チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35
(Vn)イダ・ヘンデル:ユージン・グーセンス指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1953年10月26日録音
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [1.Allegro moderato - Moderato assai]
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [2.Canzonetta. Andante]
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [3.Finale. Allegro vivacissimo]
これほどまでに恵まれない環境でこの世に出た作品はそうあるものではありません。
まず生み出されたきっかけは「不幸な結婚」の破綻でした。
これは有名な話のなので詳しくは述べませんが、その精神的なダメージから立ち直るためにスイスにきていたときにこの作品は創作されました。
チャイコフスキーはヴァイオリンという楽器にそれほど詳しくなかったために、作曲の課程ではコテックというヴァイオリン奏者の助言を得ながら進められました。
そしてようやくに完成した作品は、当時の高名なヴァイオリニストだったレオポルド・アウアーに献呈をされるのですが、スコアを見たアウアーは「演奏不能」として突き返してしまいます。
ピアノ協奏曲もそうだったですが、どうもチャイコフスキーの協奏曲は当時の巨匠たちに「演奏不能」だと言ってよく突き返されます。
このアウアーによる仕打ちはチャイコフスキーにはかなりこたえたようで、作品はその後何年もお蔵入りすることになります。そして1881年の12月、親友であるアドルフ・ブロドスキーによってようやくにして初演が行われます。
しかし、ブドロスキーのテクニックにも大きな問題があったためにその初演は大失敗に終わり、チャイコフスキーは再び失意のどん底にたたき落とされます。
やはり、アウアーが演奏不能と評したように、この作品を完璧に演奏するのは当時の演奏家にとってはかなり困難だったようです。
しかし、この作品の素晴らしさを確信していたブロドスキーは初演の失敗にもめげることなく、あちこちの演奏会でこの作品を取り上げていきます。やがて、その努力が実って次第にこの作品の真価が広く認められるようになり、ついにはアウアー自身もこの作品を取り上げるようになっていきました。
めでたし、めでたし、と言うのがこの作品の出生物語と世に出るまでのよく知られたエピソードです。
しかし、やはり演奏する上ではいくつかの問題があったようで、アウアーはこの作品を取り上げるに際して、いくつかの点でスコアに手を加えています。
そして、原典尊重が金科玉条にようにもてはやされる今日のコンサートにおいても、なぜかアウアーによって手直しをされたものが用いられています。
つまり、アウアーが「演奏不能」と評したのも根拠のない話ではなかったようです。
ただ、上記のエピソードばかりが有名になって、アウアーが一人悪者扱いをされているようなので、それはちょっと気の毒かな?と思ったりもします。
ただし、最近はなんと言っても原典尊重の時代ですから、アウアーの版ではなく、オリジナルを使う人もポチポチと現れているようです。
でも、数は少ないです。クレーメルぐらいかな?
