サン=サーンス:交響曲第3番 ハ短調 Op.78「オルガン付」(Camille Saint-Saens:Symphony No.3 in C minor, Op.78 "Symphonie avec orgue")
シャルル・ミュンシュ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック (Org)エドゥアルド・ニース=ベルガー 1947年11月10日録音(Charles Munch:New York Philharmonic (Org)Edouard Nies-Berger Recorded on November 10, 1947)
Camille Saint-Saens:Symphony No.3 in C minor, Op.78"Symphonie avec orgue" [1-1.Adagio - Allegro moderato]
Camille Saint-Saens:Symphony No.3 in C minor, Op.78 "Symphonie avec orgue"[1-2.Poco adagio]
Camille Saint-Saens:Symphony No.3 in C minor, Op.78 "Symphonie avec orgue" [2-1.Allegro moderato - Presto - Allegro moderato]
Camille Saint-Saens:Symphony No.3 in C minor, Op.78 "Symphonie avec orgue" [2-2.Maestoso - Allegro]
虚仮威しか壮麗なスペクタルか?
巨大な編成による壮大な響きこそがこの作品の一番の売りでしょう。3管編成のオケにオルガンと4手のピアノが付属します。そして、フィナーレの部分ではこれらが一斉に鳴り響きます。
交響曲にオルガンを追加したのはサン=サーンスが初めてではありません。しかし、過去の作品はオルガンを通奏低音のように扱うものであって、この作品のように「独奏楽器」として華々しく活躍して場を盛り上げるものではありませんでした。それだけに、このフィナーレでの盛り上がりは今まで耳にしたことがないほどの「驚きとヨロコビ」を聴衆にもたらしたと思われるのですが、初演の時に絶賛の嵐が巻き起こったという記述は残念ながら見あたりません。
これは全くの想像ですが、当時のイギリスの聴衆(ちなみに、この作品はイギリスのフィルハーモニー協会の委嘱で作曲され、初演もイギリスで行われました)は、おそらく「凄いなー!!」と思いつつ、その「凄いなー」という感情を素直に表現するには「ちょっと気恥ずかしいなー」との警戒感を捨てきれずに、表面的にはそこそこの敬意を表して家路をたどったのではないでしょうか。
まあ、全くの妄想の域を出ませんが(^^;。
しかし、その辺の微妙な雰囲気というのは今もってこの作品にはつきまとっているように見えます。
よく言われることですが、この作品は循環形式による交響曲としてはフランクの作品と並び称されるだけの高い完成度を誇っています。第1部の最後でオルガンが初めて登場するときは、意外にもピアノで静かに静かに登場します。決して効果だけを狙った下品な作品ではないのですが、しかし、「クラシック音楽の王道としての交響曲」という「観点」から眺められると、どこか物足りなさと「気恥ずかしさ」みたいなものを感じてしまうのです。ですから、コアなクラシック音楽ファンにとって「サン=サーンスのオルガン付きが好きだ!」と宣言するのは、「チャイコフスキーの交響曲が好きだ」と宣言するよりも何倍も勇気がいるのです。
これもまた、全くの私見ですが、ハイドン、ベートーベン、ブラームスと引き継がれてきた交響曲の系譜が行き詰まりを見せたときに、道は大きく二つに分かれたように見えます。一つは、ひたすら論理を内包した響きとして凝縮していき、他方はあらゆるものを飲み込んだ響きとして膨張していきました。前者はシベリウスの7番や新ウィーン楽派へと流れ着き、後者はマーラーへと流れ着いたように見えます。
その様に眺めてみると、このオルガン付きは膨張していく系譜のランドマークとも言うべき作品と位置づけられるのかもしれません。
おそらく、前者の道を歩んだものにとってこの作品は全くの虚仮威しとしか言いようがないでしょうが、後者の道をたどったものにとっては壮麗なスペクタルと映ずることでしょう。ただ、すでにグロテスクなまでに膨張したマーラーの世界を知ったもににとって、この作品はあまりにも「上品すぎる」のが中途半端な評価にとどまる原因になっているといえば、あまりにも逆説的にすぎるでしょうか?
