クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

マーラー:交響曲第4番

ゲオルク・ショルティ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (A)シルヴィア・スタールマン 1961年2月録音





Mahler:Symphony No.4 [1.Bedachtig, nicht eilen]

Mahler:Symphony No.4 [2.In gemachlicher Bewegung, ohne Hast]

Mahler:Symphony No.4 [3.Ruhevoll, poco adagio]

Mahler:Symphony No.4 [4.Wir geniessen die Himmlischen Freuden. Sehr behaglich]


マーラーの間奏曲・・・?

この作品を「マーラーの間奏曲」と言った人がいました。

2番・3番と巨大化の方向をたどったマーラーの作品が、ここでその方向性を変えます。ご存じのように、この後に続く5~7番は声楽を伴わない器楽の3部作と言われるものです。
この第4番はそれらとは違って第4楽章にソプラノの独唱を伴いますが、それは前2作のように、声楽の追加によってよりいっそうの表現の巨大化を求めたものとは明らかに異なります。
牧歌的小景とか天国的な夢想と称されるこの作品の雰囲気をより高めるために、実に細やかな歌となっています。まさに、前期の2,3番と中期の4?7番をつなぐ「間奏曲」というのはまさにこの作品を言い表すのにはぴったりの表現かもしれません。

しかしながら、その「小ささ」が「巨大」なものを期待していた聞き手にとってはあまり評判は良くなかったようです。とはいえ、そこはマーラーの事ですから、間奏曲と言っても普通に演奏すれば1時間近い作品ですから、一般的な交響曲のサイズから言えばかなりの大作であることは事実です。それでも、第1番から第3番にかけて果てしなく巨大化していったマーラーの交響曲ですから、初演に接した聞き手のほとんどは、「今度はどれほどのスペクタクルを味わえるのか」と期待していたのでしょう。

しかし、この交響曲はそういう「聞き手」の期待を見事に裏切ってしまい、初演当日も後日の新聞評でも批判の声が多かったようです。そして、唯一可憐な歌声が聞けた最終楽章だけが評価されたようです。
私などは、第3楽章の美しいメロディは第3番の最終楽章と並んでマーラーが書いたもっとも美しい音楽の一つだと思うだけに、それが初演時にはほとんど評価されなかったというのは不思議な話です。

つまりは、その当時の聞き手はマーラーに対して求めていたのは「スペクタクル」であって「メルヘン」ではなかったと言うことなのでしょう。

なお、この交響曲の初演時にはマーラーという男の本質が垣間見えるエピソードが伝わっています。
それは、彼が初演に向けたリハーサルに顔を出すとお気に入りのチェリストの姿が見えないのです。理由を尋ねると、彼の父親が亡くなったので初演には参加できないというのです。それを聞いたマーラーは「私は母親が亡くなった知らされたときでも、その日の演目だったローエングリンを最後まで指揮したものだ。それが何だ。」と吐き捨てて、極めて不機嫌な状態でリハーサルを開始したというのです。

「芸人はたとえ親が亡くなろうと病気にかかろうと先に受けた仕事は行かなくてはならない。これが掟である。」

洋の東西を問わず、この掟は絶対だったのでしょう。
そして、マーラーという人の本質はまさにその様な芸人魂によって培われたものだったのかなと思う次第なのです。

もう一つのマーラー・ルネサンス


マーラー・ルネサンスと言えば、それはもうバーンスタイン&ニューヨーク・フィルによって1960年代に行われた交響曲全集の録音と言うことになります。しかし、もう一人忘れてはいけないのがこのショルティによるマーラー録音です。
バーンスタインは1960年の第4番の録音からスタートして、1967年の第6番の録音で全集を完成させています。(ただし、「大地の歌」は別途73年にイスラエル・フィルと録音しています)

そして、ショルティもまた1961年にコンセルトへボウと第4番を録音したことを皮切りに、その後ロンドン響とシカゴ響を使って1971年に全集を完成させています。(ただし、ショルティもまたこの時は「大地の歌」は録音しないで後回しにしています。)
バーンスタインはニューヨーク・フィルという手兵を持っていましたから、その手兵を使って録音を行ったのですが、ショルティはコヴェント・ガーデン王立歌劇場の音楽監督という地位だったので、結果としてコンセルトヘボウやロンドン響を指揮しての録音と言うことになっています。
そして、1969年に、初めてシカゴ交響楽団というコンサート・オーケストラのシェフの地位に就くと残されていた6番から9番までの4曲を一気に録音して全集として完成させます。

  1. 交響曲第4番 コンセルトへボウ管弦楽団 1961年録音

  2. 交響曲第1番 ロンドン交響楽団 1964年録音

  3. 交響曲第2番 ロンドン交響楽団 1966年録音

  4. 交響曲第9番 ロンドン交響楽団 1966年録音

  5. 交響曲第3番 ロンドン交響楽団 19768年録音

  6. 交響曲第5番 シカゴ交響楽団 1970年録音

  7. 交響曲第6番 シカゴ交響楽団 1970年録音

  8. 交響曲第7番 シカゴ交響楽団 1970年録音

  9. 交響曲第8番 シカゴ交響楽団 1970年録音


まさに、バーンスタインの全集作成を追いかけるようにショルティもまたマーラーに取り組んだのでした。しかし、この一連のショルティの録音は不思議なほどに話題に上がりません。
その理由としては、シカゴ響という優れたオーケストラを手に入れることによって、60年代にコンセルトヘボウとロンドン響を使って録音した交響曲を再録音をして結局は「ショルティ指揮 シカゴ響によるマーラー全集」というセットが完成してしまったことが大きく影響したようです。

