シューベルト:交響曲8(9)番「ザ・グレイト」
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1957年11月1日録音
Schubert:交響曲第8番 ハ長調 「ザ・グレイト」 「第1楽章」
Schubert:交響曲第8番 ハ長調 「ザ・グレイト」 「第2楽章」
Schubert:交響曲第8番 ハ長調 「ザ・グレイト」 「第3楽章」
Schubert:交響曲第8番 ハ長調 「ザ・グレイト」 「第4楽章」
この作品はある意味では「交響曲第1番」です。
天才というものは、普通の人々から抜きんでているから天才なのであって、それ故に「理解されない」という宿命がつきまといます。それがわずか30年足らずの人生しか許されなかったとなれば、時代がその天才に追いつく前に一生を終えてしまいます。
シューベルトはわずか31年の人生にも関わらず多くの作品を残してくれましたが、それらの大部分は親しい友人達の間で演奏されるにとどまりました。彼の作品の主要な部分が声楽曲や室内楽曲で占められているのはそのためです。
言ってみれば、プロの音楽家と言うよりはアマチュアのような存在で一生を終えた人です。もちろん彼はアマチュア的存在で良しとしていたわけではなく、常にプロの作曲家として自立することを目指していました。
しかし世間に認められるには彼はあまりにも前を走りすぎていました。(もっとも同時代を生きたベートーベンは「シューベルトの裡には神聖な炎がある」と言ったそうですが、その認識が一般のものになるにはまだまだ時間が必要でした。)
そんなシューベルトにウィーンの楽友協会が新作の演奏を行う用意があることをほのめかします。それは正式な依頼ではなかったようですが、シューベルトにとってはプロの音楽家としてのスタートをきる第1歩と感じたようです。彼は持てる力の全てをそそぎ込んで一曲のハ長調交響曲を楽友協会に提出しました。
しかし、楽友協会はその規模の大きさに嫌気がさしたのか練習にかけることもなくこの作品を黙殺してしまいます。今のようにマーラーやブルックナーの交響曲が日常茶飯事のように演奏される時代から見れば、彼のハ長調交響曲はそんなに規模の大きな作品とは感じませんが、19世紀の初頭にあってはそれは標準サイズからはかなりはみ出た存在だったようです。
やむなくシューベルトは16年前の作品でまだ一度も演奏されていないもう一つのハ長調交響曲(第6番)を提出します。こちらは当時のスタンダードな規模だったために楽友協会もこれを受け入れて演奏会で演奏されました。しかし、その時にはすでにシューベルがこの世を去ってからすでに一ヶ月の時がたってのことでした。
この大ハ長調の交響曲はシューベルトにとっては輝かしいデビュー作品になるはずであり、その意味では彼にとっては第1番の交響曲になる予定でした。もちろんそれ以前にも多くの交響曲を作曲していますが、シューベルト自身はそれらを習作の域を出ないものと考えていたようです。
その自信作が完全に黙殺されて幾ばくもなくこの世を去ったシューベルトこそは「理解されなかった天才の悲劇」の典型的存在だと言えます。しかし、天才と独りよがりの違いは、その様にしてこの世を去ったとしても必ず時間というフィルターが彼の作品をすくい取っていくところにあります。この交響曲もシューマンによって再発見され、メンデルスゾーンの手によって1839年3月21日に初演が行われ成功をおさめます。
それにしても時代を先駆けた作品が一般の人々に受け入れられるためには、シューベルト〜シューマン〜メンデルスゾーンというリレーが必要だったわけです。これほど豪華なリレーでこの世に出た作品は他にはないでしょうから、それをもって不当な扱いへの報いとしたのかもしれません。
「ファーストシンフォニー」としての満々たる意欲と自信が伝わってくる演奏
セルのグレイトというと57年盤と70年盤があります。一般的に評価が高いのが70年盤の方で、「冷たくて機械的な演奏をしていたセルに、人間的なあたたかみが加わった演奏だ」等といわれてきました。
これはもう、何度も繰り返し書いていますが、セルの演奏は機械的で冷たいというのは誤りです。
ネットの時代が来るまでは、クラシック音楽というのは本当に事大主義がはびこる世界でした。
情報は川上から川下にしか流れず、最下流に住まう下々のものは、上流に住まう「評論家」先生の「御選択」をありがたく押し頂くことしかできませんでした。
