クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」

ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団 1967年11月5日録音





Beethoven:Symphony No.3 in E flat major, Op.55 "Eroica" [1.Allegro con brio]

Beethoven:Symphony No.3 in E flat major, Op.55 "Eroica" [2.Marcia funebre. Adagio assai]

Beethoven:Symphony No.3 in E flat major, Op.55 "Eroica" [3.Scherzo. Allegro vivace - Trio]

Beethoven:Symphony No.3 in E flat major, Op.55 "Eroica" [4.Finale. Allegro molto]


音楽史における最大の奇跡

この交響曲は「ハイリゲンシュタットの遺書」と結びつけて語られることが多いのですが、それは今回は脇においておきましょう。
その様な文学的意味づけを持ってこなくても、この作品こそはそれまでの形式にとらわれない、音の純粋な芸術性だけを追求した結果として生み出された雄大にして美しい音楽なのですから。
それゆえに、この作品は「音楽史上の奇蹟」と呼ばれるのです。

それでは、その「音楽史上の奇蹟」と呼ばれるのはどんな世界なのでしょうか?

まず一つめに数え上げられるのは主題の設定とその取り扱いです。

ベートーベン以前の作曲家がソナタ形式の音楽を書こうとすれば、まず何よりも魅力的で美しい第1主題を生み出すことに力が注がれました。
しかし、ベートーベンはそれとは全く異なる手法で、より素晴らしい音楽が書けることを発見し、実証して見せたのです。

冒頭の二つの和音に続いて第1楽章の第1主題がチェロで提示されます。

第1楽章の主題




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「運命」がたった4つの音を基本的な構成要素として成立したことと比べればまだしもメロディを感じられますが、それでもハイドンやモーツァルトの交響曲と比べればシンプルきわまりないものです。
それは、もはや「主題」という言葉を使うのが憚られるほどにシンプルであり、「構成要素」という言葉の方が相応しいものです。

しかし、そんな小難しい理屈から入るよりは、実際に音楽を聞いてみれば、このシンプルきわまりない構成要素が楽章全体を支配していることをすぐに了解できるはずです。
もちろん、これ以外にもいろいろな楽想が提示部に登場しますが、この構成要素の支配力は絶対的です。
そして、この第1主題に対抗するべき柔和な第2主題が登場してきてもその支配力は失われないのです。

ベートーベンは音楽の全てがこの構成要素から発し、そしてその一点に集中するようにな綿密な設計に基づいて交響曲を書き上げるという「革新」をなしえたのです。
そして、第5番「運命」ではたった4つの音を基本的な構成要素として巨大な交響曲全体を成立させるという神業にまで至ります。単純きわまる構成要素を執拗に反復したり、その旋律を変形・重複させたり、さらには省略することで切迫感を演出することで、交響曲の世界を成立させてしまったのです。

音楽において絶対と思われた「歌謡性」をバラバラの破片に解体し、その破片を徹底的に活用することで巨大な建築物を作り上げる手法を編み出してしまったのです。
しかしながら、これが「奇蹟」の正体ではありません。それは正確に言えば「奇蹟」を実現するための「手段」でした。

二つめに指摘しなければいけないのは、「デュナーミクの拡大」です。
もちろん、ハイドンやモーツァルトの交響曲においても「デュナーミク」は存在しています。

「デュナーミク」とは日本語にすると「強弱」と言うことになるのですが、つまりは強弱の変化によって音楽に表情をつける事を意味します。通常はフォルテやピアノと言った指示やクレッシェンド、ディミヌエンドなどの記号によって指示されるものです。
ベートーベンはこの「デュナーミク」の幅を飛躍的に拡大してみせたのです。

主題が歌謡性に頼っていれば、そこで可能なデュナーミクはクレッシェンドかディミヌエンドくらいです。音量はなだらかに増減するしかなく、そこに急激な変化を導入すれば主題の形は壊れてしまいます。
しかし、ベートーベンはその様な歌謡性を捨てて構成要素だけで音楽を構成することによって、未だ考えられなかったほどにデュナーミクを拡大してみせたのです。
そして、それこそが「奇蹟」の正体でした。

構成要素が執拗に反復、変形される過程で次々と楽器を追加していき、その頂点で未だかつて聞いたことがないような巨大なクライマックスを作りあげることも可能となりました。
延々とピアニッシモを維持し続けた頂点で突然のようにフォルティッシモに駆け上がることも可能です。
さら言えば、その過程で短調から長調への転調も可能なのです。

結果として、ハイドンやモーツァルトの時代には考えられないような、未だかつてない大きさをもった音楽が聴衆の前に現れたのです。そして、その「大きさ」を実現しているのが「デュナーミクの拡大」だったのです。

とは言え、この突然の変貌に対して当時の人は驚きを感じつつも、その強烈なインパクトに対してどのように対応して良いものか戸惑いはあったようです。
当時の聴衆にとってこれは異形の怪物ととも言うべき音楽であり、第1、第2というすばらしい「傑作」を書き上げたベートーベンが、どうして急にこんな「へんてこりんな音楽」を書いたのかと訝ったという話も伝わっています。

しかし、この音楽が聞くもののエモーショナルな側面に強烈に働きかける事は明らかであり、最初は戸惑いながら、やがてはその感情に素直となってブラボーをおくることになったのです。

しかしながら、交響曲は複数の楽章からなる管弦楽曲ですから、この巨大な第1楽章受けて後の楽章をどうするのかという問題が残ります。
ベートーベンはこの「エロイカ」においては、巨大な第1楽章に対抗するために第2楽章もまた巨大な葬送行進曲が配置することになります。

第2楽章の主題




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ベートーベンは、このあまりにも有名な葬送のテーマでしっかりと第1楽章を受け止めます。