もしも、この最終楽章に声楽を加えてもっと派手に盛り上げていれば、保守的で手堅いだけの作曲家、なんて言われなかったと思うのですが、そこまでの下品さに身をやつすには彼のフランス的知性が許さなかったと言うことでしょう。
実に整然とした演奏
ミンシュの録音を見てみるとモノラル時代にも取り上げていて、その後ステレオ録音でも取り上げているものが数多くあります。もっとも、モラルからステレオへの移行期にはよくある話でした。
クレンペラーなんかはモノラル時代にベートーベンの交響曲全集を録音し始めたものの、その後しばらくしてステレオ録音が始まったので、モノラル録音をもう一度ステレオ録音で録り直していたりします。
ワルターなんかは引退してから「あなたの残した録音はモノラルだったので、このままだとあなたの音楽は忘れ去られてしまうかもしれない」などと脅されて、そこへ破格のギャラと待遇を条件に示されたので、最晩年にまとまった録音をステレオ録音で残したのは有名な話です。
ただしミンシュの場合に面白いのは、全く同じ作品であるのにモノラルとステレオでは演奏のスタイルが全く異なる事です。それは、モノラルとステレオの両方で録音しているほぼ全ての作品に言えることのようです。
例えばこのあたりです。
サン=サーンス:交響曲第3番 ハ短調 Op.78「オルガン付」
シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D.125
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 Op.98
シューマン:交響曲第1番 変ロ長調, Op.38「春」
ダンディ:フランス山人の歌による交響曲, Op.25
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ、スペイン狂詩曲、ボレロ、ダフニスとクロエ(全曲)などなど
私たちがミンシュと言って思いかべるスタイルはほぼ全てステレオ録音の時の演奏スタイルです。
例えば、ステレオ録音によるサン・サーンスの「オルガン付き」なんかを聞くと、オルガンが入ってきてからの絢爛豪華なオケの響かせ方は、さすがはミンシュだ!!と拍手をおくりたくなります。そして、そういう熱気のようなものがさらに色濃くなったのが最晩年のパリ管との録音でした。
それに対して、モノラル録音の時代の演奏は、それとは対照的に実に整然としたものです。
そういえば、吉田秀和氏が「世界の指揮者」の中で、ミュンシュの初来日の時の演奏を「目の前にスコアが浮かび上がってくるような明晰きわまりない演奏で驚かされた」みたいなことを書いていて驚かされたものです。ミンシュといえば真っ先にパリ管との録音が思い浮かぶのが当時の私でしたから、この吉田秀和氏の言葉は何かの間違いではないかと思ったものです。
ちなみにミンシュの初来日は1960年ですから、ボストンを離れる少し前です。その頃のミンシュの録音を聞けば、それは確かにパリ管との録音を比べてみればはるかに整然とした演奏ではあったのでしょう。しかし、「目の前にスコアが浮かび上がってくるような明晰きわまりない演奏」という言葉がよりふさわしいのは1950年台前半のモノラル時代の録音です。
おそらく、初来日の時の演奏はこのモノラル時代の録音のような演奏だったのかもしれません。
それにしても、わずかな時を隔ててこんなにも対照的な二面性を持った指揮者はなかなか思い当たりません。
確かに、ワルターのようにヨーロッパ時代とアメリカ時代で芸風を大きく変えた指揮者はいます。しかし、ワルターのアメリカ時代の男性的で剛毅な演奏は、言い方がいささか下世話になるのですが、どこか「営業上の理由」が大きかったようにに思えます。なぜならば、ワルターの本質は最後までヨーロッパ時代の演奏にあったように思えるからです。戦後になって、ウィーンに凱旋してのモーツァルトの40番や25番の録音を聞くとそう思わずにはおれません。
しかし、ミュンシュの場合は明晰でクリアな演奏も彼の本質から発したものであれば、後の熱い激情の爆発も彼の本質であったように思えます。ある意味では二律背反するようなアポロ的な側面とデモーニッシュな側面がミュンシュという男の中では何の矛盾も感じず同居していたように見えるのです。
それだけに、モノラルとステレオの二種類の録音が存在するものは、その両方を聞き比べてみるのは面白いのかもしれません。個人的にはどちらも魅力的です。
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