グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調, Op.16(Grieg:Piano Concerto in A Minor, Op.16)
(P)ジョルジ・シフラ:アンドレ・ヴァンデルノート チェコ・フィルハーモニア管弦楽団 1958年録音(Gyorgy Cziffra:(Con)Andre Vandernoot Philharmonia Orchestra Recorded on 1958)
Grieg:Piano Concerto in A Minor, Op.16 [1.Allegro Molto Moderato]
Grieg:Piano Concerto in A Minor, Op.16 [2.Adagio]
Grieg:Piano Concerto in A Minor, Op.16 [3.Allegro Moderato Molto E Marcato]
西洋音楽の重みからの解放
この作品はグリーグが初めて作曲した、北欧的特徴を持った大作です。1867年にソプラノ歌手のニーナと結婚して、翌年には女児アレキサンドラに恵まれるのですが、そのようなグリーグにとってもっとも幸せな時期に生み出された作品でもあります。
その年に、グリーグは妻と生まれたばかりの子供を連れてデンマークに行き、妻と子供はコペンハーゲンに滞在し、自らは近くの夏の家で作曲に専念します。
その牧歌的な雰囲気は、彼がそれまでに学んできた西洋音楽の重みから解放し、自らの内面に息づいていた北欧的な叙情を羽ばたかせたのでした。
ノルウェーはその大部分が山岳地帯であり、沿岸部は多くのフィヨルドが美しい光景をつくり出しています。そう言う深い森やフィヨルドの神秘的な風景が人々にもたらすほの暗くはあってもどこか甘美なロマンティシズムが第1楽章を満たしています。
続くアダージョ楽章はまさに北欧の森が持つ数々の伝説に彩られた叙情性が描き出されているようです。
そして、最終楽章は先行する二つの楽章と異なって活発な音楽が展開されます。
それは、素朴ではあっても活気に溢れたノルウェーの人々の姿を反映したものでしょう。また、行進曲や民族舞曲なども積極的に散り入れられているので、長くデンマークやスウェーデンに支配されてきたノルウェーの独立への思いを反映しているとも言えそうです。
グリーグはその夏の家でピアノとオーケストラの骨組みをほぼ完成させ、その年の冬にオスロで完成させます。しかしながら、その完成は当初予定されていたクリスマスの演奏会には間に合わず、結局は翌年4月のコペンハーゲンでの演奏会で披露されることになりました。
この作品は今日においても、もっともよく演奏されるピアノ協奏曲の一つですが、その初演の時から熱狂的な成功をおさめました。
初演でピアノ独奏をつとめたエドムン・ネウペットは「うるさい3人の批評家も特別席で力の限り拍手をしていた」と書いているほどの大成功だったのです。そして、極めつけは、1870年にグリーグが持参した手稿を初見で演奏したリストによって「G! GisでなくG! これが本当の北欧だ!」と激賞された事でした。
初演と言えば、地獄の鬼でさえも涙するような悲惨な事態になることが多い中で、この協奏曲は信じがたいほどの幸せな軌跡をたどったのです。
なお、グリーグは晩年にもう一曲、ロ短調の協奏曲を計画します。しかし、健康状態がその完成を許さなかったために、その代わりのようにこの作品の大幅改訂を行いました。
この改訂で楽器編成そのものも変更され、スコアそのものもピアノのパートで100カ所、オーケストレーションで300前後の変更が加えられました。
凄味のあるピアニスト
ジョルジュ・シフラはリストの再来と言われたピアノのヴィルトーゾとして知られていますが、いわゆるコアなクラシック音楽ファンからは底の浅い指がよくまわるだけのピアニストとみなされてきました。
ピアニストの世界では、バックハウスやケンプのような深い精神性に満ちた演奏をする人が一番偉いんであって、技巧を誇示して、聴衆の俗受けを狙うようなピアニストは一段も二段も落ちるとみなされてきました。さらに、得意なレパートリーがリストというのでは、それは偉大なクラシック音楽を体現する芸術家からはほど遠いピアノ弾き芸人みたいな評価すらされてきました。
それにしてお、このリストの再来と言われたシフラの前半生は「悲惨」の一言に尽きます。
貧しい家庭に生まれたシフラは、一家の家計を助けるためにわずか5歳でサーカスでのピアノ演奏をはじめました。客のリクエストしたテーマをもとに即興で演奏して日々5枚の銀貨を稼いだと語っています。
そんな、「小さなモーツァルト」に興味をひかれたのがハンガリーの有名な作曲家だったドホナーニで、彼の計らいによってシフラはリスト音楽院に入学を果たします。そして、そこでもっとも優秀なピアニストにおくられるフランツ・リスト賞を獲得します。
しかし、女神が微笑みかけたのは一瞬で、その後の彼の人生はさらに過酷きわまるものへと突き進んでいきます。
いよいよコンサートピアニストとして羽ばたこうとするときに、第2次世界大戦が勃発し、一兵卒としてロシア前線におくられます。そして、彼はウクライナで負傷し3ヶ月間も目も耳も聞こえないほどのダメージを受けるのです。そして、信じがたいことに、その傷がようやくにして癒えると彼は再び戦場に送られます。
戦争が終わった彼には何も残らず、彼は場末のジャズ・バーでピアノを弾くことで妻子を養います。そして、ついにその様な生活から逃れるためにハンガリーからの亡命を計画するのですが、国外脱出に失敗して過酷な収容所生活をおくります。
その時の過酷な労働(ひとつ60kgの大理石を運ぶ仕事を、毎日10時間こなした。)によって手首の腱を伸ばしてしまいます。
そして、何とか釈放されたあとにハンガリー動乱が起こり、彼は妻子を連れて徒歩で国境を越え、胸まで水に浸かりながら川を渡って西側への脱出を計ります。この時、鉄条網をかいくぐったときに右手に傷を負い、その傷跡は生涯消えなかったと言われます。
彼がコンサート・ピアニストとして活躍をはじめることが出来たのは、まさにその命がけの亡命によって西側に脱出したことによって始まったのです。
そして、西側の聴衆は、このハンガリーから逃れてきたピアニストの驚くべきテクニック驚嘆し、一躍トップ・ピニストへと上りつめていったのです。
ですから、そんな男のピアノが、たとえ西側に出て世界的なコンサートピアニストとしての成功を勝ち取ったからと言って、決してコンクール上がりのお上品なピアニストが演奏するような音楽になるはずがないのです。
突然にピアノを強打したり、テンポを上げたりするシフラ流を俗受けを狙ったあざとい手法と見る人もいるでしょう。指はよくまわるけれども、アラっぽいタッチを指摘して、洗練さにかける芸人のピアノと馬鹿にする向きもあります。
しかし、シフラにとって音楽とはこういうものでしかあり得なかったのです。
生きるためには、酒場の酔客にも受ける必要があり、受けるためには振り向かせなければいけなかったのです。そして、そんな音楽の中に、人生に対する恨み辛みをグッと飲み込んで、それらに屈しなかった不屈の男の強さが底光りしているのです。
そして、さらにしっかりと耳を傾けてみれば、彼の演奏は彼なりに考え抜かれたものであることに気づくはずです。
シフラは常に「作品は磨き込まれなければいけない」と述べていました。そして、磨き抜かれることによって作品はその本来の美しさを得て輝きはじめると言っているのです。
お上品なピアニストと較べれば外連味がありすぎるかもしれませんが、それは決して恣意的で客受けだけを狙ったものではないのです。
ジョルジュ・シフラ、凄味のあるピアニストです。
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