しかし、ここで問題が起こります。
果たして、この2つの楽章を受けて続く第3楽章は従前通りの軽いメヌエットでよいのか・・・と言う問題です。

答えはどう考えても「否」です。

そこで、ベートーベンは第2番の交響曲に続いて、ここでも当然のようにスケルツォを採用することになります。
つまりは、優雅さではなくて諧謔、シニカルな皮肉によって受け止めざるを得なかったのです。

ベートーベンはこの「スケルツォ」という形式を初期のピアノソナタから使用しています。しかしながら、その実態は伝統的なメヌエット形式を抜け出すものではありませんでした。
そこでの試行錯誤の結果として、彼は第2番の交響曲でついにメヌエットの殻を打ち破る「スケルツォ」を生み出すのですが、その一つの完成形がここに登場するのです。

そして、これら全ての3つの楽章を引き受けてまとめを付けるのが巨大な変奏曲形式の第4楽章です。
ベートーベンはこの主題がよほどお気に入りだったようで、「プロメテウスの創造物」のフィナーレやピアノ用の変奏曲などでも使用しています。

第4楽章の主題




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しかしながら、交響曲という形式は常に、この最終楽章をどのようにしてけりをつけるのかという事が悩ましい問題として残ることになります。

ありとあらゆる新しい試みと挑戦が第1楽章で為され、それを引き受けるために第2楽章は緩徐楽章で、第3楽章はスケルツォでという「スタイル」が出来上がっても、それらすべてを引き受けて「けり」をつける最終楽章はどうすべきかという「形式上の問題」は残り続けるのです。
ベートーベンはここでは「変奏曲形式」を用いることでこの「音楽史上の奇蹟」を見事に締めくくってみせたのですが、それは必ずしも常に使える手段ではありませんでした。

しかしながら、この「エロイカ」の登場によって、「交響曲」という音楽形式はコンサートの前座を務める軽い音楽からクラシック音楽の王道へと変身を遂げた事は事実です。
そして、それはまさに「これからは新しい道を進もうと思う」と述べた若きベートーベンの言葉が、一つの到達点となって結実した作品でもあったのです。

音楽とは不思議なものだ


セルとクリーブランド管によるエロイカと言えば嫌でも57年のスタジオ録音を思い出してしまいます。
私にとって、エロイカとのファースト・コンタクトはカラヤン&ベルリン・フィルによる1962年の録音でした。あの颯爽としたテンポで駆け抜ける演奏を聞いてエロイカとはそう言う音楽だと思ったのです。すかし、そのすぐ後にセル&クリーブランド感という聞いたこともない(^^;組み合わせのレコードを買い込んでしまいました。理由は、当時としては1300円という廉価盤だったがゆえです。

その時の驚きは今も鮮明に残っています。
最初はこれは何だ!!と言う驚き、そして何度も聞き返すうちに、カラヤンによる颯爽とした快速テンポの演奏とは全く違うエロイカがこの世に存在すると言うことを教えてくれました。
そして、不幸なことに、その後は誰の指揮によるエロイカを聞いても全て「緩く」感じてしまうようになったのです。

もちろん、フルトヴェングラーによる「ウラニアのエロイカ」などはそれはそれなりに面白いとは思いましたが、それはもう私にとっては全く異なる惑星の上で演奏されるエロイカであり、私の中でのエロイカのスタンダードは何処までいってもセル&クリーブランド感による57年盤であり続けました。
後になって振り返ってみれば、50年代後半はセルとクリーブランド管が極度の緊張感を持って相対していた時期であり、セルはその狂気とも言うべき完璧さへの追求のために容赦なくオケを締め上げていた時期の録音でした。それ故に、その演奏は高い完成度だけでなく、異常なまでの緊張感をはらんだエロイカになっていて、それがまさにベートーベンが求めたであろうエロイカの姿だと確信していたのです。

そして、ここで紹介しているエロイカはその歴史的と言ってもいい1957年の録音から10年後の定期演奏会におけるライブ録音です。
聞いてみてすぐに分かるのは、演奏全体に漂う余裕です。しかし、余裕を持って演奏しているからと言ってアンサンブルの完璧さがなおざりになっているわけではありません。おそらく、1957年のクリーブランド管には一発勝負のライブでこれだけの完成度の高い演奏は出来なかったはずです。おそらく、60年代に入るころからクリーブランド管はセルの鬼のような要求に対して十分に応えられるようになり、さらにはセルもその様なオーケストラの技量に全幅の信頼を置いて余裕を持って接するようになっていきました。

そして、そう言うクリーブランド管の驚くべき合奏能力が頂点に達したのが60年代後半でしょう。
この時代のクリーブランド管は余裕を持ってセルの要求に応えることが出来るので、セルもまたその完成度にゆったりと寄りかかっています。もちろん、だからといって要求水準を落としているわけではないのですが、大阪流に言えば「お互いが必死のパッチ」で事に臨まなくてもやるべき事がやれてしまえるようになってしまったのです。

確かに、全体のテンポ設定は57年のスタジオ録音と較べるとややゆったりとしたものになっているので、そう言う余裕感がより強く感じられます。
ただし、音楽というものは不思議なもので、例えば、難しいことに必死に挑戦しているアマ・オケの演奏が、その難しいことを余裕でこなしているプロ・オケの演奏よりも聞き手を感動させてしまうことは良くあることです。

贅沢と言えば贅沢な話なのですが、それが音楽というものが持っている魅力なのかもしれません。それ故に、やはり私にとってのエロイカは永遠に彼らの57年盤であることには変わりはないようです。

よせられたコメント

2020-11-01:コタロー


2020-11-06:浅野修


2021-07-14:浅野修


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