ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱」
クレンペラー指揮 フィルハーモニア管 1957年10&11月録音
Beethoven:交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱付き」 「第1楽章」
Beethoven:交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱付き」 「第2楽章」
Beethoven:交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱付き」 「第3楽章」
Beethoven:交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱付き」 「第4楽章」
何かと問題の多い作品です。
ベートーベンの第9と言えば、世間的にはベートーベンの最高傑作とされ、同時にクラシック音楽の最高峰と目されています。そのために、日頃はあまりクラシック音楽には興味のないような方でも、年の暮れになると合唱団に参加している友人から誘われたりして、コンサートなどに出かけたりします。
しかし、その実態はベートーベンの最高傑作からはほど遠い作品であるどころか、9曲ある交響曲の中でも一番問題の多い作品なのです。さらに悪いことに、その問題点はこの作品の「命」とも言うべき第4楽章に集中しています。
そして、その様な問題を生み出して原因は、この作品の創作過程にあります。
この第9番の交響曲はイギリスのフィルハーモニア協会からの依頼を受けて創作されました。しかし、作品の構想はそれよりも前から暖められていたことが残されたスケッチ帳などから明らかになっています。
当初、ベートーベンは二つの交響曲を予定していました。
一つは、純器楽による今までの延長線上に位置する作品であり、もう一つは合唱を加えるというまったく斬新なアイデアに基づく作品でした。後者はベート?ベンの中では「ドイツ交響曲」と命名されており、シラーの「歓喜によせる」に基づいたドイツの民族意識を高揚させるような作品として計画されていました。
ところが、何があったのかは不明ですが、ベートーベンはまったく異なる構想のもとにスケッチをすすめていた二つの作品を、何故か突然に、一つの作品としてドッキングさせてフィルハーモニア協会に提出したのです。
そして出来上がった作品が「第九」です
交響曲のような作品形式においては、論理的な一貫性は必要不可欠の要素であり、異質なものを接ぎ木のようにくっつけたのでは座り心地の悪さが生まれるのは当然です。もちろん、そんなことはベートーベン自身が百も承知のことなのですが、何故かその様な座り心地の悪さを無視してでも、強引に一つの作品にしてしまったのです。
年末の第九のコンサートに行くと、友人に誘われてきたような人たちは音楽は始めると眠り込んでしまう光景をよく目にします。そして、いよいよ本番の(?)第4楽章が始まるとムクリと起きあがってきます。
でも、それは決して不自然なことではないのかもしれません。
ある意味で接ぎ木のようなこの作品においては、前半の三楽章を眠り込んでいたとしても、最終楽章を鑑賞するにはそれほどの不自由さも不自然さもないからです。
極端な話前半の三楽章はカットして、一種のカンタータのように独立した作品として第四楽章だけ演奏してもそれほどの不自然さは感じません。そして、「逆もまた真」であって、第3楽章まで演奏してコンサートを終了したとしても、?聴衆からは大ブーイングでしょうが・・・?これもまた、音楽的にはそれほど不自然さを感じません。
ですから、一時ユング君はこのようなコンサートを想像したことがあります。
それは、第3楽章と第4楽章の間に休憩を入れるのです。
前半に興味のない人は、それまではロビーでゆっくりとくつろいでから休憩時間に入場すればいいし、合唱を聴きたくない人は家路を急げばいいし、とにかくベートーベンに敬意を表して全曲を聴こうという人は通して聞けばいいと言うわけです。
これが決して暴論とは言いきれないところに(言い切れるという人もいるでしょうが・・・^^;)、この作品の持つ問題点が浮き彫りになっています。
一度はココロして正面から向かい合いたい音楽
クレンペラーとフィルハーモニア管は1955年にベートーベンの録音を始めるのですが、途中からステレオ録音の時代に突入したために、1957年からあらためてセッションを開始します。
ただし、3番・5番・7番はモノラルでの録音をすましているので、集中して録音された1957年の10月と11月には残りの交響曲を一気に録音しています。おそらく、クレンペラーにしてみればこれで全ての交響曲の録音は終了した思いだったでしょうが、プロデューサーにしてみれば3曲がモノラルのままでは営業上まずいのは明らかなので、59年に3番と5番、60年に7番を改めてステレオで録音し直してめでたく「全集」が完成します。
そのせいで、55年のモノラル録音が継子扱いされる不幸については既に述べました。
クレンペラーのベートーベンは「厳かなまでの厳しさ」に貫かれているのが特徴であり、それはクレンペラー以外の指揮者では絶対になしえないであろう強い個性が刻印されています。
基本的にはインテンポで推し進められていくあたりはクリュイタンスと同じなのですが、音楽のたたずまいは随分と異なります。
クリュイタンスのインテンポは、その事によって作品の内部構造がくっきりと浮かび上がってくるような明晰さをもたらします。しかし、クレンペラーのインテンポは、全ての障害物をなぎ倒して押し進んでいく重戦車のような迫力をもたらします。そして、その突撃が喊声を上げて突き進むような「動的」なものでなく、厳かなまでの「静けさ」の中で成し遂げられていくので、何とも言えない「凄味」が醸し出だされます。
そのもっとも素晴らしい例が、最後に録音された第7番の演奏です。
