サン=サーンス:ハバネラ Op.83(Saint-Saens:Havanaise, for violin & piano (or orchestra) in E major, Op. 83)
(Vn)ジャック・ティボー (P)タッソ・ヤノプーロ 1933年7月1日録音(Jacques Thibaud:(P)Tasso Janopoulo Recorded on July 1, 1933)
Saint-Saens:Havanaise, for violin & piano (or orchestra) in E major, Op.83
「音のサーカス」にはもってこいの作品

ハバネラと言えば真っ先に思い浮かぶのはカルメンの中でうたわれる「恋は野の鳥」でしょう。ということで、このハバネラというのはスペイン発祥の民族音楽かと思えば大違いで、源流はフランスのコントルダンスなるものにあるようです。それが、遠くハイチに渡り、それがキューバを経て船乗りによってスペインに持ち込まれるという複雑な経路をたどって「スペイン舞曲」であるかのようなポジションを獲得したようです。
最も、そのような蘊蓄などは音楽を聴く上ではどうでもいいことであって、大事なことはあの一拍目が飛び上がるような特徴な的なリズムを持った音楽だと言うことです。
ところが、これも有名な話ですが、サン・サーンスのメトロノーム記号は異常に早くて、冒頭の部分などは指定通りに演奏するととてもハバネラに聞こえないそうです。その他、至る所で彼の指定は演奏するものにとっても聞くものにとっても、あまり嬉しくないようなテンポが指定されているとか・・・。(私は実際にスコアを見たことがないのでネット上の情報の受け売りですが・・・)
よって、世間では一定の劇場的約束事である程度の妥当なテンポは決まっているものの、最終的には演奏者の腕次第という側面の強い作品になるようです。
その上に、ヴァイオリンの技巧の見本市みたいな面もありますから、まさに「音のサーカス」にはもってこいの作品です。
おまけに、その合間に何ともメランコリックなメロディが挟まるのですから、まさにショーピースとしては最適の作品と言えます。(ただし、腕に覚えのあるヴァイオリニストに限る)
媚薬のような演奏
いきなり、話は横道から入るのですが、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」やショーソンの「詩曲」はともに、サラサーテとイザイという偉大なヴァイオリニストの意向が十分に反映された作品です。
それだけに、難しくはあってもそれは無理を強いられる難しさではなく、さらには演奏家の努力が報われる作品でもあります。
それだけに、それなりに名の通ったヴァイオリニストならば必ず録音している作品であり、多くの「名盤」がひしめいています。
そんな中で異彩を放っているのがこのティボーの録音でしょう。すでに、ショーソンの「詩曲」は紹介してあります。
はっきり言って、あまり上手くはありません。オケもいまいちです。
でも、この演奏の全体を覆う退廃的な雰囲気はこの作品にピッタリであり、こういう雰囲気を出せるヴァイオリニストはティボー以外にいないのです。
そして、その事は「詩曲」などの作品に限った話ではなくて、彼の残した録音にはそういう媚薬のような魅力があふれていて、それ故に唯一無二の魅力を今も失っていないのです。いいや、現代のように演奏の精緻に重点が置かれ、その結果として音楽そのものが薄味になっていく中では、彼の残した演奏はこの上もなく貴重なもののように思われてくるのです。
それでは、その媚薬の正体は何かと考えを巡らせ、もう少し分析的に聞いてみれば、それはティボー独特の「ポルタメント」であることにすぐに気づくはずです。
彼と同時代のヴァイオリニストの大部分もポルタメントを用いているのですが、ティボーのポルタメントの使い方には独特な癖のようなものがあるようで、それが気に入ってしまうと病みつきになる魅力を持っているのです。
それにしても、ヴァイオリンの演奏にポルタメントを入れるのは下品だみたいな感じになっていったのはいつの頃からなのでしょうか。
もっとも、コンクールの演奏でポルタメントなんて使えば即お帰りを願います、でしょうから、今やレッスンでポルタメントを習うこともないのでしょう。
それにしても、ティボーのポルタメントは天性のものだったようです。
フランスのヴァイオリニストであるポール・ヴィアルドーは「サラサーテが精巧に作られた鴬ならば、ティボーは生まれながらの鴬である」と語っていました。ジョルジュ・エネスコもそれに加えて 「ティボーは張りつめた4つの弦の感触を、ヴァイオリンという女神の柔肌のそれに置き換えた」と述べ「形容をこえた美の逸楽が紅蓮の炎と燃えさかっている。」と讃えました。
確かに、ティボーの演奏は作品のファースト・チョイスにはならない録音かもしれません。しかし、あれこれと聞いてきた人にはかけがえのない魅力をはなつ録音であることは間違いありません。
そして、30年代のいまだ衰えを見せない時期の作品は言うまでもなく素晴らしく、明らかに衰えを見せ始めていた戦後の演奏もまた「下手でも素敵」なのですから不思議な話です。
そのことは日々己のスキルを高めるために血のにじむような努力を重ねている若手のヴァイオリニストからすれば理不尽この上ない物言いだと思われるでしょうが、それでも音楽にとって一番大切なものは何なのかを考え直してみる機会にはなるでしょう。
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