ベートーベン:ピアノ・ソナタ第15番「田園」 ニ長調 Op.28
(P)フリードリヒ・グルダ 1953年10月29日録音
Beethoven: Piano Sonata No.15 In D, Op.28 "Pastorale" [1. Allegro]
Beethoven: Piano Sonata No.15 In D, Op.28 "Pastorale" [2. Andante]
Beethoven: Piano Sonata No.15 In D, Op.28 "Pastorale "[3. Scherzo. Allegro vivace]
Beethoven: Piano Sonata No.15 In D, Op.28 "Pastorale" [4. Rondo. Allegro ma non troppo]
新進気鋭のピアニストとして人気を博した若き時代の最後を締めくくる作品
激しく積極的な性格と、その反対の平穏で客観性にあふれた性格を同時に並行させるのがベートーベンの特長でした。その一番有名な例は交響曲の運命と田園の関係です。
それと同じ事が、この作品28のソナタと前作の作品27との間にも指摘できます。
とりわけ前作の「月光」とタイトルのついた作品27の2とこの「田園」とあだ名のついた作品28はほぼ同じような時期に作曲されているのですが、性格は正反対です。
前作では「月を見て狂ったのか!」というほどに激しい主観的感情を爆発させているのに対して、この田園ソナタでは4楽章の古いスタイルに戻るだけでなく、実に穏やかでのびやかな音楽となっています。
この「田園」という表題は出版に際して業者がつけたタイトルなのですが、中間の2楽章はともかく、両端楽章は田園的な雰囲気に溢れているのでそれほど的外れなネーミングではありません。
例えば、第1楽章の冒頭では執拗に低声部でD音が鳴らされるのですが、これはローゼン先生も指摘しているように、バグパイプの響きです。
この冒頭から24小節にわたって響き続けるバグパイプの響きはこの作品の性格を特徴づけていますし、この第1楽章全体に何度もこの響きが登場することで音楽の性格を決定づけています。
また、最終楽章でもこのバグパイプの響きが帰って来ますし、それが中断したあとに歌われるのは明らかにヨーデルです。
そういう意味において、この作品に「田園」というネーミングをしたことはかなりの妥当性があるのです。
出版業者にしてみれば、この時代は田園趣味的な作品が大いに流行したので、そう言う流行を狙ってのネーミングだったのかもしれません。
しかし、ベートーベンはその様な時流を意識しただけの作品を書くはずもなく、例えば第2楽章では左手のスタッカートの上で右手でカンタービレの旋律を歌わせると言うことを執拗に追求しています。
また、クレッシェンドしたかと思うと突然に「p」になったり、スラーの終わりにスファルツァンドしたりという急激な動きも多用しています。
これらは、その指定通りまともに演奏すればかなりグロテスクな音楽になるのですが、それらを丸め込んでしまうと田園的な叙情性が前面に出てくるので、ピアニストとしてはハテサテどうしたものかとなるのです。
ただし、続く第3楽章のスケルツォはベートーベンらしい皮肉とユーモアに溢れていますから、その流れから言えば第2楽章はグロテスクに表現することを期待していたことは明らかでしょう。
何故ならば、当時の聞き手にとってこの第3楽章でこのような皮肉な音楽を聞かされることは我慢ならないことだったのですが、その反対側には、このような「新しさ」に魅了される人々も現れ始めていたからです。
ですから、この作品には確かにのどやかな田園的情緒が溢れているのですが、そのサンドイッチのパンの間にはかなり強めの辛子がきいた具が挟まれているのです。
そして、最後の終結部にはいると今まで抑えに抑えていたものが一気にあふれ出すように爆発するのは「さすがはベートーベン」という感じの音楽になっています。
ベートーベンはこの作品番号で言えば27と28のソナタの後に、いよいよ真にベートーベンらしい世界へと足を踏み入れていきます。
その意味では、この作品は新進気鋭のピアニストとして人気を博した若き時代の最後を締めくくる作品だったと言えます。
- 第1楽章 アレグロ ニ長調 4分の3拍子 ソナタ形式
- 第2楽章 アンダンテ ニ短調 4分の2拍子 三部形式
- 第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ ニ長調 スケルツォ
- 第4楽章 アレグロ、マ・ノン・トロッポ ニ長調 8分の6拍子 ロンド
見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェン
ブレンデルのソナタ全集を紹介したときにグルダの全集に関しても少しばかりふれました。
一般的にグルダによるベートーベンのピアノ・ソナタ全集は1967年に集中的に録音されたAmadeoでのステレオ録音と、1954年から1958年にかけてモノラル・ステレオ混在で録音されたのDecca録音の二つが知られていました。しかし、最近になってその存在が知られるようになったのがここで紹介しているた1953年から1954年にかけてウィーンのラジオ局によってスタジオ収録された全曲録音です。
この録音は、きちんとセッションを組んで以下のような順番で全曲が録音されたようです。
- 1953年10月8&9日録音:1番~3番
- 1953年10月15&16日録音:4番~7番&19番~20番
- 1953年10月22日録音:8番~10番
- 1953年10月26日録音:11番
- 1953年10月29日録音:12番~13番&15番
- 1953年11月1日録音:14番
- 1953年11月6日録音:16番~18番&21番
- 1953年11月13日録音:22番&24番~25番
- 1953年11月20日録音:23番&27番
- 1953年11月26日録音:30番~31番
