ベートーベン:ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO.38(第9番)
ボザール・トリオ 1964年録音
Beethoven:Piano Trio [No.9] WoO 39, in E-flat major [1.Allegro moderato]
Beethoven:Piano Trio [No.9] WoO 39, in E-flat major [2.Scherzo: Allegro ma non troppo]
Beethoven:Piano Trio [No.9] WoO 39, in E-flat major [3.Rondo: Allegretto]
ピアノ三重奏曲の落ち穂拾い
ベートーベンのピアノ三重奏曲は一般的には全7曲となっています。それは最後の第7番の「大公」が勇壮なる打ち上げ花火のように夜空を彩り、その後には幽かな余韻しか残さずに彼がこのジャンルから去ってしまったからです。
ところがボザール・トリオによる「全集」には第8番から第11番までの4曲が追加されています。
- ピアノ三重奏曲第8番 変ロ長調 WoO.39
- ピアノ三重奏曲第9番 変ホ長調 WoO.38
- ピアノ三重奏曲第10番 変ホ長調 Op.44
- ピアノ三重奏曲第11番 ト長調op.121a「カカドゥ変奏曲」
この中で「カカドゥ変奏曲」はすでに紹介をしています。この作品は当時のウィーンでとても人気のあった「私は仕立屋カカドゥです(歌劇「プラハの姉妹」より)」という歌から主題をとった変奏曲形式ですから、いわゆる一般的なピアノ三重奏曲とは雰囲気が全く異なります。
同じ事は作品番号44にもいえて、これはベートーベン自身の創作主題に基づく14の変奏曲から成り立っています。こちらは、「カカドゥ変奏曲」と較べてみれば演奏される機会も録音される機会もはるかに少ないのですが、一つ一つの変奏の特徴が明瞭で分かりやすく、明暗の対比も鮮やかなので聞いていて楽しい作品であることは間違いありません。
その意味ではもう少し取り上げられてもいいのかもしれません。
ただし、これらの2作品に10番と11番というナンバリングを与えるのがどれほど一般化しているのかは疑問です。
それから同じように8番と9番というナンバリングが与えられている2作品は「大公トリオ」の後に書かれたのではなくても、両方ともにボン時代の習作にあたる作品です。
ベートーベンがいつから本格的に作曲をはじめたのかは明確にはよく分かっていないのですが、少なくとも12歳になった1782年にはヨハン・ゴットリーブ・ネーフェのもとで本格的に作曲を学びはじめたことは間違いないようです。第9番とナンバリングされている「WoO.38」のピアノ三重奏曲は、師であるネーフェが16歳のベートーベンに与えた課題に応えて創作したものだと思われます。
そして、聞いてみればすぐに分かることですが、いかに「習作」といえども十分に聞くに値する音楽に仕上がっているのは「さすがはベートーベン!」と言いたくなります。
さらに第8番とナンバリングされている「WoO.39」は単一楽章から作品であり、おそらくはベートーベンがウィーンに進出する直前の頃に書かれたものかと思われています。
これは聞いてみれば分かるように、ピアノ三重奏曲と言うよりは弦楽伴奏付きのピアノ作品と言った方がいいような雰囲気の音楽になっています。この作品は世話になっていたブレンターノ家の10歳の少女のために書いた小品であることが分かっています。
おそらくはピアノを習っていた可憐な少女が演奏できるようにも配慮されているのでしょう。音楽もまた、そんな可憐な10歳の少女を思わせるような雰囲気が漂っているので、アンコール・ピースとして演奏するには十分に魅力的な作品だといえます。
なお、こういうマイナー作品を取り上げると、「そんな下らぬ作品を取り上げるのはやめてくれ!」と言うメールをよくいただきます。(^^;
しかし、こういうマイナー作品を聞く機会は演奏会でも、録音においてもそれほど多くないのですから、こういうサイトで取り上げて自由に聞いてもらえるようにする事には十分な意義はあるかと考えています。
そのあたりは度量を広く持っていただければ幸いです。
一つの公理系と言える演奏
