チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調, Op.36
ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1960年6月録音
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [1.Andante sostenuto - Moderato con anima]
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [2.Andantino in modo di Canzone]
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [3.Scherzo. Pizzicato ostinato.]
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [4.Finale. Allegro con fuoco]
絶望と希望の間で揺れ動く切なさ
今さら言うまでもないことですが、チャイコフスキーの交響曲は基本的には私小説です。それ故に、彼の人生における最大のターニングポイントとも言うべき時期に作曲されたこの作品は大きな意味を持っています。
まず一つ目のターニングポイントは、フォン・メック夫人との出会いです。
もう一つは、アントニーナ・イヴァノヴナ・ミリュコーヴァなる女性との不幸きわまる結婚です。
両方ともあまりにも有名なエピソードですから詳しくはふれませんが、この二つの出来事はチャイコフスキーの人生における大きな転換点だったことは注意しておいていいでしょう。
そして、その様なごたごたの中で作曲されたのがこの第4番の交響曲です。(この時期に作曲されたもう一つの大作が「エフゲニー・オネーギン」です)
チャイコフスキーの特徴を一言で言えば、絶望と希望の間で揺れ動く切なさとでも言えましょうか。
この傾向は晩年になるにつれて色濃くなりますが、そのような特徴がはっきりとあらわれてくるのが、このターニングポイントの時期です。初期の作品がどちらかと言えば古典的な形式感を追求する方向が強かったのに対して、この転換点の時期を前後してスラブ的な憂愁が前面にでてくるようになります。そしてその変化が、印象の薄かった初期作品の限界をうち破って、チャイコフスキーらしい独自の世界を生み出していくことにつながります。
チャイコフスキーはいわゆる「五人組」に対して「西欧派」と呼ばれることがあって、両者は対立関係にあったように言われます。しかし、この転換点以降の作品を聞いてみれば、両者は驚くほど共通する点を持っていることに気づかされます。
例えば、第1楽章を特徴づける「運命の動機」は、明らかに合理主義だけでは解決できない、ロシアならではなの響きです。それ故に、これを「宿命の動機」と呼ぶ人もいます。西欧の「運命」は、ロシアでは「宿命」となるのです。
第2楽章のいびつな舞曲、いらだちと焦燥に満ちた第3楽章、そして終末楽章における馬鹿騒ぎ!!
これを同時期のブラームスの交響曲と比べてみれば、チャイコフスキーのたっている地点はブラームスよりは「五人組」の方に近いことは誰でも納得するでしょう。
それから、これはあまりふれられませんが、チャイコフスキーの作品にはロシアの社会状況も色濃く反映しているのではと私は思っています。
1861年の農奴解放令によって西欧化が進むかに思えたロシアは、その後一転して反動化していきます。解放された農奴が都市に流入して労働者へと変わっていく中で、社会主義運動が高まっていったのが反動化の引き金となったようです。
80年代はその様なロシア的不条理が前面に躍り出て、一部の進歩的知識人の幻想を木っ端微塵にうち砕いた時代です。
私がチャイコフスキーの作品から一貫して感じ取る「切なさ」は、その様なロシアと言う民族と国家の有り様を反映しているのではないでしょうか。
奥深い世界にこの若造は入っていけない
これは実に不思議な録音です。何故ならば、この録音の3ヶ月前にカラヤンがEMIにこの交響曲第4番をセッション録音しているからです。このマゼールの方はドイツ・グラモフォンでの録音ですから有りと言えば有り なのでしょうが、それでも普通はあり得ない話です。
しかし、そのカラヤンの録音とこのマゼールの録音をしっくりと聞き比べてみれば、一つの妄想が浮かび上がってきます。
まずは、カラヤンはもうEMIとはおさらばしたい時期だったと言うことです。