- 1953年11月27日録音:26番&32番
- 1954年1月11日録音:28番~29番
グルダは年代順にベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音するという構想を立てていて、それを実際に行ったのは1953年のことでした。その年に、グルダはなんとオーストリアの6都市でベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行うことになるのですが、おそらくはその集大成として1953年10月8日から1954年1月11日にかけて、セッション録音を行ったのでしょう。
しかしながら、その全曲録音が終了した1954年からグルダはDeccaで同じような全曲録音を開始するのです。
この1953年から1954年にかけて録音を行ったウィーンのラジオ局は、当時は依然としてソ連の管理下にあったこともあってか、結局は一度も陽の目を見ることもなく「幻の録音」となってしまったようなのです。
それでは、その「幻の録音」が何故に今頃になって陽の目を見たのかと言えば、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったためでしょう。そう考えてみると、著作権というのは創作者の権利を守るとともに、一定の期間を過ぎたものはパブリック・ドメインとして多くの人に共有されるようにすることには大きな意味があるといえるのです。
さて、私事ながら、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲の「刷り込み」はグルダのAMADEOでのステレオ録音でした。つまりは、全曲をまとめて聴いたのがその録音だったのです。
理由は簡単です。その当時、AMADEOレーベルから発売されていたこの全集が一番安かったからです。(それでも1万円ぐらいしたでしょうか。昔はホントにCDは高かった)
ただ、買ってみて少しがっかりしたことも正直に申し上げておかなければなりません。なぜなら、その当時の私の再生装置では、なぜかピアノの響きが「丸く」なってしまって、それがどうしても我慢できなかったからです。
その後、CDプレーヤーは捨ててファイル再生に(PCオーディオ)へと移行していく中で、意外としゃっきりと鳴っていることに気づかされて、そのおかげでグルダの演奏の凄さが少しは分かるようになっていったものでした。音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです。
当時のHMVのキャッチコピーを見ると「録音から既に長い年月が経過していますが、その間にリリースされた全集のどれと較べても、全体のムラのない完成度や、バランスの見事さ、響きの美しさといった点で、いまだに優れた内容を誇り得る全集だと言えるでしょう。」と書いています。
CDプレーヤーでお皿を回しているときは、この「バランスの見事さ、響きの美しさ」と言う評価には全く同意できなかったです。ただし、今のシステムならば十分に納得のいくものとなっています。
そして、それとほぼ同じ事がこの若き日の録音にもいえるのです。
1953年から1954年と言えば、バックハウスやケンプが現役バリバリで活躍していた時代でした。彼らのようなドイツの巨匠によるベートーベンは、シュナーベルやフィッシャーなどから引き継がれてきたドイツ的なベートーベン像でした・・・おそらく・・・。
そして、それ故に彼らのソナタ全集は多くの聞き手から好意的に受け入れられ、その結果としてメジャーレーベルから華々しく発売されることになったのです。
そう言う巨匠達の演奏と較べれば、このグルダのベートーベンは全く異なった時代を象徴するような演奏でした。
もしもバックハウスの演奏が「絶対的」なものならば、このグルダの演奏は明らかに異質な世界観のもとに成り立っています。
全体としてみれば早めのテンポで仕上げられていて、シャープと言っていいほどに鋭敏なリズム感覚で全体が造形されています。そして、ここぞと言うところでのたたみ込むような迫力は効果満点です。この、「ここぞ!」というとところでのたたき込み方は67年のAMADEOでのステレオ録音よりもこの50年代のモノラル録音の方が顕著です。
つまりは、それだけ覇気にあふれていると言うことなのでしょう。
ですから、バックハウスのようなベートーベンを絶対視する人から見れば、この演奏を「軽い」と感じる人もいることは否定しません。
たとえば、グルダの演奏を「音楽の深さや重さを教えているものではなく、極めて口当たりの良い軽い音で、しかも気軽に聞けるように作り直している」と評価している人もいたほどでした。それは、67年の録音に対してのものでしたから、それとほぼ同じスタンスで演奏した50年代の初頭の録音ならば(それは結局は陽の目を見なかったのですが)、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。
しかし、ベートーベンはいつまでもバックハウスやケンプを模倣していないと悟れば、このグルダの録音は全く新しいベートーベン像を呈示していることに気づかされます。
つまり、シュナーベルから引き継がれてきたドイツ的(何とも曖昧な言葉ですが・・・^^;)なベートーベン像だけが絶対的な「真実」ではないと悟れば、このグルダが提供するベートーベン像の新しさは逆に大きな魅力として感じ取れるはずです。何故ならば、重く暑苦しい演奏は数あれど、ここまで見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェンはこれが初めてかもしれないのです。
そう言う意味で、録音から50年が経過して、著作権の軛から解放されてこの演奏が陽の目をみることが出来たことは喜ばなければなりません。
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