マーラー:交響曲第9番 ニ長調
ゲオルグ・ショルティ指揮 ロンドン交響楽団 1967年4月~5月録音
Mahler:Symphony No.9 [1.Andante comodo]
Mahler:Symphony No.9 [2.Im Tempo eines gemachlichen Landlers. Etwas tappisch und sehr derb]
Mahler:Symphony No.9 [3.Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig]
Mahler:Symphony No.9 [4.Adagio. Sehr langsam und noch zuruckhaltend]
純粋な音楽形式が支配している
「9番の呪い」という言葉があるのかどうかは知りませんが、この数字に異常なまでのこだわりを持ったのがマーラーだったと言われています。
それは、彼が偉大な先人たちが交響曲を9番まで作曲して亡くなっていることに非常なおそれを抱いていたというものです。具体的には、ベートーベン、ブルックナー、ドヴォルザーク、そして数え方によって番号は変わりますが、シューベルトも最後の交響曲は第9番と長く称されてきたと、テレビ番組で得々と語っている某ヴァイオリニストがいました。
しかしながら、少しはクラシック音楽を聞いてきた人間ならば、マーラーの時代にシューベルトの「グレイト」やドヴォルザークの「新世界より」が9番と呼ばれていなかった事は常識ですから、それらを「9番の呪い」に引用していたその某ヴァイオリニストはよほどのお間抜けです。
しかしながら、彼は8番を完成させたあと、次の作品には番号をつけずに「大地の歌」として9番目の交響曲を作曲したことは事実です。そして、本当ならば「9番」に該当する「大地の歌」を完成させたあと、9番の作曲にとりかかります。
彼は心のなかでは、今作曲しているのは9番という番号はついているが、実は本当の9番は前作は「大地の歌」であり、これは「9番」と番号はついていても、本当は「10番」なんだと自分に言い聞かせながら作曲活動を続けました。
そして、無事に9番を完成させたあと、この「9番の呪い」から完全に逃れるために引き続き「10番」の作曲活動に取りかかります。
しかし、あれほどまでに9番という番号にこだわり続けたにもかかわらず、持病の心臓病が急に悪化してこの世を去ってしまいます。そんなわけで、結局は、マーラーもまた「9番の呪い」を彩る重要メンバーとして、その名を刻むことになったのはこの上もなく皮肉な話です。
しかし、長く伝えられてきたこの「物語り」に私はかねてから疑問を持っていました。
理由は簡単です。
死の観念にとりつかれ、悶々としている人間がかくも活発な創造活動を展開できるでしょうか?私たちのような凡人にはとても想像もできないタフな精神力です。
しかしながら、この第9番の交響曲は、そのような逸話もあってか、ながく「死の影」を落とした作品だと考えられ、そのような解釈に基づく演奏が一般的でした。
しかし、「死の影におびえるマーラー」というのが常識の嘘であり、彼の死も、活発に創造活動に取り組んでいる最中での全く予期しない突然のものだったとすれば、この曲の解釈もずいぶんと変わってきます。
確かに、前半3つの楽章は此岸の世界でおこる様座な軋轢や葛藤、そして時には訪れる喜びなどが描かれているとすれば、最終楽章は疑いもなく彼岸の世界を歌い上げています。しかし、その彼岸の世界には「死の影におびえる恐怖」は全く感じられないどころか、ある種の甘美ささえ感じ取れるほどです。
その意味で、果たして、最後の数十小節をかくもピアニシモで演奏をしていいものだろうか・・・などと、名演の誉れ高いバーンスタイン最後の来日となったイスラエル・フィルとの演奏を聞きながら疑問に思い、長く続く拍手とブラボーの声のなかをそそくさと席を立ったのも懐かしい思い出です。
もう一つのマーラー・ルネサンス
マーラー・ルネサンスと言えば、それはもうバーンスタイン&ニューヨーク・フィルによって1960年代に行われた交響曲全集の録音と言うことになります。しかし、もう一人忘れてはいけないのがこのショルティによるマーラー録音です。