おそらく、今の若い方々には想像もできないことでしょうが、「レコード芸術」の「推薦盤」の威光は絶対的なものがありました。大多数のクラシック音楽ファンはそれを基準に安からぬレコードをせっせと買い込んでいたのです。そして、偉い先生が評価している録音を聞いて、それがちっとも素晴らしく感じられなかったとしたら、それは偉い先生の評価が間違っているのではなく、そのような「すばらしい音楽」を理解できない己の無知と感性のなさを恥じたのです。
こんな書き方をすると、若い方々は、私が「戯画化」しすぎていると思うかもしれません。しかし、本当に、音楽を聞くという行為の根幹をなす「価値判断」をそういう外部の権威に丸投げにして疑問に思わなかったのです。
私の知り合いに、毎月レコ芸の推薦盤だけをレコード屋に持ってこさせている「お金持ち」がいました。私が「なぜ」と問うと、彼は「推薦盤」以外は「聴く価値がない」と断言していました。・・・本当の話です。(^^;
それだけに、90年代の終わりにネットの世界で自由な意見が交流されるようになったときは「衝撃」でした。
まさに「壁」が崩壊したのです。
最初はおずおずと、「王様は裸だ!!(評論家は嘘つきだ!」とつぶやき始めた声が、あっという間に奔流となって、この世界にはびこる事大主義を薙ぎ倒していったのです。そして、ごく一部の誠実で能力のある人をのぞけば、大多数の評論家は「レコード会社の広報担当」の別名か、「好き嫌い」でしか判断しない「アマチュアレベルの人間」にしかすぎないことに気づいていったのです。
前者は『巨匠の新録音』が出るたびに、「深みと円熟味のました希有な演奏」と天まで持ち上げるだけだし、後者は「自分の好み」をごり押ししてくるだけです。
そして、ブログの時代となって、発信する人の裾野が一気に広がったあとに何が起こったのかは多くの人が知っていることです。
どんなに評論家達が煽り立てても、それを信じてCDを買うような人間はほとんどいなくなったのです。多くの人はネット上で交わされる情報を集め、そこに自らの好みと判断を加味して最終的にチョイスするようになったのです。もちろん、評論家達の情報も参考にするでしょうが、それを「押し頂く」人はほとんどいないはずです。
余談が長くなりました。
セルは「機械的で冷たい」というのも、そういう事大主義の時代に作られた誤った固定観念です。あれこれ調べてみましたが、残念ながら誰が言い始めたのかは確認できませんでした。
今回、この録音をアップするために久しぶりにじっくりと聞きなおしてみました。
何とすばらしいグレイトでしょう。
この交響曲は、客観的に見ればシューベルトの「ラストシンフォニー」ですが、シューベルトの主観から見れば紛れもなく「ファーストシンフォニー」でした。そして、これに先立つシンフォニーは、たとえ「未完成」であっても、彼にとっては「習作」の域を出るものではありませんでした。
アマチュアの作曲家として創作活動を行ってきたシューベルトが、まさにプロの作曲家としての第一歩を記すべく覇気満々たる思いで生み出したのがこのシンフォニーでした。
このセルの演奏からは、その様な「若きシューベルト」(この交響曲を完成させたときシューベルは31歳でした。ベートーベンが第1交響曲を完成させたのも30歳だったのです)の満々たる意欲と自信が伝わってきます。
そして、ベートーベンの交響曲の跡を継ぐべき古典派のシンフォニーととらえれば、これほどふさわしい演奏はありません。
セルの演奏の特徴の一つは強烈な推進力です。そして、オケを極限までに追い詰めても決して崩れることのない強靱な響きは聞くものに生理的快感すら与えてくれます。
強固なフォルムに内包された強靱な推進力、これこそがセルの真骨頂であり、同時にファーストシンフォニーとしてのグレイトにもっともふさわしい造形です。
そして、もう一つセルの特徴として特筆すべきは、一見すると楽譜をストレートに音にしているだけで「何もしていない」ように見えらがら、実は細部では意外なまでに細かいニュアンスを付与していることです。この録音でも、基本的には直線的なベクトルで全体を構成しながらも、細部ではシューベルトらしいロマンティシズムが付与されていて、それがこの作品に深い生命力を与えています。
このグレイトの演奏では、そういうセルの美質をはっきりと感じ取ることができます。
もっとも、シューベルの「ラストシンフォニー」にこのような「明るさ」を求めない人もいると思いますし、そういう人にとってはこの演奏はあまりにも「楽天的」にすぎると思うでしょう。しかし、この交響曲が「ハ長調シンフォニー」であることを思い出せば、これも一つのスタンダードな提案だと言いきれると思います。
他人に押しつける気はありませんが、私はセルのグレイトはこの57年盤を取りたいと思います。
(今回は無駄話の方が長くなってしまった、失礼!!)
