モーツァルト:フルートと管弦楽のためのアンダンテ ハ長調 K.315
(Fl)オーレル・ニコレ カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団 1960年-1962年録音
Mozart:Andante in C major, K.315/285e, flute
フルートがオペラのヒロインのように感じられる

モーツァルトのフルートを独奏楽器とする作品は、裕福な商人でもあったフェルディナン・ド・ジャンからの依頼によっていやいやながらも作曲されたものだと言われいてきました。つまりは、モーツァルトはフルートという楽器はあまり好きではなかったと言うのです
しかし、最近の研究によると、それは少しばかり事情が違うようだと考えられる様になってきているそうです。
ド・ジャンはフルートの素人奏者だったのですが、彼がモーツァルトに示した報酬は破格のものでした。それは、フルート協奏曲と四重奏曲の作曲に対して200グルテンを支払うというものだったのです。
200グルテンというのは、当時の音楽家が受け取れる半年分の報酬にあたるものだったのです。
そして、その依頼は、パリへの旅行の途中で立ち寄ったマンハイムで世話になったヴェンドリンがモーツァルトをマンハイムにもう少しとどめておくために用意した仕事だったようです。
そして、その依頼に対して、モーツァルトは父親への手紙で2ヶ月もあれば仕上げられると安請け合いしているのです。
しかし、息子の性格をよく知っている父親のレオポルドはこの言葉を全く信用せず、仕事をはやく済ませるようにお尻を叩く手紙を送ります。しかし、モーツァルトはあれやこれやと言い訳を書き連ねた手紙を送るばかりで仕事ははかどらず、ついにはレオポルドが予想したように約束の期間に約束した作品は完成しなかったのです。
モーツァルトが約束の期間に完成させたのは協奏曲2曲と四重奏曲3曲だったのですが、依頼されたのは協奏曲4曲と四重奏曲6曲だったのです。そのために、ド・ジャン氏から支払われた報酬は半分の96グルテンにとどまってしまったのです。
モーツァルトはその事に対して「半分ならば4グルテン不足だ」と父親に書き送ったために、それまでの手紙のやり取りでモーツァルトが依頼された作品の数を少なく偽っていたことがばれてしまいます。
当然の事ながら、レオポルドは息子に対して手厳しい手紙をおくって彼の怠惰を非難するのですが、その手紙に対してモーツァルトは「ご存知の通り、僕は我慢できない楽器のために書かなくてはならないときは、いつもたちまち気が乗らなくなります」と言い訳の手紙を送ったのです。
モーツァルトはフルートという楽器がお気に入りではなかったという通説はこのモーツァルトの「手紙」に基づくのですが、どうやら真実は、父親からの厳しい叱責を切り抜けるためのその場限り「嘘」だった可能性の方が高いのです。
落ちついて考えてみれば、いかにモーツァルトといえども、嫌いな楽器のためにこれほどにユーモアと温かみ、そして洗練された音楽が書けるというのは考えがたいのです。
さらに言えば、この一連のフルートのための作品はフルートという楽器の技術的な可能性を学び取り、その限界に挑戦しているものの、その限界を超えて演奏者を困らせるような事はしていないのです。
フルートという楽器が嫌いならば、それは考えがたいことです。
そして、このポツンと残されたアンダンテの小品は、おそらくはト長調のフルート協奏曲(第1番 K.313)の緩徐楽章の代替楽章だろうと考えられてきました。おそらく、ド・ジャン氏は第1番の初版のアダージョ楽章を嫌ったために、より短いアンダンテ楽章をその代わりとして作曲したのではないかと言われてきました。
しかし、その仮説はかなりあたっているように思われるものの確証となるものは存在しませんでした。しかし、近年になって自筆譜に使われている楽譜用紙が1778年から1778年のパリ・マンハイム旅行の時に使用されたものであることが明らかになり、この仮説はまず間違いないと思われるようになってきました。
ただし、もう一つの仮説として、期間に間に合わなかった3番目の協奏曲のための楽章だったかもしれないという説もあるようです。
とは言え、この短い小品はもしかしたら2曲の協奏曲よりも多くの人に愛されてきたかもしれません。オーケストラのざわめきの中でフルートが喜びや悲しみを表現していく様は、あたかもオペラのヒロインのように感じられます。
躍動的で潔癖なモーツァルト
オーレル・ニコレのように長生きをしてしまうと晩年はほとんど情報も入ってこなくなり、突然の訃報(2016年)を知ったときには「まだ、存命だったんだ!」などと言う怪しからぬ事を思ってしまうのです。
