クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

スメタナ:弦楽四重奏曲第1番 ホ短調「わが生涯より」(Smetana:String Quartet No.1 "From My Life")

ヴェーグ弦楽四重奏団:1954年録音(Quatuor Vegh:Recorded on 1954)





Smetana:String Quartet No.1 "From My Life" [1.Allegro vivo appassionato]

Smetana:String Quartet No.1 "From My Life" [2.Allegro moderato]

Smetana:String Quartet No.1 "From My Life" [3.Largo sostenuto]

Smetana:String Quartet No.1 "From My Life" [4.Vivace]


私の生涯を音の絵画

スメタナと言えばチェコ音楽の創始者として位置づけられ、今では大きな尊敬を集めている作曲家です。
しかし、プラハの仮劇場で活動している頃に「チェコのオペラスタイルの発展とは反目するフランツ・リストやリヒャルト・ワーグナーの前衛的なアイデアを用いる指揮者」などと言う批判を浴び、その論争の中で健康を害し劇場の仕事からは身を引いています。そして、それが引き金となったのか、50歳の頃には完全に聴力を失ってしまい(梅毒性の失聴だともいわれています)、それを切っ掛けに一切の劇場の仕事からは身を引いて残りの人生のほとんどを作曲に費やすようになりました。

この弦楽四重奏曲「我が生涯より」は、その失聴によって創作活動に専念し始めた頃に書かれた作品です。
彼は、そこで自らの人生を悲劇的に振り返るという極めてプライベートな作業としてこの作品を書いているのですが、その内面にはらむドラマの大きさは彼の大規模なオーケストラ作品やオペラと較べても見劣りがしないほどの凄みを持っています。

スメタナは、後に彼の友人であり、同時にスメタナの音楽の熱狂的なファンでもあった著述家スルプ=デブルノフに宛てた手紙において、この作品に込めた意図を詳しく述べています。
その手紙の中でスメタナは、この作品は私の生涯を音の絵画として描くことであり、多かれ少なかれ、プライベートな作品だと述べるとともに、それ故、私を苦悩させた物事について、敢えて4つの楽器がそれぞれ自分たち同士で会話するように書かれているし、それ以上でもそれ以下でもないと吐露しています。
また、それぞれの楽章に対する標題にあたるよう内容も書かれています


  1. 第1楽章「私の青年時代の強い芸術への憧れ、ロマンティックな雰囲気」

  2. 第2楽章「楽しかった青春の日々、私はダンス狂だった

  3. 第3楽章「のちに私の妻となった少女との初恋の幸せな思い出」

  4. 第4楽章「民族的な要素を自らの音楽に採り入れる術を見い出し、軌道に乗って喜んでいたところに、突然耳鳴りがして、聴覚を失い挫折する」



スメタナのしたためた手紙に添って4つの楽章を概観すれば以下のような感じになるのでしょうか。

第1楽章で描かれているのは「若い頃の芸術への志向、ロマンティックな雰囲気、表現も定義もできない何ものかに対する言い表しがたい憧れ、そして将来の不幸への予期」であるとスメタナは語っています。
注目したいのは情熱的な第1主題で、それはヴィオラによって奏でられ、スメタナはこの主題を「人生の闘争への、運命からの呼び声」だと述べています。後にこのヴィオラの響きが最終楽章では彼を苦しめた耳鳴りとして用いられます。そして、このメジャーとマイナーの間を入れ替わりながら進む進行はスメタナの中に潜む焦燥と不安を暗示するかのようです。

第2楽章は「ダンス音楽を作曲し、至る所で熱狂的なダンス愛好家として知られていた、若い頃の楽しい日々」を描いているとの事です。まさにその言葉通りに楽章全体が楽しい雰囲気に溢れていて、トランペットのように演奏すべしという指示が書き込まれているのも、そう言う楽しかった青春時代への回顧をあらわしています。

第3楽章は「初恋の幸福さ、後に私の貞淑な妻となる少女を思い起こさせる」とスメタナは手紙にしたためています。まさに、そのゆったりとした叙情的な音楽は初恋という青春のこの上もない幸福をあらわしたものであり、そこで繰り広げられる変奏形式は二人の間での様々な想い出を振り返っているかのようです。

第4楽章は「音楽における国民的要素を扱う喜び」が活き活きと表現されて開始します。
しかし、それは突然に中止され、トレモロをバックとしてヴァイオリンが高音でなり始めます。まさに、誰が聞いても不気味であり強烈な違和感を覚えるはずです。そして、それは言うまでもなく、「私の耳の中でピッチの高い音が運命的に鳴り響き、失聴の始まりを告げる」のです。そして、そのハイトーンの耳鳴りは第1楽章のヴィオラによって暗示されていたものでした。
しかし、注目すべきは、その様な絶望的な最後を描き出しながらも最後は長調で閉じられる事です。
もしかしたら、絶望的な状況下で作曲されたにもかかわらず、スメタナ自身はどこかに自らの復活を信じようとしていたのかもしれません。