よせられたコメント
2010-03-26:シューベルティアン
- 熱い!
幻想世界に浸るというのとは違った、厳然として音楽がそこに「在る」という感じです。風のようではなく山のようです。しかも燃えている山です。
セル、ショルティ、トスカニーニなんかは、ユングさんもたびたび書いておられるけど特殊な扱いを受けているようですね。敬して遠ざける、ですか。安全にクラシックファンやっていたけりゃフルトヴェングラーだけ聞いてろ・なんていう人もいましたが。
ぼくは彼らの直線的で熱い演奏がなんといっても一番聞きやすく、刺激的です。これを冷たいという人は、サービス精神がないといいたいのですかね。色気がないとか甘さがないというのはわかるけども、冷たいというのは滅茶苦茶だ。こんな熱い指揮者はいないぞ!
シューベルトでもモーツァルトでも、セルのアプローチは常に同じで、そこにあるまじめさを感じます。彼はある曲が好きだとか好きでないとかいうことはあまりいわない。どんな曲であれ自分の論理と技法が正しければ、最高の輝きを達成できると信じているようです。すでにここにアップされているハイドンを聞いたのですが、磨きぬかれた鏡のような音色に圧倒されました。それは異様な姿で人をむりにも引き付けようといったものじゃない。ただ当たり前のことを・しかし徹底的にやって、もっとも当たり前な意味での「完璧」な演奏を目掛けているようです。それは音の力そのものに圧倒されるというより、何か音楽がその一部であるようなより大きな全体に圧倒されるという感じです。鏡のようだな、とたびたび思います。訴えかけるものではなく、ただ映すだけのもので、しかも非常に鮮明に映すものだから、解釈とか想像の余地がない。有無をいわせぬ力があっても、押し付けがましくはない。ただそこに「在る」というだけのもの。
聞き手の自分としてはただ耳を澄ますしかない。でも何か雑念みたいなものが邪魔して、すべてを聞き取ることができません。音楽に対して自分の弱さを感じもします。
2010-10-28:mitikusa
- ウィーンフィルとマゼール指揮のを持っていますが、何となくそちらの方が私には会っているような気がします。時間があったらじっくり聞き比べて、自分の年老いた耳のチェックしてみます。
2010-11-06:mitikusa
- この交響曲は結構古くから聴いていて、私としては頭の中がSolti指揮のWiener Philharmonikerの静けさの中から立ち上がる力強いメリハリの効いた方が好みです(特に第一楽章)。Soltiは静かな部分を管楽器の音でメロディーをつむぐような感じで、それが頭から離れません。セルは好きな指揮者なのに、刷り込みってこわいですね。
2011-06-22:ジェネシス
- セルというと最晩年のEMI盤を挙げる方が多いんですが、私はどうもあのレーベルの音質に納得することが、少ないんです。
ギレリスにつけたベートーベンの協奏曲も然り。ヨッフムが振ったドレスデンをあんな音に録ってしまう会社という先入観さえ刷り込まれてしまっています。
むしろ、マイナーレーベル、エピックがどうの、セヴァランスホールのロケーションがどうのと巷間いわれているアルバムを聴いてみると、これが彼らの欲したサウンドだったんじゃないかという気がします。
ティンパニの横に衝立が1つだけというシンプルなセッティングでレコーディングを行っている画像を観た記憶があります。
初ステレオ録音というスタッフの気合さえ伝わってくる史上最高の「エロイカ」をはじめ、1957?59年のエピック盤は名演ぞろいです。是非、この曲と「ドボっ八」も聞き較べていただきたい。。
決して、決して最晩年に人間味とやらが出てきたんじゃないってことが感じ取れると思います。
2012-03-31:私のステレオはPC
