モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調「リンツ」 K.425
カレル・アンチェル指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 1959年6月録音
Mozart:Symphony No.36 in C major, K.425 "Linz" [1.Adagio - Allegro spiritoso]
Mozart:Symphony No.36 in C major, K.425 "Linz" [2.Andante con moto]
Mozart:Symphony No.36 in C major, K.425 "Linz" [3.Menuetto]
Mozart:Symphony No.36 in C major, K.425 "Linz" [4.Presto]
わずか4日で仕上げたシンフォニ
1783年の夏にモーツァルトは久しぶりにザルツブルグに帰っています。それはできる限り先延ばしにしていた妻コンスタンツェを紹介するためでした。
その訪問はモーツァルトにとっても父や姉にとってもあまり楽しい時間ではなかったようで、この訪問に関する記述は驚くほど僅かしか残されていません。
そして、この厄介な訪問を終えたモーツァルトは、その帰りにリンツに立ち寄り、トゥーン伯爵の邸宅に3週間ほど逗留することとなりました。
このリンツでの滞在に関しては、ザルツブルグへの帰郷の時とうって変わって、父親宛に詳しい手紙を書き送っています。そして、私たちはその手紙のおかげでこのリンツ滞在時の様子を詳しく知ることができるのです。
モーツァルトは到着してすぐに行われた演奏会では、ミヒャエル・ハイドンのシンフォニーに序奏を付け足した作品を演奏しました。実は、すぐに演奏できるような新作のシンフォニーを持っていなかったためにこのような非常手段をとったのですが、後年この作品をモーツァルトの作品と間違って37番という番号が割り振られることになってしまいました。
もちろん、この幻の37番シンフォニーはミヒャエル・ハイドンの作品であることは明らかであり、モーツァルトが新しく付け加えた序奏部だけが現在の作品目録に掲載されています。
<追記>
モーツァルトの「交響曲37番」に関しては上で述べたように、リンツにおける滞在と結びつけた説明が為されてきました。しかし、詳細は避けますが、最近の研究ではこの説は否定されていて、この「序奏」部分はリンツに滞在した翌年(1783年)の2月頃にに書かれたものであることが明らかになっています。
つまり、モーツァルトはリンツで伯爵からの依頼に従って「K.425」のハ長調シンフォニーだけを仕上げて演奏会に供したというのが事実だったようです。
<追記終わり>
さて、大変な音楽愛好家であったトゥーン伯爵は、その様な非常手段では満足できなかったようで、次の演奏会のためにモーツァルト自身の新作シンフォニーを注文しました。
この要望にこたえて作曲されたのが36番シンフォニーで、このような経緯から「リンツ」という名前を持つようになりました。
ただ、驚くべきは、残された資料などから判断すると、モーツァルトの後期を代表するこの堂々たるシンフォニーがわずか4日で書き上げられたらしいと言うことです。
彼はその4日の間に全く新しい交響曲を作曲し、それをパート譜に写譜し、さらにはリハーサルさえもしたというのです。
いかにモーツァルトが天才といえども、全く白紙の状態からわずか4日でこのような作品は仕上げられないでしょうから、おそらくは作品の構想はザルツブルグにおいてある程度仕上がっていたとは思われます。とは言え、これもまた天才モーツァルトを彩るには恰好のエピソードの一つといえます。
まず、アダージョの序奏ではじまった作品は、アレグロのこの上もなく明快で快活な第1主題に入ることで見事な効果を演出しています。最近、このような単純で明快、そして快活な姿の中にこそモーツァルトの本質があるのではないかと強く感じるようになってきています。
そして、その清明さは完璧なまでに均衡の取れた形式と優れたオーケストレーションによって実現されている事は明らかです。
その背景にはウィーンという街で出会った優れたオーケストラプレーヤー達との共同作業で培われた技術と、演奏会のオープニングをつとめる「序曲」の位置から脱しつつあった「交響曲」という形式の発展が寄与しています。
第2楽章のアンダンテも微妙な陰影よりはある種の単純さに貫かれた清明さの方が前面にでています。
しかし、モーツァルトはこの作品において始めて緩徐楽章にトランペットとティンパニーを使用しています。その事によって、この緩徐楽章にある種の凄みを加えていることも事実です。
そして、緩徐楽章を優雅さの世界からもう一段高い世界へ引き上げようとした試みは、ベートーベンのファーストシンフォニーへと引き継がれていきます。ただし、ベートーベンがファーストシンフォニーを作曲したときにはこのリンツ交響曲のことは知らなかったようなので、二人の天才が別々の場所で同じような試みをしたことは興味深い事実です。
続く、メヌエットにおいても最後のプレスト楽章でもその様な明るさと簡明さは一貫しています。
メヌエットのトリオではオーボエとファゴットの二重奏で演奏されるのですが、そこにはザルツブルグ時代の実用音楽で強いられた浮かれた雰囲気は全くありません。
また、プレスト楽章もその指示通りに、「可能な限り速く演奏する」事を要求しています。オーケストラがまるで一つの楽器であるかのように前進していくその響きは新しい時代を象徴する響きでもありました。