と言うように、この作品はスメタナの極めて個人的な人生の回顧であり、自分の人生と真剣に向き合い見つめ返しながら、その問いと答えのようなものを4つの楽器によって告白するような音楽だと言えるのでしょう。

なお、この作品の正式な初演の前に行われた試奏には、ヴィオラ奏者としてドヴォルザークが参加していたそうです。それは、完成から約2年後の1879年3月26日のことでした。そして、3日後に行われた公開初演の際には、スメタナはステージの袖からオペラグラスを使って演奏の様子を見ていたとのことです。
何も聞こえない中で、彼はどのような思いでその舞台を見つめていたのでしょうか。

プラスのライバル心


前にも書いたことなのですが、私が初めてシャンドル・ヴェーグという名前と出会ったのは、ザルツブルグを本拠地とするモーツァルテウム・カメラータ・アカデミカを指揮したモーツァルトの初期交響曲やディヴェルティメント、セレナーデ等の録音でした。さらに、長きにわたってザルツブルク・モーツァルテウム音楽院で教鞭もとっていたので、何となく生粋のザルツブルグの人のように思っていました。

それなので、彼が率いるカルテットがバルトークやスメタナ、コダーイなどの作品を熱心に録音していることが実に不思議に感じたものでした。
まあ、ただの阿呆というしかないのですが思いこみとは怖いものです。

言うまでもなくヴェーグはハンガリー出身で、ヴァイオリンはフバイに学び、作曲はコダーイに学んでいます。ですから、彼がバルトークやスメタナ、コダーイなどの作品を積極的に取り上げるのは当然の事という以上に、自らに課せられた重大な使命とも言えるものだったのでしょう。
そして、いささか下世話な話になるのですが、そう言うことの背景にゾルターン・セーケイの存在があったのではないかなどとも勘ぐってしまうのです。

ヴェーグは戦前は自らがトップとなってハンガリー四重奏団を結成して活躍していました。そこに登場したのがバルトークと親交のあったセーケイでした。ヴェーグはそのセーケイを通してバルトークとのつながりを持つようになるのですが、驚くべき事にハンガリー四重奏団のファースト・ヴァイオリンのポジションをセーケイに譲り、自らはセカンドに回ってしまうのです。
技量的に見ればヴェーグは必ずしもセーケイに劣るものではありませんから、このトップの交代の裏には何があったのかなどと三面記事的な興味がわいてきます。さらに、セーケイが活動の拠点をオランダに移すと、ヴェーグは自らが創設したハンガリー四重奏団をぬけて、新しくヴェーグ四重奏団を結成してハンガリーで活動を続けます。
そして、戦後すぐにヴェーグ四重奏団がジュネーヴ国際音楽コンクールで第1位を獲得するとすぐに西側に亡命し、結果的には1970年代まで活動を続け1980年に解散しています。つまりは、私がヴェーグを初めて知ったのはこの解散と合わせるかのようにモーツァルテウム・カメラータ・アカデミカの指揮者に就任した後の活動によるものだったのです。

そして、ふと思うのですが、50年代のヴェーグ四重奏団とセーケイ率いるハンガリー四重奏団の活動を見ていると、お互いがお互いを強く意識していたかのように思えるのです。
例えば、ヴェーグたちが1952年にベートーベンの弦楽四重奏曲の全曲録音すると、ハンガリー四重奏団も同じく全曲録音しています。そして、それを待っていたかのようにその翌年にはヴェーグはバルトークの弦楽四重奏曲の全曲録音を行っています。すると、少し時間は空きましたがハンガリー四重奏団もバルトークの全曲録音を行っています。
もちろん、ベートーベンとバルトークは弦楽四重奏曲の分野においては極めて重要なポジションにある作品なのですから、その録音が重なるのは何の不思議もないのですが、そこに何か対抗意識のようなものを感じてしまいます。

そう言えば、50年代の初め頃においてハンガリー四重奏団は「アンサンブルの極致」と言われていました。それと比べればヴェーグの四重奏団はそこまでの「売り」はありませんでした。
時代の流れから言えばいささか古いタイプに属するカルテットだったのかもしれませんし、それはベートーベンやモーツァルトの録音を聞けば納得がいくはずです。
しかし、50年代も半ばになってくるとヴェーグがひっぱていくと言うよりは4つの楽器のアンサンブルを意識するように変わっていくかのように思えます。ただし、彼らはそう言うことを声高に喧伝することはなく、常に淡々と己の音楽のあり方を見つめ一歩ずつ前に進んでいくという感じです。
彼らの演奏を聞いていると、彼らほどにオレがオレがと言う、この世界では絶対に必要な欲と我から縁遠い存在は思い当たりません。
それだけに、一般的には非常に聞き通すのが難しいバルトークだけでなく、スメタナやコダーイといういささかマイナー作品であっても、彼らの演奏ならば信頼を持って聞き通すことが出来ます。
そして、そう言う背景にはもしかしたらセーケイには負けられないというプラスのライバル心があったのかもしれないなと妄想してしまうのです。

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