ですから、そのEMIで録音したチャイコフスキーの4番は何とも不思議な演奏になっています。それは、50年代のフィルハーモニア管との演奏に見られるような正統派の堂々たる構築感からは一歩後退しています。しかしながら、後年の「カラヤン美学」と呼ばれる事になる、横への流れを重視した音楽作りはそれほど徹底はされていません。
おそらく、カラヤンにとっては試行錯誤の時期の録音だったのではないかと思われます。そして、そう言う試行錯誤というか、実験をするにはおさらばしたいEMIでの録音はちょうど良かったのかもあしれません。
では、その実験とは何かと言えば、「演奏家の都合で楽器の音に強弱がつくのを克服して、どこをとっても均等にみっちりと音がつまった状態でアンサンブルを作り上げれば、今まで誰も聞いたことがないような美しい音をオケから引き出すことができるのではないか」というものでした。言うまでもなく、後に「レガート・カラヤン」と言われるようになるカラヤン美学への挑戦です。
言うまでもなく、楽器というものは、普通は人間の生理的な限界から、音が強くなったり弱くなったりするものです。管楽器であれば、呼吸の限界がありますから、どうしても音は次第に弱くなっていきます。弦楽器もまた、ボウイングの都合で音は弱くなったり強くなったりするのが普通です。しかしながら、そう言う限界を超えて、オーケストラーのプレーヤに多大なる無理を強いてでも、今までだれも実現したことのない響きで音楽を作りあげてみたかったのです。
とは言え、それは言うほど簡単ではなく、はっきりと言えばこの60年のカラヤンの録音は成功したとは言いがたいものとなっています。
では、どこに問題があったのかを確認するために何が必要なのか。それは、完璧にオーケストラをコントロールできる能力を持った指揮者に無駄な解釈などと言う主観的要素を排除して演奏させてみることです。そして、その二つの録音を聞く較べてみれば、カラヤンが理想とする響きを実現するために欠けているものがより明確になると言うものです。
そう考えれば、この3ヶ月後の録音にマゼールを起用したのは慧眼(^^;と言うべきでしょう。
彼のオーケストラをコントロールする能力は完璧です。おかげで、ベルリンフィルの合奏能力をフルに生かして一点の瑕疵もない音楽が展開されています。オーケストラに一切の無理を強いることがないために、人間の生理的な限界によって普通に起こる強弱が自然なフレージングにつながり、音楽に活気と表情を与えています。
しかし、カラヤンは己の敵となるような指揮者を自分のオケには絶対に近づけない男でした。
つまりは、これほど優れた能力を披露したマゼールだったのですが、カラヤンから見れば彼は敵ではなかったのです。
それは、例えばこの完璧とも思える演奏とムラヴィンスキーの演奏を比べてみればその理由はすぐに了解できるはずです。
ムラヴィンスキー流に言えば、音楽と向き合うときには、その音楽がまとっている雰囲気(アトモスフィア)をつかみ、自分自身の生活もその雰囲気の中にひたらなければいけないと言うことです。
若きマゼールは音符を完璧に現実の音に変換するだけでなく、その音楽が持っている躍動するような生命観を見事に表現しています。しかし、そこからさらに奥深い世界にこの若造は入っていけないとカラヤンは判断していたのでしょう。
マゼールにとって、そう言うからヤンの判断が間違いであったことを最晩年になって証明できたことは幸せなことでした。
よせられたコメント
2021-09-30:joshua
- いよいよ出てきましたね。ウィーンでなくてベルリンのマゼール・チャイコフスキー。ウィーンが全集であるのに対して、こちらは、単発の4番のみ。40数年前、なんとなく廉価版LPというので買ったこの演奏。録音のせいか、オケの音色のせいか、ムラヴィンスキーなどと比べると、はじめ何か冷めた印象を受け、少し遠ざかってからまた聞くようになると、不思議に面白くなって繰り返し聞くようになりました。他のコメントで触れたと思いますが、第1楽章の後半のホルン・ソロなど実にアンニュイでやる気のない演奏に聞こえた(当時首席のGerd Seiferdが下手なはずがありません)のですが、コーダ近くの強奏部分など、鋭い音の立ち上がりと、名人のそれとは思えないほどの必死のフォルティッシモ。徐々に面白いところを見つけていった演奏です。このアプローチでBPOを使い、悲愴の3楽章、5番の終楽章を聞かせてくれていれば、とまたまた無い物ねだりです。
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