バーンスタインは1960年の第4番の録音からスタートして、1967年の第6番の録音で全集を完成させています。(ただし、「大地の歌」は別途73年にイスラエル・フィルと録音しています)
そして、ショルティもまた1961年にコンセルトへボウと第4番を録音したことを皮切りに、その後ロンドン響とシカゴ響を使って1971年に全集を完成させています。(ただし、ショルティもまたこの時は「大地の歌」は録音しないで後回しにしています。)
バーンスタインはニューヨーク・フィルという手兵を持っていましたから、その手兵を使って録音を行ったのですが、ショルティはコヴェント・ガーデン王立歌劇場の音楽監督という地位だったので、結果としてコンセルトヘボウやロンドン響を指揮しての録音と言うことになっています。
そして、1969年に、初めてシカゴ交響楽団というコンサート・オーケストラのシェフの地位に就くと残されていた6番から9番までの4曲を一気に録音して全集として完成させます。
- 交響曲第4番 コンセルトへボウ管弦楽団 1961年録音
- 交響曲第1番 ロンドン交響楽団 1964年録音
- 交響曲第2番 ロンドン交響楽団 1966年録音
- 交響曲第9番 ロンドン交響楽団 1966年録音
- 交響曲第3番 ロンドン交響楽団 19768年録音
- 交響曲第5番 シカゴ交響楽団 1970年録音
- 交響曲第6番 シカゴ交響楽団 1970年録音
- 交響曲第7番 シカゴ交響楽団 1970年録音
- 交響曲第8番 シカゴ交響楽団 1970年録音
まさに、バーンスタインの全集作成を追いかけるようにショルティもまたマーラーに取り組んだのでした。しかし、この一連のショルティの録音は不思議なほどに話題に上がりません。
その理由としては、シカゴ響という優れたオーケストラを手に入れることによって、60年代にコンセルトヘボウとロンドン響を使って録音した交響曲を再録音をして結局は「ショルティ指揮 シカゴ響によるマーラー全集」というセットが完成してしまったことが大きく影響したようです。
確かに、レーベル側からすれば、上の様な混成部隊による全集よりは、シカゴ響と言うスーパー・オーケストラとの全集とした方が売れ行きがいいのは決まっています。結果として、60年代のコンセルトヘボウとロンドン響の録音は日陰にまわり、市場にはシカゴ響との全集が出回ることになってしまったのです。
そして、もう一つ大きな影響を与えたのが、評論家筋からのシカゴ響との全集への根強い拒否反応です。
もっとも有名なのは、柴田南雄氏による第3番への評価でしょう。
柴田はその録音に対して「燦然たる音の輝きに幻惑されるような出来映えである」としながらも「その見事な饗宴に接して、これは、今日のマーラー理解という世界的現象のほんの一面、いわばその感覚的な表層しか代表していない」と続けるのです。そして、「レコード・ジャーナリストからは歓呼を持ってむかえられるレコードであろう。しかし同時に多くの人が、歓呼の彼方に振り切ることの出来ぬ空虚感の広がるのを実感せざるを得ないだろう」と断じるのです。
おそらく、こういう見方はマーラーだけに限らず、ショルティのあらゆる録音について回るこの国独特の見方の典型と言えるものです。
それでは、柴田はマーラーに何を求めていたのかというと、「マーラーならマーラーの交響曲の構造を通じて、それが生み出された時代が、いきいきとした姿で我々の生活の中に再構築されるのを体験したい」と述べ、その願いを叶える演奏としてテンシュテットの名前を挙げているのです。
確かに、テンシュテット大好きの私としてはその願いを否定するつもりはありませんし、まさにバーンスタインの新旧二つの全集もまた、その様な前世紀末のヨーロッパ文明との間に解決しがたい相克を抱えたマーラーの深刻な深刻な危機的状況を体験させる演奏でした。
いわゆる情念全開の、主観性に溢れた(もう少し柔らかく言えば深い共感に満ちた)マーラー演奏でした。
しかし、この柴田の指摘は、逆にマーラー演奏っていつもそうでなければいけないの、と言う素朴な疑問を呼び起こします。
そして、このショルティの60年代のマーラー演奏が情念爆発型のバーンスタインの仕事を追いかけるように為されたことを思えば、逆にそれだけがマーラー演奏の絶対的解でないことを示そうとしてるようにすら聞こえるのです。
