クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

シューベルト:交響曲第8番 ロ短調 D. 759「未完成」

ウィレム・ヴァン・オッテルロー指揮 ハーグ・レジデンティ管弦楽団 1959年6月録音





Schubert:Symphony No.8 in B minor D.759 "Unfinished" [1.Allegro moderato]

Schubert:Symphony No.8 in B minor D.759 "Unfinished" [2.Andante con moto]


シューベルトが書いた音楽の中でも最も素晴らしい叙情性にあふれた音楽

この作品は1822年10月30日に作曲が開始されたと言われています。しかし、それはオーケストラの総譜として書き始めた時期であって、スケッチなどを辿ればシューベルトがこの作品に取り組みはじめたのはさらに遡ることが出来ると思われています。
そして、この作品は長きにわたって「未完成」のままに忘れ去られていたことでも有名なのですが、その事情に関してな一般的には以下のように考えられています。

1822年に書き始めた新しい交響曲は第1楽章と第2楽章、そして第3楽章は20小説まで書いた時点で放置されてしまいます。
シューベルトがその放置した交響曲を思い出したのは、グラーツの「シュタインエルマルク音楽協会」の名誉会員として迎え入れられることが決まり、その返礼としてこの未完の交響曲を完成させて送ることに決めたからです。

そして、シューベルトはこの音楽協会との間を取り持ってくれた友人(アンゼルム・ヒュッテンブレンナー)あてに、取りあえず完成している自筆譜を送付します。しかし、送られた友人は残りの2楽章の自筆譜が届くのを待つ事に決めて、その送られた自筆譜を手元に留め置くことにしたのですが、結果として残りの2楽章は届かなかったので、最初に送られた自筆譜もそのまま忘れ去られてしまうことになった、と言われています。

ただし、この友人が送られた自筆譜をそのまま手元に置いてしまったことに関しては「忘れてしまった」という公式見解以外にも、借金のカタとして留め置いたなど、様々な説が唱えられているようです。
しかし、それ以上に多くの人の興味をかき立ててきたのは、これほど素晴らしい叙情性にあふれた音楽を、どうしてシューベルトは未完成のままに放置したのかという謎です。

有名なのは映画「未完成交響楽」のキャッチコピー、「わが恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」という、シューベルトの失恋に結びつける説です。
もちろんこれは全くの作り話ですが、こんな話を作り上げてみたくなるほどにロマンティックで謎に満ちた作品です。

また、別の説として前半の2楽章があまりにも素晴らしく、さすがのシューベルトも残りの2楽章を書き得なかったと言う説もよく言われてきました。
しかし、シューベルトに匹敵する才能があって、それでそのように主張するなら分かるのですが、凡人がそんなことを勝手に言っていいのだろうかと言う「躊躇い」を感じる説ではあります。

ただし、シューベルトの研究が進んできて、彼の創作の軌跡がはっきりしてくるにつれて、1818年以降になると、彼が未完成のままに放り出す作品が増えてくることが分かってきました。
そう言うシューベルトの創作の流れを踏まえてみれば、これほど素晴らしい2つの楽章であっても、それが未完成のまま放置されるというのは決して珍しい話ではないのです。

そこには、アマチュアの作曲家からプロの作曲家へと、意識においてもスキルにおいても急激に成長をしていく苦悩と気負いがあったと思われます。
そして、この時期に彼が目指していたのは明らかにベートーベンを強く意識した「交響曲への道」であり、それを踏まえればこの2つの楽章はそう言う枠に入りきらないことは明らかだったのです。

ですから、取りあえず書き始めてみたものの、それはこの上もなく歌謡性にあふれた「シューベルト的」な音楽となっていて、それ故に自らが目指す音楽とは乖離していることが明らかとなり、結果として「興味」を失ったんだろうという、それこそ色気も素っ気もない説が意外と真実に近いのではないかと思われます。

この時期の交響曲はシューベルトの主観においては、全て習作の域を出るものではありませんでした。
彼にとっての第1番の交響曲は、現在第8(9)番と呼ばれる「ザ・グレイト」であったことは事実です。

その事を考えると、未完成と呼ばれるこの交響曲は、2楽章まで書いては見たものの、自分自身が考える交響曲のスタイルから言ってあまり上手くいったとは言えず、結果、続きを書いていく興味を失ったんだろうという説にはかなり納得がいきます。

ちなみに、この忘れ去られた2楽章が復活するのは、シューベルトがこの交響曲を書き始めてから43年後の1865年の事でした。ウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックによってこの忘れ去られていた自筆譜が発見され、彼の指揮によって歴史的な初演が行われました。
ただ、本人が興味を失った作品でも、後世の人間にとってはかけがえのない宝物となるあたりがシューベルトの凄さではあります。
一般的には、本人は自信満々の作品であっても、そのほとんどが歴史の藻屑と消えていく過酷な現実と照らし合わせると、いつの時代も神は不公平なものだと再確認させてくれる事実ではあります。


