クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

バルトーク:ピアノ協奏曲 第3番 Sz.119(Bartok:Piano Concerto No.3 in E major, Sz.119)

(P)ジェルジ・シャーンドル:ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1947年4月19日録音(Gyorgy Sandor:(Con)Eugene Ormandy The Philadelphia Orchestra Recorded on April 19, 1947)



Bartok:Piano Concerto No.3 in E major, Sz.119 [1.Allegretto]

Bartok:Piano Concerto No.3 in E major, Sz.119 [2.Adagio religioso]

Bartok:Piano Concerto No.3 in E major, Sz.119 [3.Allegro vivace]


たった3曲でバルトークの創作の軌跡をおえるコンチェルト

バルトークについては、彼の弦楽四重奏曲をアップするときに自分なりのオマージュを捧げました。そして、その中で「バルトークの音楽は20世紀の音楽を聞き込んでいくための試金石となった作品でした。とりわけ、この6曲からなる弦楽四重奏曲は試金石の中の試金石でした。」と書いています。
その事は、この一連のピアノ協奏曲にも言えることであって、とりわけ1番と2番のコンチェルトは古典派やロマン派のコンチェルトになじんできた耳にはかなり抵抗感を感じる音楽となっています。

その抵抗感のよって来たるところは、まず何よりも旋律が気持ちよく横につながっていかないところでしょう。ピアノやオケによって呈示されるメロディはどこまで行っても「断片」的なものであり、「甘さ」というものが入り込む余地が全くありません。さらに、独奏ピアノは華麗な響きや繊細でメランコリックな表情を見せることは全くなく、ひたすら凶暴に強打される場面が頻出します。
こういう音楽は、聞き手が「弱っている」時は最後まで聞き通すのがかなり困難な代物なのです。

弦楽四重奏曲については、「すごく疲れていて、何も難しいことなどは何も考えずに、ただ流れてくる音楽に身を浸している時にふとその音楽が素直に心の中に入ってくる瞬間がある」みたいなことを書きましたが、このコンチェルトに関しては、そう言う状態で向きあうと間違いなくノックアウトされてしまいます。
そうではなくて、このコンチェルトに関しては、気力、体力ともに充実し、やる気に満ちているようなときに向きあうべき音楽なのです。そうすると、この凶暴なまでに猛々しい姿を見せる音楽が、ある時不意に「快感」に変わるときがあります。
そして、バルトークの音楽の不思議は、単独で聞けばかなり耳につらい不協和な音があちこちで顔を出すのに、音楽全体は不思議なまでの透明感を保持していることにも気づいてきます。

さて、ここから書くことは全くの私個人の感慨です。
バルトークの創作の軌跡を追っていて、イメージがダブったのは画家のルオーです。
彼は「美しい」絵を拒否した画家でした。若い頃のルオーが描く題材は「売春婦や娼婦」が中心であり、そう言う「醜い存在」を徹底的に「醜く」描いた画家でした。
専門家は彼のことを「醜さの専門家」と言って攻撃しましたが、その攻撃に対して彼は「私は美ではなく、表現力の強さを追求しているのです」と主張しました。

そんなルオーなのですが、その晩年において、天国的とも言えるような「美しい」絵を描きました。
茨木のり子が「わたしが一番きれいだったとき」という詩の中で
だから決めた できれば長生きすることに
年取ってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように

と書いたように、本当に美しい絵を描きました。

バルトークもまた、若い頃は、どうしてそこまで不協和音を強打するんだと思うほどに、猛々しい音楽を書きました。
それは、第1番のコンチェルトに顕著であり、第2番は多少は聞きやすくなっているとは言え、依然として手強いことは否定できません。それは、作曲者自身が「聴衆にとってもっと快い作品としてこの第2番を作曲した。」と語ってくれたとしても、古典派やロマン派の音楽に親しんだ耳には到底聞きやすい音楽とは言えません。

しかし、そんな彼も晩年になると、音楽の姿が大きく変化します。
第6番の弦楽四重奏曲やオケコンのエレジーなどは、古典派やロマン派の音楽とは佇まいがかなり異なりますが、それでも素直に「美しい」と思える姿をしています。
それは、彼の白鳥の歌となった第3番の協奏曲ではさらに顕著となります。
そして、その「美しさ」は、晩年のルオーとも共通する「天国的」なものにあふれています。