- 厳しいシューベルトです。シューベルトのステレオタイプともいえる、歌とかウィーンのひなびた風情とは無縁です。セルのすばらしさは、スコアに書かれている音をきっちりと音にすること、そして、自分の演奏したいことをすべてオケに伝え、前から後ろまでその通りに奏かせること。これを完璧にやってのけた指揮者は片手で十分でしょう。(ムラヴィンスキーとセルとチェリビダッケだと思う)したがって、ベーム/VPOのようなユルいのが好きな人は絶対に合わない。しかし、これを聴くとシューベルトは古典派のイディオムでロマン的な心情を音にしたということ、つまりベートーヴェンとつながっていることが理解できると思いました。いい演奏だと思いますが、私はやっぱりユルいシューベルトが好きかなあ。セルのハイドンやモーツァルト、ドヴォルザークは神演奏だと思いますが。
2012-05-13:シューベルティアン
- 数あるオーケストラ作品のなかで最も好きです。そしてこのセル・クリーブランドの演奏が最も好きです。
なにがいいのかと、人に説明するのに困難を覚えるのですが、感動というものはなんでもそういったものでしょう。べつにわかってもらわないでもかまわないのですが、しかしうまく説明できないことに歯がゆさも感じます。何度聞いても新鮮で、そのつど新しい発見があるような、人生をまるごと表現したような作品、といってもわかる人にしかわからないでしょう。
シューベルトというと悲劇的な生涯がどうとか、底なしの暗さがなんとかいわれますが、ぼくはそんなふうに聞いたことがありません。それは一種ロマンチックな解釈だと思われます。彼をロマン派の先駆けと考えるのは飛んだ間違いです。彼はまったくベートーヴェンの兄弟であって、シューマンやショパンやブルックナーには似ていません。
シューベルトの音楽にはなんともいえない強さ、自立性とでもいったものがあって、聴衆を必要としていない、わるくいえば無愛想なところがあります。このゆえに私は聞いていて安心を覚えるのですが、こういった主体性の強さはロマン派にはあまりないように思えます。他人がどう思うかということにはおよそ構わずに、自分ひとりの道を行くところまで行ったという感じがします。彼は自分を芸術家と考えていたかもしれないが、世界中が自分を無視しても構わずに作曲しつづけたでしょう。
2012-11-10:フランツ
- シューベルトの「グレイト」独自な名作だと思います。他に類型がない大作で、こちらのコンディションによっても全曲聴きとおすのに多少の努力が要るときがあります。繰り返し的部分が多いのも理由のひとつでしょうか。セルの演奏は引き締まっていていいです。しかしややでシャープすぎるかもしれません。個人的にはベーム、ベルリンフィルの情緒を含む貫録のある、しかしさわやかさもある演奏も好んで聴いています。
2013-09-26:金李朴
- この曲は、例の「天国的な長さ」が冗長にしか聴こえず、苦手にしていました。世評の高いワルター指揮の演奏を聴いても、感想は同じでした。
しかしながら、セル指揮によるこのキビキビとした演奏に出会ってから、「ザ・グレイト」は逆に私のお気に入りの交響曲に仲間入りしました。曲全体の見通しがすっきりとし、次々と繰り出される旋律が、大変に心地よいものとなりました。ユングさんも書かれているように、「ザ・グレイト」は、ベートーヴェンの延長線上に位置する、がっしりとした構築の初期ロマン派交響曲なのだと納得しました。
セルの名盤を聴くと、切れの良い舞踏を披露する、情熱的かつ知的なソロダンサーの姿が、しばしば思い浮かびます。
2016-01-28:ヨシ様
- 自分は、やはり70年録音の方が、より感動します。
セルの最後の録音として聴くので、どうしても意識しますね。
余談ですが、8番と言う呼称は、どうも馴染めません。
8番と言えば未完成で、9番がグレートだと言う固定観念があります。
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