交響曲第36番 ハ長調 K.425 「リンツ」
- 第1楽章:Adagio; Allegro spiritoso
- 第2楽章:Andante
- 第3楽章:Menuetto e Trio
- 第4楽章:Presto
一切の夾雑物を排除し、憤りと苛立ちを抱え込んだモーツァルトの姿に焦点を合わせた音楽
アンチェルに関しては「絶望を乗りこえた音楽家」だと書いた事がありました。
いささか長くなるのですが、要点をもう一度引用させてください。
アンチェルと言えば、いつも語られるのはナチス支配下で拘束されてアウシュビッツ収容所におくられ、そこで生まれたばかりの幼子も含めて家族全員が虐殺されたという事実です。そして、アンチェル自身はその音楽的才能によって「利用価値」があるとされて生き延びることが出来たのです。
アンチェル自身はこの事実についてほとんど語ることはなかったので、ここから述べることは私の想像にしか過ぎません。
人はこのような絶望的な状況に向き合ったときに取り得る道は三つしかないように思います。
一つは泣く、二つめは恨む、そして三つめが闘うです。
ローマの哲人セネカが語ったように、泣いて問題が解決するならば死ぬまで泣き続ければいいでしょうし、何かを恨んで問題が解決するならば死ぬまで恨み続ければいいでしょう。しかし、そんな事をしても何の解決にもならないことが明らかである以上は、立ち上がって闘い続けるしかないのです。
もちろん、泣くことも恨むことも必要な時期はあるでしょうが、いつかは泣きやみ、そして恨みを飲み込んで新しい一歩を踏み出さなければいけないのです。
そして、その一歩がアンチェルにとっては「音楽」だったはずです。
アンチェルにとってモーツァルトというのは珍しいレパートリーですし、オーケストラがドレスデンのオケというのもかなり珍しい組み合わせです。もしかしたら、この「リンツ」と「プラハ」はアンチェルとドレスデンのオケによる唯一の録音かもしれません。
ただし、ドレスデンのオケにしてみればモーツァルトこそは「我らの音楽」と思えるほどの誇りを持っていましたから、アンチェルという「初めての指揮者」を招いたときにはモーツァルトで勝負をしたかったのでしょう。
しかし、出来上がった音楽はいわゆる「伝統的なモーツァルト」とは随分と異なったものになっています。
人によってはこれを「古色蒼然たるモーツァルト」と書いている人もいるのですが、何処をどう聞けばこれが「古色蒼然」と感じられるのか首をひねらざるを得ません。
ただし、「録音」というのはそれを再生するシステムによって聞こえてくる音楽の姿は全く違ってしまいますので、もしかしたらその様に聞こえるシステムがあるのかもしれません。(そう言えば、何を聞いても「古色蒼然」たる雰囲気で聞こえるシステムを聞かせてもらったことがありました)
普通に聞けばこの演奏のスタイルはトスカニーニを源流とするザッハリヒカイトな演奏であり、50年代ならばカラヤンとフィルハーモニア管の音楽を思い出させるものがあります。そして、ドレスデンのオケもアンチェルの指示に対してキビキビと反応しているので、音質的にも、そして音楽のスタイルにおいても「古色蒼然」たる音楽とは随分遠いところに位置する音楽です。
それにしても、アウシュビッツの収容所でこの世の地獄を見た人の音楽と、元ナチス党員の音楽が外形的には似たような姿をとるというのは皮肉としか言いようがありません。
しかし、もう一歩踏み込んで聞いてみれば、この演奏にはカラヤンの演奏にはない「切迫感」のようなものが全体を貫いていることに気づくはずです。直線的にスッキリとした造形を指向しているのは外形的には共通しているのですが、アンチェルの場合はそれが手段として用いられているのではなくて、結果としてそうなってしまっただけではないかと思われるのです。
おそらく、アンチェルが指向したのはこのモーツァルトの作品に内包されている「真実」にたどり着く事だったはずです。「真実」などと言うのは実に曖昧で便利な言葉なので別の言葉に置き換えるならば、この作品に塗り込められているモーツァルトその人の姿に迫ることだったと言った方がいいかもしれません。
ですから、私はこの演奏を聞けば、そこに有り余るほどの才能を自覚しながら、その才能に見合うだけの活躍の場も与えられず評価もされない事への言いようのないモーツァルトの憤りと苛立ちのようなものが感じられてくるのです。そして、アンチェルはその様なモーツァルトの姿に焦点を合わせて徹底的に音楽を純化し、一切の夾雑物を排除していくのです。
モーツァルトの交響曲というのは何処まで行ってもオペラ的な要素を色濃く含んでいます。ですから、本線から外れたような部分に美しい場面があらわれれば、それを一つずつ丁寧に取り上げてみせるようなワルター的な手法が伝統的なモーツァルト演奏のスタイルだったわけです。
しかしながら、そうやって道草を食っていれば全体の見通しが悪くなって散漫な印象を与えるのも事実でしたから、一直線で進んだ方がいいという考え方も表れてきたのです。
そして、アンチェルのアプローチは一見すると後者のスタイルのように見えながら、その背景に青白い炎に彩られた「冷たくも厳しいドラマ」のようなものが感じ取れるのです。
それ故に、ただのザッハリヒカイトな演奏という決まり文句では括れない「何か」があることは否定しようがないのです。
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