確かに、レーベル側からすれば、上の様な混成部隊による全集よりは、シカゴ響と言うスーパー・オーケストラとの全集とした方が売れ行きがいいのは決まっています。結果として、60年代のコンセルトヘボウとロンドン響の録音は日陰にまわり、市場にはシカゴ響との全集が出回ることになってしまったのです。

そして、もう一つ大きな影響を与えたのが、評論家筋からのシカゴ響との全集への根強い拒否反応です。
もっとも有名なのは、柴田南雄氏による第3番への評価でしょう。
柴田はその録音に対して「燦然たる音の輝きに幻惑されるような出来映えである」としながらも「その見事な饗宴に接して、これは、今日のマーラー理解という世界的現象のほんの一面、いわばその感覚的な表層しか代表していない」と続けるのです。そして、「レコード・ジャーナリストからは歓呼を持ってむかえられるレコードであろう。しかし同時に多くの人が、歓呼の彼方に振り切ることの出来ぬ空虚感の広がるのを実感せざるを得ないだろう」と断じるのです。

おそらく、こういう見方はマーラーだけに限らず、ショルティのあらゆる録音について回るこの国独特の見方の典型と言えるものです。
それでは、柴田はマーラーに何を求めていたのかというと、「マーラーならマーラーの交響曲の構造を通じて、それが生み出された時代が、いきいきとした姿で我々の生活の中に再構築されるのを体験したい」と述べ、その願いを叶える演奏としてテンシュテットの名前を挙げているのです。
確かに、テンシュテット大好きの私としてはその願いを否定するつもりはありませんし、まさにバーンスタインの新旧二つの全集もまた、その様な前世紀末のヨーロッパ文明との間に解決しがたい相克を抱えたマーラーの深刻な深刻な危機的状況を体験させる演奏でした。
いわゆる情念全開の、主観性に溢れた(もう少し柔らかく言えば深い共感に満ちた)マーラー演奏でした。

しかし、この柴田の指摘は、逆にマーラー演奏っていつもそうでなければいけないの、と言う素朴な疑問を呼び起こします。
そして、このショルティの60年代のマーラー演奏が情念爆発型のバーンスタインの仕事を追いかけるように為されたことを思えば、逆にそれだけがマーラー演奏の絶対的解でないことを示そうとしてるようにすら聞こえるのです。

そう、柴田も言っているように、その情念もまたマーラーも交響曲の構造を通じて表現されなければいけないのです。そして、バーンスタインのマーラー演奏を聞くとき、そのあまりに強すぎる共感故に作品の構造自体が破綻寸前、もしくは破綻しているように思われる場面に良く出くわすのです。しかし、同時にそれもまたマーラーならではの面白さとして多くの聞き手は受け入れているのです。
それに対して、ショルティは、そのマーラーの交響曲の持つ構造をこれ以上はないと言うほどの明確さで提示しているのです。その事を柴田は「複雑なスコアの音符や記号を正確に再現するのにいくら感心しても実は始まらない」と切って捨てるのですが、それは今日的視点から見れば明らかに言いすぎであったことが明らかです。

今さら言うまでもないことですが、現在では極限まで「複雑なスコアの音符や記号を正確に再現する」ことに重点をおいた演奏が主流を占めていて、その事が新しいマーラー理解につながっている事は否定しようがありません。そして、それがもたらすある種の身体的爽快感や壮大な響きへの耽溺がもたらす魅力にも抗しがたいものがあります。
そして、そう言うマーラー演奏の端緒を築いたのは間違いなくこの一連のショルティによる演奏です。
さらに付け加えれば、そう言うショルティの目指すものを見事なまでに形にしてユーザーに提供できたのはDeccaの優秀な録音陣のお手柄です。

これは有名な話なのでご存知の方も多いと思いますが、Deccaを代表するプロデューサーだったカルショーはマーラーが大嫌いでした。そして、その嫌いというのはたんなる好き嫌いというレベルをこえていて、マーラーの音楽を聞くと本当に体の調子が悪くなってきて気分が悪くなってくると言うほどの拒否反応でした。
とは言え、試しにやってみようと言うことでショルティとカルショーは第1番の録音に挑戦したのですが、やはりカルショーはとてもじゃないが最後まで体が持たないと言うことで、若手のデーヴィッド・ハーヴェイに代役を頼み、それ以降はハーヴェイによるプロデュースでショルティのマーラーは録音されることになりました。
つまりはデーヴィッド・ハーヴェイは実にいい仕事をしたのです。

そう言うわけで、このショルティによるマーラー演奏は、バーンスタインとはまた異なった形のマーラー像を提供したと言うことで、これもまたもう一つのマーラー・ルネサンスだったと評価すべきではないかと思います。
そして、もういい加減、ショルティを実際に聞かずして最初から毛嫌いするような風潮はいい加減やめにした方がいいのではないでしょうか。

それとも、例えばこれら一連の録音で金管群などは鳴らすべきところは極めて威嚇的に目一杯ならしていることが多いのですが、そう言うところがお気に召さないのでしょうか。それが、カリスマだったギュンター・ヴァントだったりすると、彼がケルン放響と録音したブルックナーの全集における金管の咆哮には何の文句も言わないのですから、不思議なものです。

私も年を重ねたのか、最近はこのショルティを含めカラヤンなど、かつてはクラシック音楽ファンならば「アンチ」であることが「ステイタス」だったような人々が残した業績をもう一度正当に見直す必要を痛感しています。

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