いわゆる「専門家」と言われる人の中には、このようなバルトークの変化を「衰え」とか「退嬰」だと主張する人がいますが、私は全くそうは思いません。
彼もまた、ルオーと同じように、その晩年にいたって「凄く美しい絵」をかいてくれたのだと思います。

バルトークの生涯はルオーの生涯に包含されます(ルオー爺さんはホントに長生きしました)から、この二人は同時代人と言っていいでしょう。もちろん、こんな関連づけは「こじつけ」の誹りは免れがたいとは思いますが、それでもジャンルは違え、同じ芸術家としてその創造の根底において共通する何かがあったような気がしてなりません。

かなりの困難を伴うかもしれませんが、できることならばこの3曲のコンチェルトを聞き通すことで、そんなバルトークの軌跡をたどっていただければ、いろいろと感じることも多いのではないでしょうか。

静かで深い祈りにつつまれた音楽


ラフマニノフの録音で出会ったのがジェルジ・シャーンドルでした。そして、彼がバルトークと深い関係を持ち生涯を通して友として尊敬していたことも知りました。
よく知られているように、このピアノ協奏曲は実質的にバルトークの最後の作品であり、それは妻であるディッタに捧げられたものです。バルトークは急激に体調が悪化する中で、自分の息子に宛てて「私はお前の母さんのためにピアノ協奏曲を書くつもりだ。長い間計画が宙に浮いていたものだ。もしこれを彼女が3、4カ所で演奏できたら、私が断った委嘱作1作分くらいのお金にはなるだろう。」と書き送っています。

しかし、この作品をささげられた妻のディッタはこの作品を何度かは録音したようなのですが、コンサートでは一度も演奏することはありませんでした。そこに、彼女の深い悲しみを感じないわけにはいきません。
おそらく、バルトークがこの世を去った後に、この作品を演奏することなどはできなかったはずです。

そこで、初演はバルトークにとっても生涯の友であったジェルジ・シャーンドルにゆだねられることになり、1946年2月8日にフィラデルフィアで行われることになりました。指揮はオーマンディ、オーケストラはフィラデルフィア管弦楽団でした。そして、そのおよそ2か月後に、初演の時と同じ顔ぶれで世界初録音が行われるのですが、それがここで紹介しているものです。

ラフマニノフの演奏を聞いた時には、駆け抜けていくような爽快感に近いようなものすら感じさせられて驚かされました。ある方はコメント欄に「昭和の根性オヤジ的な熱いけども筋違いなものに魅力を強く感じています」と記されていました。
しかし、このバルトークの3番の協奏曲では、そういう爽快感も、ましてや昭和のオヤジ的な暑さなどはかけらも見当たりません。この作品は演奏の仕方によってはマジャールの熱さみたいなものを表現することも可能なのですが、ここではひたすら静かに、そして密やかに音楽は語られていきます。
確かに、この作品の最大の特徴は、その極限まで結晶化された悲しみが持つ深い祈りの世界です。

ジェルジ・シャーンドルは、その初演においてバルトークの死を嘆き悲しみ慟哭するのではなく、深い祈りとともに悲しみを結晶化させていきます。第3楽章の「Allegro vivace」に入っても、「さあ、俺の腕前を見せてやる」といわんばかりに指をフル回転させるタイプの演奏とは最も遠い場所にあります。
もちろん、音楽は多様性を内包しており一つのやり方だけが正解ということはありません。しかし、ジェルジ・シャーンドルにとってこの作品はこのようにしか演奏できなかったことは明らかです。

彼は本当に長生きしました。そして、80歳を超えてからもバルトークのピアノ作品の全曲録音にチャレンジもしてたようです。そして、彼はこの作品を各地でコンサートのプログラムとして取り上げています。
音質面などを考えれば、50年代や80年代に録音したものを選ぶべきかもしれませんが、それでもこの初録音は忘れてはいけない録音だと言わざるを得ません。

よせられたコメント

2024-05-13:大串富史


2024-05-27:豊島行男


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