ボザール・トリオはピアノのメナヘム・プレスラーが中心となって1955年に結成されました。設立当初のメンバーはヴァイオリンにダニエル・ギレ、チェロにバーナード・グリーンハウスでした。その後、ヴァイオリンはイシドア・コーエン(1968年~)、イダ・カヴァフィアン(1992年~)、ユンウク・キム(1998年~)、ダニエル・ホープ(2002年~)と交代し、チェロに関してもピーター・ワイリー(1987年~)、アントニオ・メネセス(1998年~)と入れ替わっています。
つまりは、非常に珍しい「常設のピアノ・トリオ」と呼ばれる「ボザール・トリオ」の実態は、ピアニストであるメナヘム・プレスラーの努力によって維持されてきた団体だと言えるのです。
しかし、このトリオにはどこか「風当たり」が強い様な雰囲気を私は感じます。
それは、このメナヘム・プレスラーというピアニストがソロ活動は一切行わずに、このピアノ・トリオの活動に全力を傾注してきたことに原因があったのかもしれません。
下世話な話ですが、貧しい若者が結婚するときに昔は「一人口では食えなくても、二人口なら食える」と言ったものです。一人の稼ぎでは食っていけなくても、貧しい二人が寄り添って家庭を築けば何とか食っていけるという現実を表した言葉なのですが、ボザール・トリオもまた、「ソロでは食ってはいけなくても、室内楽の団体なら食っていける」みたいな見方がされていたのかもしれません。
それに、ピアノ・トリオというジャンルはただでさえクラシック音楽の「裏街道」である室内楽の世界においても、さらに「裏街道」の世界です。そう言う「裏街道」の世界で唯一「エリート的な立場」にいるのが「賢者の対話」と呼ばれることもある弦楽四重奏曲の世界なので、「弦楽四重奏団」はそれなりに「尊敬」はうけるのですが、裏街道のさらに裏を行く「ピアノ・トリオ」となるとどこか見る目もよそよそしくなります。
さらに言えば、そんな裏街道でも時々素敵な花が咲いているときがあります。
ところが、そんな花(例えば「大公トリオ」)が咲いていると、急にカザルスやハイフェッツみたいな連中がやってきて摘んでいってしまうのです。
今さら、ボザール・トリオがそんな花を摘んでいっても誰も見向きもしてくれないので、仕方なくそんな裏街道に咲く雑草みたいな地味な花(失礼^^;)をせっせと摘んでくるしかないのです。
そんな労多くして報われることの少ない仕事をプレスラーは半世紀以上も続けてきたのですが、ついに2008年9月6日のルツェルン音楽祭でのコンサートをもってこのトリオを解散します。この時プレスラーは既に80才を超えていたのですから(1923年生まれ)、これで彼も長い芸歴にピリオドを打って引退かと思ったのですが、何とその後、彼はソロ活動を解禁するのです。
そして、ベルリンフィルやコンセルトヘボウ、パリ管などとも共演をするようになり、現在も活動を続けているようです。亡くなったという情報は聞いていないのですが、2015年の来日公演は健康上の理由できゃんせるになったようですから、もしかしたら第一線からは引退したのかもしれません。
彼は、あるインタビューの中で次のように語っていました。
「ピアノ協奏曲を弾く際、ピアニストは技巧を披瀝して、賞賛を勝ち得たいと思うものです。」
「私だって、他の人と同じでした。他の誰よりも綺麗で大きな音を出し、早いパッセージを華麗に弾きたいと思ったのです。」
「しかし私は、トリオに加わることになりました。そこで音楽そのものに奉仕することを学んだのです。」
なるほど、「音楽に奉仕」することを学ばなければ、こんなにも報われることの少ない仕事を半世紀も続けられるはずはありません。
確かに、「大公トリオ」のような作品ならば、3つの楽器が独奏楽器であるかのように演奏しても様になります。しかし、ほとんどのピアノ・トリオは「バランス」こそが大切です。とりわけ、ピアノはその気になればいとも容易く他の楽器を圧倒することができるのですから、ピアニストには音楽に献身する心構えがなければその「バランス」を維持することはできません。
そして、その様な「バランス」はにわか仕立てのソリストの寄せ集めでは、お互いの「我」が出過ぎて実現不可能です。
ピアノ・トリオという音楽ジャンルのあるべき姿をあるべき様に演奏するには、どうしてもこのような長きにわたって活動を続ける団体が不可欠なのです。
その意味では、一つ一つ取り上げれば物足りなく思える部分があったとしても、このトリオによるベートーベンのトリオ・ソナタはその様な良し悪しの判断や評価を超えたところに存在する一つの公理系と言える演奏かもしれません。
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