そう、柴田も言っているように、その情念もまたマーラーも交響曲の構造を通じて表現されなければいけないのです。そして、バーンスタインのマーラー演奏を聞くとき、そのあまりに強すぎる共感故に作品の構造自体が破綻寸前、もしくは破綻しているように思われる場面に良く出くわすのです。しかし、同時にそれもまたマーラーならではの面白さとして多くの聞き手は受け入れているのです。
それに対して、ショルティは、そのマーラーの交響曲の持つ構造をこれ以上はないと言うほどの明確さで提示しているのです。その事を柴田は「複雑なスコアの音符や記号を正確に再現するのにいくら感心しても実は始まらない」と切って捨てるのですが、それは今日的視点から見れば明らかに言いすぎであったことが明らかです。
今さら言うまでもないことですが、現在では極限まで「複雑なスコアの音符や記号を正確に再現する」ことに重点をおいた演奏が主流を占めていて、その事が新しいマーラー理解につながっている事は否定しようがありません。そして、それがもたらすある種の身体的爽快感や壮大な響きへの耽溺がもたらす魅力にも抗しがたいものがあります。
そして、そう言うマーラー演奏の端緒を築いたのは間違いなくこの一連のショルティによる演奏です。
さらに付け加えれば、そう言うショルティの目指すものを見事なまでに形にしてユーザーに提供できたのはDeccaの優秀な録音陣のお手柄です。
これは有名な話なのでご存知の方も多いと思いますが、Deccaを代表するプロデューサーだったカルショーはマーラーが大嫌いでした。そして、その嫌いというのはたんなる好き嫌いというレベルをこえていて、マーラーの音楽を聞くと本当に体の調子が悪くなってきて気分が悪くなってくると言うほどの拒否反応でした。
とは言え、試しにやってみようと言うことでショルティとカルショーは第1番の録音に挑戦したのですが、やはりカルショーはとてもじゃないが最後まで体が持たないと言うことで、若手のデーヴィッド・ハーヴェイに代役を頼み、それ以降はハーヴェイによるプロデュースでショルティのマーラーは録音されることになりました。
つまりはデーヴィッド・ハーヴェイは実にいい仕事をしたのです。
そう言うわけで、このショルティによるマーラー演奏は、バーンスタインとはまた異なった形のマーラー像を提供したと言うことで、これもまたもう一つのマーラー・ルネサンスだったと評価すべきではないかと思います。
そして、もういい加減、ショルティを実際に聞かずして最初から毛嫌いするような風潮はいい加減やめにした方がいいのではないでしょうか。
それとも、例えばこれら一連の録音で金管群などは鳴らすべきところは極めて威嚇的に目一杯ならしていることが多いのですが、そう言うところがお気に召さないのでしょうか。それが、カリスマだったギュンター・ヴァントだったりすると、彼がケルン放響と録音したブルックナーの全集における金管の咆哮には何の文句も言わないのですから、不思議なものです。
私も年を重ねたのか、最近はこのショルティを含めカラヤンなど、かつてはクラシック音楽ファンならば「アンチ」であることが「ステイタス」だったような人々が残した業績をもう一度正当に見直す必要を痛感しています。
よせられたコメント
2021-06-23:joshua
- 昨日のアタウルフォ アルヘンタ、セル、サヴァリッシュ、そしてこのショルティ、ピアノ一本でも食うには困らない名ピアニスト、でも指揮の魅力には抗し難い。自分で音を出さないのか、人を制して自分が出したい音を出させる、これが最大の音楽家の主体性の顕れ何ですね。指揮者は言葉で指示し、練習を重ねて自分の持つ音に近づける。言葉のない奏者たちは、せいぜい指揮者の悪口を裏で叩く。この構図が成り立つ時、指揮者は音楽で食う人から100人を制する施政者になるわけでしょうか。ソリスト、室内楽メンバーはそれが嫌なのか、自分の音楽をする。ピアノは如何程か知りませんが、ベームは明確に自己の出したい音を持って指揮した、といいます。オケに自分の音を出させて酔いしれる姿は、リスナーの我々が名演に酔いしれるのに案外近いんじゃないでしょうか? スコアを見て自分の音を描けることは、無論素晴らしい。でも、リスナーは楽員と確執も持たない。
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