  1. 第1楽章:アレグロ・モデラート
    冒頭8小節の低弦による主題が作品全体を支配してます。この最初の2小節のモティーフがこの楽章の主題に含まれますし、第2楽章の主題でも姿を荒らします。
    ですから、これに続く第2楽章はこの題意楽章の強大化と思うほど雰囲気が似通ってくることになります。また、この交響曲では珍しくトロンボーンが使われているのですが、その事によってここぞという場面での響きに重さが生み出されているのも特徴です。

  2. 第2楽章:アンダンテ・コン・モート
    クラリネットからオーベエへと引き継がれていく第2主題の美しさは見事です。
    とりわけ、クラリネットのソロが始まると絶妙な転調が繰り返すことによって何とも言えない中間色の世界を描き出しながら、それがオーボエに移るとピタリと安定することによって聞き手に大きな安心感を与えるやり方は見事としか言いようがありません。



理と情が実にいい案配で融合している


すでに以前に少しだけふれたこともあるのですが、オッテルローにとって人生の大きな転機となったのが1959年におけるベイヌムの突然の死去でした。未だ50代のベイヌムの突然の死は全く予想していないことだったので、コンセルトヘボウにとっては青天の霹靂でした。
そして、すぐに後任探しが始まるのですが、すでにハーグ・レジデンティ管弦楽団において十分すぎるほどの業績を積み重ねていたオッテルローは、その後任に自分が選ばれることに何の疑いも持っていなかったようです。

しかしながら、蓋を開けてみれば、ほとんど何の実績もない未だ30代のハイティンクが後任に選ばれます。
この人事は未だに謎と言うしかないのですが、その理由についてはあれこれ噂は飛びかっています。

もっとも大きな理由はコンセルトヘボウがメンゲルベルクの時代のような厳しいリハーサルから解放されていたのに、再びそんな厳しい練習を強いられることを嫌がったと言う噂です。
確かに、ベイヌムはオケのメンバーと相談しながら一つずつ課題を解決していく指揮者であり、その基本はオーケストラの自発性を重視するというものでした。その背景には、己の我を通すのではなくて、必要なことは全て楽譜に書かれているというザッハリヒカイトな考えを持っていたからでもあります。

ただし、同じ方向性でも要求水準が高くてひたすら厳しい客演指揮者だったセルとは軋轢が絶えず衝突を繰り返していました。(^^v
そんな平和な時代の恩恵を享受していたコンセルトヘボウにとって、パートごとに分けて厳しくリハーサルを繰り返すオッテルローは願い下げにしたい存在でしたし、ましてや就任1年目で楽団員の三分の二をクビにしたセルのことを「羨ましい」などと公言する指揮者などは断固拒否したかったはずです。
さらに言えば、オッテルローには戦時中の活動が問題視されたことも大きな要因となったようでもあります。

しかしながら、それを言えばハイティンクの補佐として共同で首席指揮者に就任したオイゲン・ヨッフムの方がより罪が深いとも言えますから、オッテルローからすれば理不尽と言えば理不尽な話でした。さらに、ヨッフムはハーグ・レジデンティ管弦楽団のコンサート・マスターだったヘルマン・クレバースをコンセルトヘボウに引き抜くという「掟破り」を平気で行うような人物だったので、オッテルローの憤懣は想像するに余りあります。

となると、最終的にはオッテルローのあまりに自由すぎる奔放な言動と私生活が決め手となったのかもしれません。
不思議な話ですが、コンセルトヘボウというのは長い伝統をもちながら、ここぞと言うところで人選を誤る癖があるようです。おそらく、ベイヌム死後の人選以上に大きな誤りはリッカルド・シャイーを選んでその伝統的な響きを放棄したことでしょう。

この59年6月に録音した「カルメン」組や「『アルルの女」組曲、シューベルトの「未完成」やベートーベンの8番などはベイヌム急死のすぐ後の演奏です。そこにはオッテルローの次のステップを目指した意気込みのようなものが感じられます。
音楽はしっかりとコントロールされながら豊かな音色に満たされた素晴らしい演奏であり、オッテルローの美質が遺憾なく発揮されています。
さらに言えば、良い悪いはひとまず脇におくとして、翌7月に録音したベルリオーズの「幻想交響曲」では、豊かな音色は保持しながらこの上もなく客観的に薬物中毒の青年の事を物語っています。

つまりは、理と情が実にいい案配で融合しているという点では優れた指揮者であったことは間違いありません。
そして、その背景として「作曲家」と言う顔と、厳しいリハーサルによってオーケストラを鍛えるという「職人的な指揮者」という二つの顔を持っていたことは忘れていけないでしょう。

歴史に「if」はありませんが、ベイヌムの後任にオッテルローが選ばれていれば、コンセルトヘボウのその後は随分と異なっていたことでしょう。
もっとも、そうなればそうなったで、数年で衝突を繰り返して袂を分かつことになったかもしれませんが、それでもそのオッテルローという優れた指揮者を飼い殺しのように燻らせて終わりにしてしまうようなことにはならなかったでしょう。

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