ショパン:ノクターン Op.32
(P)アダム・ハラシェヴィチ:1961年録音
Chopin:Nocturne No.9 in B major, Op.32, No.1
Chopin:Nocturne No.10 in A Flat, Op.32, No.2
劇的息吹と情熱と、そして壮大さ

ノクターンはロマン派の時代に盛んに作られたピアノ小品の一ジャンルです。
ロマン派の時代になると、厳格な規則に縛られるのではなく、人間の感情を自由に表現するような小品がたくさん作られ、当初はバガテルとか即興曲などと呼ばれていました。
その様ないわゆる「性格的小品」の中から「ノクターン」と称して独自の性格を持った作品を生みだしたのがイギリスのジョン・フィールドです。
フィールドはピアニストであり作曲家でもあった人物ですが、低声部の伴奏にのって高音部が夜の静寂を思わせるような優雅なメロディを歌う作品を20曲前後作り出しました。そして、このフィールドが作り出した音楽形式はショパンに強い影響を与え、彼もまた「ノクターン」と称する作品をその生涯に21曲も作り出しました。
初期の作品は「ショパンはフィールドから直接は借用はしていないが、その旋律や伴奏法をまねている」と批評されたりしていますが、時代を追うにつれて、フィールドの作品にはない劇的な性格や情熱が付け加えられて、より多様な性格を持った作品群に変貌していきます。
そして、、今日では創始者のフィールドの作品はほとんど忘れ去られ、ノクターンと言えばショパンの専売特許のようになっています。
後年、ショパン研究家として著名なハネカーは次のように述べています。
「ショパンはフィールドの創案になる形式をいっそう高め、それに劇的息吹と情熱と、そして壮大さを加えた。」
まさにその通りです。
ショパン:ノクターン Op.32
この二つのノクターンがまとめられた「作品32」は比較的演奏される機会の少ない作品のようです。それは、作品27のように、聞けばすぐに魅了されるような音楽ではなくて、どこか穏やかな情緒を聞き手に対して親しく伝えようとする音楽になっているからでしょう。
- 第1番は旋律がしばしば中断され、その間に突然フェルマータが挿入され、そして、その後はカデンツァが一つの楽句を終わらせるという変わった構造を持っています。
そして、最後は非常に劇的なコーダで締めくくられます。
- 第2番はある意味ではもっとも演奏家たちから無視されている作品と言えます。
実際、ここにはショパンらしい独創性は乏しく、それどころかフィールドのノクターンを思わせるような部分が多いことは否定できないようです。それ故に全体としてはいささか退屈と言わざるを得ません。
しかし、主題の再現に微妙は表情を加えたり、中間分では半音高めて反復したりと、ある意味ではショパンの実験的な試みも垣間見られます。
ショパンの心の襞に寄りそった演奏
アダム・ハラシェヴィチは第5回ショパン国際ピアノコンクール(1955年)で優勝をしています。しかし、その優勝は彼の経歴において必ずしもプラスにはならなかったようです。
何故ならば、その時に2位になったのがアシュケナージであり、その結果は彼がポーランド人であり、さらにはコンクールの審査委員長の弟子であった事が影響したのではないかと疑惑が囁かれたからでした。さらに、その結果を承認できないとしてミケランジェリが審査員を降板するという騒ぎにまで発展して、ハラシェヴィチの優勝に影を投げかけることになってしまいました。
出所は不明なのですが、アシュケナージは3次予選の時に第2協奏曲で90小節以降を間違って繰り返すというミスをおかしたのです。それ故に2位になったのもやむを得なかったとも語られるのですが、テクニックと言うことだけで考えれば明らかにアシュケナージの方が勝っている事は明らかだったようです。
しかし、こうして彼のショパンをじっくりと聞いてみると、音楽はテクニックだけではないと言うことをあらためて感じさせられます。
おそらくその事はハラシェヴィチ自身も感じていたのでしょう、後に彼は自らの優勝に疑念を呈したミケランジェリの下で学んでいます。
また、ネット上で見つけた情報なのですが、野村光一氏が1968年の「新音楽」という「労音」の雑誌にこのコンクールのことについて書かれているそうです。この年に、「労音」がハラシェヴィチとアシュケナージを招いてコンサートを行なったからです。
1968年と言えば第5回コンクールから随分と時間がたっているのですが、両者を同時に招いてのコンサートと言うことになれば、その事にふれずにはおかなかったのでしょう。
しかしながら、野村氏はその時のコンクールの演奏を実際に聞いてるわけではないので、その第5回コンクールに出場した田中希代子氏にあれこれ質問するというスタイルだったようです。
野村氏自身のコメントは1968年にNHKが放送した第5回コンクールの録音をもとに感想を述べているようです。
ただし、NHKの放送も彼らの演奏のごく一部(アシュケナージのはショパンの「三度のエチュード」、ハラシェビッチはマズルカとノクターン)だけだったので、極めて限られた情報の中での感想だと述べています。
その中で野村氏は「わたしの印象ではどうも第2位になったアシュケナージの方が音もテクニックもばりばりしていて、ピアニストとしては優れていたように思われた。」と述べています。
そして、野村氏は田中さんに「アシュケナージが一番みたいな気がしますね」と尋ねたところ、彼女は即座に、「いやそうとはいい切れないのですよ。」とこたえたそうです。
田中氏は「もちろんアシュケナージの方がテクニック的に冴えていますが、やはりショパンともなれば、ハラシェビッチのほうが音楽的なつぼにはまった弾き方をします。だから、あの人が1位になるのは当然だったのでしょう」と明確に言い切っているのです。
おそらく、この話だけを聞けば「ふーん、そんなもんですかね」と言う感じなのですが、このように彼が1961年に録音したノクターンを聞かされてみれば、「いやはや、全く持って仰るとおりかもしれません」と納得せざるを得ません。
確かに、アシュケナージのテクニックは見事なもので、彼が残した何枚ものショパンの録音を聞いてみれば、演奏するだけでも難しい部分であっても、美しく、明晰に、そして早く演奏しきるテクニックには感嘆するしか有りません。
しかし、ショパンの音楽がそれだけではどこか不満が残るのも事実です。
そのテクニックの鮮やかさに「すげーぇ!」と感嘆しても、それがショパンの心の襞にはどこか届かない部分があると感じる人がいても否定は出来ません。
それに対して、「民族の血」などと言う安易な言葉は使いたくはありませんが、確かにハラシェヴィチには「音楽的なつぼにはまった弾き方」だと強く感じます。
それを技術的な問題としてとらえれば、リズムやテンポの微妙な揺らしかた、強弱のニュアンスの繊細さ等と言えるのでしょうが、おそらくはそう言うテクニックではどうしようもない共感がそこに潜んでいるのでしょう。
もちろん、バリバリと、そしてパリッと弾ききるショパンも魅力ですが、こういう心の襞に分け入るようなショパンもまた十分に魅力的だと言えます。
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