってオケがトゥッティに入ります。30秒かそこらの間ですが、幸福感が漲ります。意外な指揮者ですが、ヨゼフ・クリップス。スイスロマンドを振って、若きスターンが弾いてる50年代後半の演奏があります。世間では、バーンスタインの伴奏が出回ってますが、それよりずっといい。当該箇所は白眉といえます。メニューヒンを伴奏する3種のフルトヴェングラー、いや戦時中の44年に当時コンマス(エーリッヒ・レーン、1年後初代北ドイツ放送のコンマス)の伴奏のベルリンフィルに匹敵するんじゃないか(音もいい)、というまったくもって私見であります。エルマンが思いのままに弾くのを聴き手の我々が楽しむように、聴いて好きなことを書き綴る素人音楽愛好家に、ベートーヴェンは慈父の目で微笑んどるようです。
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