モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第34番 変ロ長調 K.378(317b)
(Vn)ヤッシャ・ハイフェッツ:(P)ブルックス・スミス 1954年12月8&9日録音
Mozart:Sonata in B-flat for Keyboard and Violin, K.378/317d [1.Allegro moderato]
Mozart:Sonata in B-flat for Keyboard and Violin, K.378/317d [2.Andantino sostenuto e cantabile]
Mozart:Sonata in B-flat for Keyboard and Violin, K.378/317d [3.Rondo. Allegro]
ザルツブルグからウィーンへ:K376~K380「アウエルンハンマー・ソナタ」
モーツァルトはこの5曲と、マンハイムの美しい少女のために捧げたK296をセットにして作品番号2として出版しています。しかし、成立事情は微妙に異なります。
まず、K296に関してはすでに述べたように、マンハイムで作曲されたものです。
次に、K376~K380の中で、K378だけはザルツブルグで作曲されたと思われます。この作品は、就職活動も実らず、さらにパリで母も失うという傷心の中で帰郷したあとに作曲されました。しかし、この作品にその様な傷心の影はみじんもありません。それよりも、青年モーツァルトの伸びやかな心がそのまま音楽になったような雰囲気が作品全体をおおっています。
そして、残りの4曲が、ザルツブルグと訣別し、ウィーンで独立した音楽家としてやっていこうと決意したモーツァルトが、作品の出版で一儲けをねらって作曲されたものです。
ただし、ここで注意が必要なのは、モーツァルトという人はそれ以後の「芸術的音楽家」とは違って、生活のために音楽を書いていたと言うことです。彼は、「永遠」のためにではなく「生活」のために音楽を書いたのです。
「生活」のために音楽を書くのは卑しく、「永遠」のために音楽を書くことこそが「芸術家」に求められるようになるのはロマン派以降でしょう。ですから、一儲けのために作品を書くというのは、決して卑しいことでもなければ、ましてやそれによって作り出される作品の「価値」とは何の関係もないことなのです。
実際、ウィーンにおいて一儲けをねらって作曲されたこの4曲のヴァイオリンソナタは、モーツァルトのこのジャンルの作品の中では重要な位置を占めています。特に、K379のト長調ソナタの冒頭のアダージョや第2楽章の変奏曲(アインシュタインは「やや市民的で気楽すぎる変奏曲」と言っていますが・・・^^;)は一度聴いたら絶対に忘れられない魅力にあふれています。また、K377の第2楽章の変奏曲も深い感情に彩られて忘れられません。
ここでは、ヴィオリンとピアノは主従を入れ替えて交替で楽想を分担するだけでなく、二つの楽器はより親密に対話をかわすようになってます。これら4曲は、マンハイムのソナタよりは一歩先へと前進していることは明らかです。
ヴァイオリンソナタ第34番 変ロ長調 K.378(317b)
- 第1楽章:Allegro moderato
- 第2楽章:Andante sostenuto e cantabile
- 第3楽章:Rondeau(Allegro)
驚くほどに硬質で透明なモーツァルト像
ハイフェッツの手になるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタというのはそれほど多くはないと思うので、興味を持って聞いてみました。そして、おそらくハイフェッツがモーツァルトのソナタを演奏すればこうなるだろうなという予想を上回るほどに「硬派のモーツァルト像」が描き出されていました。
ハイフェッツという人は大向こうに見栄が切れるようなコンチェルトで観客を圧倒する人というイメージが強いのですが、意外なほどに室内楽の演奏にも積極的に取り組んでいます。当初はルービンシュタインやフォイアマン等と組んだ「100万ドルトリオ」などと言う派手な演出のもとでの取り組みだったのですが、50年代にはいると自分の音楽性と波長が合う人を集めて演奏することが多くなっていきました。
ですから、その演奏たるや凄まじいもので、まさに「寄らば切るぞ!」とでも言うような気迫に満ちた音楽を次々と聞かせてくれるようになっていきました。
おかげで、聞き手にしてみれば気楽な気持ちでおいそれとは聞けるような代物ではなくて、まさにある種の「覚悟」が求められるような音楽になっていました。
しかし、さすがにモーツァルトのソナタならばそこまでのことはないだろうと思っていたのですが、いやはや、これもまた驚くほどに硬質で透明なモーツァルト像を描き出してくれていたのです。
それは例えてみるならば、ハイフェッツのヴァイオリンという鋭利な刃物が水晶の結晶を削りだしていくような風情です。
しかし、考えてみれば、この演奏が録音された1954年という年は、モーツァルト演奏の転換点に位置した時代でした。
それは、子供向けの可愛らしい音楽を書いた人というイメージから、天才モーツァルトという認識に切り替わる時期だったのです。言うまでもなく、その背景には1956年のモーツァルトの生誕200年を記念してのプロジェクトがあったことは言うまでもありません。
そして、そのプロジェクトは一部の人にしか知られていなかったモーツァルトの偉大さを誰の目にも明らかにしたのです。
それ故に、20世紀最大の発見の一つは「モーツァルト」だと言われる所以となるのです。
そう言えば、この時期にギーゼキングが今までの常識を覆すようなピアノ・ソナタの全曲録音を行っています。
そこで彼が挑んだのは、今までに積もり積もったほこりを全てきれいに洗い流して、その底から表れだしたスコアの姿を徹底的に分析して、その成果を聞き手に何も足さず何も引くことなく伝えることでした。それだけに、贅沢に慣れた今の耳からすればもう少し愛想があってもいいのになどと思ってしまうのですが、おそらく、それと全く同じ事がこのハイフェッツの演奏にもあてはまるのでしょう。
いや、それ以上にハイフェッツという人は音楽に「遊び」の要素を入れることを徹底的に嫌い、常にスコアと向き合ってその本質に迫ることを本性としていた音楽家でした。
ですから、この時代にあってモーツァルトを取り上げれば、こういう音楽になることは当然と言えば当然だったのです。
それ故に、この演奏を聞いて、もう少し華やぎというか、色気みたいなものがあっても良いのではないかという人がいても当然なのですが、ほこりにまみれたモーツァルトの姿を救い出すためには、一度はここまできれいにそのほこりを洗い流す必要があったと言うことでしょう。
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