ニコレと言えば、ランパルとならんでフルートの2枚看板でした。
こう書くと、ベーター・ルーカス・グラーフも忘れてくれるなと言う声も聞こえてきそうなのですが、知名度という点ではこの二人には大きく譲ります。
ランパルとニコレを並べてみれば、残念ながらニコレの方はいささか影が薄くなってしまっているような気がします。ランパルは亡くなってから既に15年以上の時間が経過しているのですから、考えてみれば不思議な話です。
ニコレは12才ではじめてリサイタルを開いた早熟の天才であり、24歳の時にはフルトヴェングラーに見いだされてベルリン・フィルの首席奏者に抜擢されます。その後、チェリビダッケやカラヤンのもとで演奏を行うのですが、彼が深く尊敬したのはカラヤンではなくてチェリビダッケの方でした。
あまりふれている人は少ないのですが、実際の演奏活動を通して、ニコレが帝王カラヤンではなくて異端児のチェリビダッケの方を評価していたというのは非常に興味深いものがあります。
ランパルとニコレを並べてみれば、その関係はどこかカラヤンとチェリビダッケに似ています。
もちろん、二人はカラヤンとチェリビダッケほどには仲が悪くはなかったでしょうし、ニコレもまたチェリビダッケほど狷介な性格ではありません。しかし、狷介とまではいかなくても、演奏でも教育でもかなり厳格な精神の持ち主であったことは事実のようです。
また、ニコレはチェリビダッケのように録音という行為そのものを否定していたわけでもありません。
しかし、カラヤン的な「売れるなら何でもやります」みたいなところがあったランパルに対して、ニコレの方はそこまで「芸人」には徹しきれない潔さがありました。
カラヤンはよく「星の数(屑)」ほど録音したと言われますが、ランパルもまた膨大な量の録音の残しています。
それと比べれば、ニコレは非常に禁欲的であり、その面でもチェリ的です。
そして、こういう世界では「露出」することが大切であり、それは亡くなってからでも意味を持ちます。それは「まだ存命だったんだ」と「もう亡くなっていたんだ」くらいの差になることもあります。
ただし、厚かましさがあれば「露出」が出来るというわけでなく、そこには「露出」に耐えうる「芸」と、「露出」することで「あれこれ批判される事」に屈しないタフな「精神力」が不可欠です。
貶しているわけではないのですが、日本側の要望で「ちんちん千鳥」なんかを録音しているランパルを聞くと、「この人はタフだなぁ!」と感心してしまうのです。
そして、そう言う面でもっともタフだったのはカラヤンでした。
そんなニコレですから、ベルリンフィルが完全にカラヤン統治下になるとやめてしまうのは当然だったでしょう。(1959年)
そして、ソロ活動に転身していく中でリヒターとの関係を深めていき、随分とたくさんの録音を残しています。
ただし、そう言う二人の関係がどこまで良好だったのかは分かりません。いろいろ調べてみたのですが、ニコレはゴシップネタになるようなことはしゃべらない人だったようで、ただ、一つだけチェリビダッケへの尊敬だけを隠さなかったと言うことです。
このモーツァルトの2つのコンチェルト(K.313,K.314)やアンダンテ(K.315)を聞くとハープとの協奏曲(K.299)ほどには居心地の悪さはないようです。やはり、あれはハープの縦割りのラインが目に見えるかのような響かせ方があまりにもミスマッチだったのかもしれません。
もちろん、リヒターのやり方はまったく変わっていません。
カラヤン流の横への流れだけを重視した音楽に拒否感があったことはよく分かります。
リヒターはモーツァルトであっても、バッハの時と同じようにパキパキと縦割りで音楽を進めていきます。もちろん、バッハほどくっきりとエッジを立ててはいないので「厳格」とまでは感じませんが、それでもかなり厳しい表情になっていることは事実です。
そして、ニコレもまた「モーツァルトの歌」に足をすくわれることなく、躍動的で潔癖なラインを描いていきます。
ニコレは確か70年代にももう一度録音していたと思うのですが、残念ながら未聴です。
調べてみるとバックはデイヴィッド・ジンマン&コンセルトヘボウ管弦楽団でした。バックは随分違うので、どんな演奏になっているのか聞き比べてみたいものです。
なお、録音が「1960年-1962年録音」となっているのは、レーベルの度重なる合併によって詳しいデータが紛失してしまったことが原因のようです。いろいろ調べてみたのですが、レーベルの側でも分からないことが私に分かるはずもなく、この表記としました。
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