ロッシーニ:序曲集
マルコム・サージェント指揮 ウィーンフィル 1960年1月30日~2月3日録音
Rossini:The Barber of Seville Overture
Rossini William Tell Overture
Rossini:The Journey to Rheims Overture
Rossini:Seniramide Overture
人生の達人
ロッシーニの人生を振り返ってみると、彼ほど「人生の達人」という言葉が相応しい人は滅多にいません。
なにしろ、人生の前半は売れっ子のオペラ作曲家としてばりばり働き、十分に稼いだあとはそんな名声などには何の未練も残さずにあっさりと足を洗って悠々自適の人生を送ったのですから。
私たちが暮らす国では「生涯現役」とか言われて、くたばるまで働くのが美徳のように言われますが、ヨーロッパでは若い内はバリバリ働いてお金を稼ぎ、その稼いだお金で一刻も早くリタイアするのが理想の生き方とされます。
その根っこには、「労働は神から与えられた罰」であるというローマカソリックの考え方があります。
そう言えば、あるフランス人に日本における「窓際族」という概念をいくら説明しても理解できなかったそうです。
日本では仕事を取り上げることで退職に追いやる仕打ちも、フランス人から見れば何の仕事もしないでポジションと給料が保障されるのはパラダイスと認識されるのです。さらに、そのフランス人は「その窓際族というのはどれほどの貢献をすることで与えられるポジションなのだ」と真顔で聞いてきたそうです。
ですから、音楽の世界で成功を収め、さっさと引退して自分の趣味生きたロッシーニは、ヨーロッパ的価値観から言えば一つの理想だったのです。
しかし、十分すぎるほど稼いだと言う以外に、彼の音楽のあり方が次第に時代とあわなくなってきたことも重要な一因ではなかったかと考えます。
ロッシーニが生きた時代は古典派からロマン派へと音楽の有り様が大きく変わっていた時代なのでですが、彼の音楽は基本的には古典派的なものです。一連のオペラ序曲に聞くことが出来る「この上もなく明るく弾むような音楽」は屈折を持って尊しとする(^^;、ロマン派的なものとはあまりにもかけ離れているように思います。
もしそのような「自分の本質」と「時代の流れ」を冷静に見きってこのような選択をしたのなら、実にもう大したものです。
収録作品
- 「セヴィリャの理髪師」序曲
- 「ウィリアム・テル」序曲
- 「ランスへの旅」序曲
- 「セミラーミデ」序曲
出されたモノは楽しく食った方が人生は何倍も楽しくなる
サージョントはどういう風の吹き回しだったのかはわかりませんが、60年代の初めにウィーンフィルと組んで何枚かの録音を残しています。
一番有名なのは、EMIの「セラフィムシリーズ」にもおさめられていたシベリウスの管弦楽曲集でした。
サイモン・ラトルなんかは別ですが、イギリスの指揮者というのは割合と内弁慶の人が多いように見えます。
バルビローリなんかはニューヨークフィルのシェフもつとめたのですが、あまりいい思い出とはならず、帰国してからハレ管のシェフとしていい仕事をたくさんしました。ボールトにしてもビーチャムにしても、彼らが指揮するオケはほとんどがイギリスのオケでした。
バイロイト音楽祭に出演すするのも1977年のコリン・デイヴィスが初めてでした。
それだけイギリスという国は独立性が高くて、自国の中でとりあえずは完結してしまうという面があるのでしょう。
ですから、この60年代の初めに、生粋のイギリス人指揮者がウィーンフィルと録音をするというのは、ちょっとした「珍事」だったのではないでしょうか。
しかしながら、この時にロッシーニの序曲も録音していたことには驚きました。
シベリウスはそれこそ「手の内」に入った音楽であり、生まれはフィンランドでも育てたのはイギリスみたいな音楽でした。それをウィーンフィルとの録音で採用するのは当然なのでしょうが、何故にロッシーニなんだろうと思わずにはおれません。
しかし、聞いてみて、「なるほどそう言う事ね」と思ってしまいました。
60年という時代を考えてみれば、当時の人たちがロッシーニの序曲と言ったときに真っ先に思い浮かぶのはトスカニーニとNBC交響楽団との録音だったでしょう。
基本的にはインテンポで進みながらも、強靱な推進力と歌心に満ちた演奏でした。今聞き直してみても、これほどまでにスリリングな演奏は思いつきません。
セルとクリーブランド管との録音も見事なアンサンブルと推進力に満ちているのですが、どこか予定調和的なところがあり、結局は安心して聞いていられます。
このコンビによる演奏では手に汗握るようなことは滅多になく、数少ない例外が58年のルガーノライブでのシューマンの2番くらいでしょうか。
しかし、このトスカニーニとNBC交響楽団との演奏では、オケのメンバーは恐いトスカニーニの棒に必死でついて行こうと鬼の形相であることが聞き手にも伝わってくるのです。
面白いのは、ライブ録音の「アルジェのイタリア女序曲」が一番落ち着いているように聞こえることです。それ以外のスタジオ録音では、オケの性能の限界に挑戦するかのようにトスカニーニは追い込んでいきます。
それと比べれば、このサージェントとウィーンフィルによるロッシーニは別世界の音楽です。
サージェントはシベリウスの時と同じで、相手がウィーンフィルと言うこともあってか、基本的には引き気味です。ですから、オケが必死の形相になるようなことはあるはずもなく、どこかウィーンの雅の世界が描かれていきます。
しかし、それだけで終われば実につまらない、オケがやりたい放題の駄演になったのでしょうが、そこへイングランドのDNAが加味されてくのです。
イングランドのDNAとは何かと聞かれれば、それは「湿度」です。
トスカニーニの演奏は、録音がデッドだと言うことも加味されて、それこそ湿度20%以下の世界だったのが、サージェントの棒のもとでは「霧に煙るロンドンのごとき風情」とまではいいませんが、そこはかとない湿り気が全体を覆っています。
この湿り気に満ちたロッシーニというのが、実におもむきのある世界となって立ちあらわれてくるのです。
そう言えば、ウィリアム・テルの世界は山深いスイスでのお話ではなかったですか?
もちろん、それがロッシーニが期待した音楽なのかどうかは問いません。
しかし、芸の世界では、向こう側にトスカニーニの世界があるならば、こちらは全く違うコンセプトを打ち出さなければ存在する意味がありません。
それに対して、あれこれと賢しら顔で批評することは可能ですが、出されたモノは楽しく食った方が人生は何倍も楽しくなるのです。
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