<追記:2018年2月>
アウアーのカットと原典版の違いが一番よく分かるのは第3楽章の繰り返しだそうです。(69小節~80小節・259小節~270小節・476小節~487小節の3カ所だそうな・・・)
それ以外にも第1楽章で管弦楽の部分をカットしていたりするのですが、演奏技術上の問題からのカットではないようなので、そのカットは「演奏不能」と評したアウアーを擁護するものではないようです。
ちなみにノーカットの演奏を録音したのはクレーメルが最初のようで、1979年のことでした。
ただし、それを「原典版」と言うのは少し違うようです。
なぜならば、通常の出版譜でもカッとされる部分がカットされているわけではなくて、「カット可能」と記されているだけだからです。
そして、その「カット」は作曲家であるチャイコフスキーも公認していたものなので、どちらを選ぶかは演奏家にゆだねられているというのが「捉え方」としては正しいようなのです。それ故に、79年にクレーメルがノーカット版で録音しても、それに追随するヴァイオリニストはほとんどあらわれなかったのです。
ある人に言わせれば、LP盤の時代にこのノーカット版を聞いた人は「針が跳んだのかと思った」そうです。(^^;
ただし、最近になって、本家本元(?)のチャイコフスキーコンクールではノーカットの演奏を推奨しているそうですから、今後はこのノーカット版による演奏が増えていくのかもしれません。
実に落ち着き払った自然体の演奏
先日、何気なくテレビをつけてみると、ビショコフ指揮のチェコフィルと樫本大進のヴァイオリンによるチャイコフスキーの協奏曲を放送していました。残念ながら、曲の頭からではなく途中から聞くことになってしまったのですが、それでも最終楽章でのキレキレの樫本大進のヴァイオリンはなかなかに聞き物でした。
この作品は完成したときにレオポルド・アウアーに献呈をされるのですが、スコアを見たアウアーが「演奏不能」と突き返したというエピソードも納得できるような演奏でした。(^^;
そして、それを支えるチェコフィルが実にふくよかな響きで包み込んでいて、それが何ともいえないコントラストを描き出すことになっていて興味深い演奏でした。
何故、こんな事を書き出したとのかというと、この演奏を聞く少し前にイダ・ヘンデルによる同曲の53年録音を聞いていたからです。
そして、半世紀以上も経てしまうと、ヴァイオリンという同じ楽器であってもこれほどまでに扱いが変わってしまうのかと感心させられたからです。
イダ・ヘンデルというヴァイオリニストは結構謎に包まれた存在です。
まず、本人が明言しないし、さらには年齢を明らかに偽っていた時期もあったので、生年月日がはっきりしないのです。1923年と1928年という二つの説があるのですが、1928年だとするとこの録音は25歳の時と言うことになりますし、1923年だとすると30歳の時の演奏になります。
ただし、本人はその後のインタビューで「私が人前で最初にブラームスを弾いたのは、9歳の時。1938年9月、プロムス(Proms)のコンサートで、ヘンリー・ウッド指揮BBC交響楽団と共演した時でした。こんな子供にブラームスが理解できるわけがないと誰もが思ったことでしょう。」と述べていて、その時自分は9歳だったと述べています。
そして、この時の指揮者ヘンリー・ウッドも「彼女があの協奏曲を見事な響きと情感で弾きこなすのを聴いていると、まるで私の横で旧友イザイその人が演奏しているのではないかと思ったほどだ。」と述べているのです。
これは1928年生まれを前提とした話であり、果たして9歳の子供がプロムスのような大舞台でかくも見事にブラームスの協奏曲が弾けるものかと疑問に思ってしまうのですが、例え、年齢を5歳偽っていたとしても14歳なのですから、恐るべき早熟の天才であったことは間違いありません。
そして、彼女の演奏の特徴はこのインタビューの中で語った言葉によくあらわれています。
「私は純粋に本能のままに弾きました。ブラームスを弾くのに必要なものは、持って生まれたこの本能です。」
そして、年齢を重ねてもう一度スコアを研究するようになっても、本質的な部分に間違いはなかったと語っているのです。
彼女の演奏からは、若い頃から何ともいえない落ち着きを感じます。
このチェイコフスキーを録音したのが25歳であろうと、30歳であろうと、実に落ち着き払った自然体の演奏です。それは決して派手なパフォーマンスをひけらかすような世界とは遠く離れた位置にある演奏でありながら、彼女ならではの優雅さがすみずみにまで行き渡っています。
そして、ふと気づけば、彼女の録音を一枚も取り上げていないことに気づいたのです。
思わぬところに大穴が開いていたものだと自戒するコトしきりです。
よせられたコメント
2019-12-21:joshua
- 落ち着いている、という解説を読んで、50年代、つまりヘンデル20台のメンデルスゾーンやブラームスも聴いてみました。
ハイフェッツのような上手さとは別の上手さ。必死にならない音程正確、まるで、something greatが彼女をして弾かせてるかのよう
余裕ともまた別聞きやすいのも事実だけど、これしかない、とまでは思えないのも事実。
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