あそこには、インテンポの鬼とも言うべきクレンペラーの凄さがもっともはっきりとした形で刻印されています。まさに氷りづけにされた情熱です。
クレンペラーの音楽は官能に訴えるような分かりやすさとは最も遠いところにある演奏です。そして、人の感情に訴えかけるような「下品」な振る舞いはひたすら避けて、結果として聞き手の前に見上げるような巨大な構築物を組み上げてくれます。
素っ気ないと言えば素っ気なく、厳しいと言えば厳しい音楽であり、作品によってはもう少し愛想があってもいいのではないかと思うときもありますが、それがベートーベンであれば不満はありません。
決して、聞きやすく、耳になじみやすい音楽ではありませんが、一度はココロして正面から向かい合いたい音楽であることは間違いありません。
<第9番について>
この演奏もまた、クレンペラーらしい「固い」音楽です。決して愛想はよくありません。
しかし、とかく問題の多い第4楽章は絶品です。ミュンシュとはまた違った熱気に満たされた音楽となっています。
ちなみに独唱陣は以下の通りです。
*ソプラノ:オーセ・ノルドモ・レーヴベリ
* メゾソプラノ:クリスタ・ルートヴィッヒ
* テノール:ワルデマール・クメント
*バリトン:ハンス・ホッター
とっても豪華です。
さらに凄いのは合唱陣で、録音のクレジットには「フィルハーモニア合唱団」となっています。
実はこの合唱団は、この録音のためだけに編成された合唱団であり、その陣容は当時としては望みうる最高水準のメンバーを集めて結成されたものでした。さらに、その合唱の指導には当時のバイロイトで合唱指導に当たっていたウイルヘルム・ピッツを招くという念の入れようだったそうです。
基本的にはクレンペラーはインテンポの手綱を緩めようとはしませんが、それでも自然と熱気を帯びていく様は素晴らしいの一言に尽きます。
よせられたコメント
2010-12-28:ヨシ様
- クレンペラーの頑固さが曲に合いますね。
厳格な指揮振りが目に見えるようです。
精神的な厳しさも相まって優れた名演になりました。
オケの合奏も極上です。歌手と合唱も素晴らしい。
2010-12-28:青野和根
- 音質至上主義ではないが、この音源はすばらしい・・・
クレンペラーの演奏の特徴である各楽器のパートが歪むことなくはっきりと聴きとれます。
リッピングで使ったCDは著作権の関係で明かせないだろうけど、自分が持っている東芝EMIのHS?2088リマスターより優れているのでは・・・
逆に、直前にアップされたミュンシュの第9番は絶句モノでしたが・・・
2011-01-08:セル好き
- 悠然たるインテンポでありながら、得も言われぬ浮遊感を醸しだし、なおかつ軽妙でさえある。
サスペンションの柔らかい電車が、ロングレールの上をゆったり走っているような不思議な魅力を感じます。
2011-11-13:mkn
- 「全ての障害物をなぎ倒して押し進んでいく重戦車」
そうです。「重戦車」です。しかしこの重戦車、動いているようには見えないのです。にもかかわらず周りのものはすべてなぎ倒され、気がつくと目の前にやってきているのです。恐ろしい。
ところでここでのハンス・ホッター、あまり調子が良くなかったように聞こえるのは私だけでしょうか。
2012-01-20:カンソウ人
- 第四楽章の最後のクライマックスで、合唱がエリージウム(楽園)と絶叫し、バイオリンが高音から流れ落ちてくる所。
私は、この音楽の意味をこの時点でようやく理解しました。
それは、とてつもなく大きなもので、美しいもの。
すべての音符と休符に、相互関係をきちんと付けてきた結果、音楽の最後になって、それは立ち昇りました。
感覚的には、部分的にもっと美しいものを私は知っていますし、格好の良いものも知っています。しかし、クレンペラーの再創造したものは、とてつもなく大きかった。
簡単には、言葉で表すことがまだ出来ません。
この曲の合唱パートで、最も非人間的に書かれているテノールですら、それなりに聞こえるように誤魔化さず音を拾われていました。
クラシック音楽の持つ、「精神的内容」のある種の姿を感じました。
それはきっと、ユーロで通貨を統一し、政治をも統一しようとしている、ヨーロッパの本質的な力と同類です。
苦悩しながらも、問題の解決に向かおうとしている・・・。
2012-10-30:よし
- 私もユング君の考えに賛成します。
終楽章は、まったく別物と考えるべきです。
つまり交響曲第9番は三楽章形式であり
第4楽章は単独の交響曲であると認識しています。
2012-12-02:渡邊 眞
- ユングさんのおかげで「不滅の名録音」でトスカニーニ、フルトヴェングラー、クレンペラーを聴き比べることができました。他に、クリュイタンス、自分のカラヤン、サヴァリッシュ先生、ベームを聞き、至福の時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
1957年生まれの自分にとって、トスカニーニ、フルトヴェングラーはちょっと昔の人、クレンペラーは既知の友人または幼馴染み(ほかにセル、オーマンディ、ミュンシュとか)、ってな感じなのですが、クレンペラーはよく言われる「重戦車」というよりは、自分には、「昔気質の職人」です。「諸君、これがルードヴィッヒなのですよ」とおっしゃっているように感じています。
それにしても。です。ユングさんにより、1950年代のフィルハーモニア管弦楽団の大活躍ぶりをよく知ることができました。ブラームスの1番にしても、カラヤンとカンテルリの録音などまったく違う指揮者の要求にすさまじく答えているのが本当によくわかりました。
2014-06-03:オオウミガラス
- ホッターはなかなかいいがちょっと張り切りすぎ。クレンペラーは大管弦楽をまとめるのがうまいですね。
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