クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58

(P)エミール・ギレリス:レオポルト・ルートヴィヒ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1957年4月30日~5月1日録音





Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58 [1.Allegro moderato]

Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58 [2.Andante con moto]

Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58 [3.Rondo. Vivace]


新しい世界への開拓

1805年に第3番の協奏曲を完成させたベートーベンは、このパセティックな作品とは全く異なる明るくて幸福感に満ちた新しい第4番の協奏曲を書き始めます。そして、翌年の7月に一応の完成を見たものの多少の手なしが必要だったようで、最終的にはその年の暮れ頃に完成しただろうと言われています。

この作品はピアノソナタの作曲家と交響曲の作曲家が融合した作品だと言われ、特にこの時期のベートーベンのを特徴づける新しい世界への開拓精神があふれた作品だと言われてきました。
それは、第1楽章の冒頭においてピアノが第1主題を奏して音楽が始まるとか、第2楽章がフェルマータで終了してそのまま第3楽章に切れ目なく流れていくとか、そう言う形式的な面だけではなりません。もちろんそれも重要な要因ですが、それよりも重要なことは作品全体に漂う即興性と幻想的な性格にこそベートーベンの新しいチャレンジがあります。

その意味で、この作品に呼応するのが交響曲の第4番でしょう。
壮大で構築的な「エロイカ」を書いたベートーベンが次にチャレンジした第4番はガラリとその性格を変えて、何よりもファンタジックなものを交響曲という形式に持ち込もうとしました。それと同じ方向性がこの協奏曲の中にも流れています。
パセティックでアパショナータなベートーベンは姿を潜め、ロマンティックでファンタジックなベートーベンが姿をあらわしているのです。

とりわけ、第2楽章で聞くことの出来る「歌」の素晴らしさは、その様なベートーベンの新生面をはっきりと示しています。
「復讐の女神たちをやわらげるオルフェウス」とリストは語りましたし、ショパンのプレリュードにまでこの楽章の影響が及んでいることを指摘する人もいます。
そして、これを持ってベートーベンのピアノ協奏曲の最高傑作とする人もいます。私も個人的には第5番の協奏曲よりもこちらの方を高く評価しています。(そんなことはどうでもいい!と言われそうですが・・・)

一人の演奏家の変化を辿るというのも「また面白からずや」


ギレリスのベートーベンのピアノ協奏曲と言えば、1968年にジョージ・セル&クリーブランド管と録音したものが思い出されます。録音クレジットを眺めていると、その全集は1968年4月29日から5月4日の間に一気に録音されたことが分かります。
セルの録音の仕方は常に同じで、一つの楽章を切れ目なく2度演奏し、それだけでは不都合だと感じた部分があればピンポイントで録音を仕直すというものでした。間違っても、音楽を細切れに録音して、そのパーツを後から継ぎ接ぎするというようなやり方は「忌まわしい行為」として断固拒否していました。
ですから、このギレリスとの録音でも4月29日から5月4日までの6日間をフルに使うのではなく、わずか4回のセッションで仕上げたものでした。
結果として、長い時間をかけて完成される全集とは異なって統一感のある演奏となり、さらには完璧に演奏されたライブのような音楽が実現したのです。

ただし、残念ながら、この全集録音はパブリック・ドメインになる寸前に私たちの手からスルリとこぼれ落ちてしまいました。
そこで、私たちがパブリック・ドメインとして享受できるギレリスの録音は以下のような、いささか中途半端なものです。録音順に並べると以下のようになります。


  1. ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37:アンドレ・クリュイタンス指揮 パリ音楽院管弦楽団 1954年3月9日~10日録音

  2. ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58:レオポルト・ルートヴィヒ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1957年4月30日~5月1日録音

  3. ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」:レオポルト・ルートヴィヒ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1957年4月30日~5月1日録音

  4. ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品19:アンドレ・ヴァンデルノート指揮 パリ音楽院管弦楽団 1957年6月1日~2日録音

  5. ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 作品15:アンドレ・ヴァンデルノート指揮 パリ音楽院管弦楽団 1957年6月19日~20日録音



これ以外にも、ザンデルリンク&レニングラード・フィルとのコンビで全集録音があるようなのですがライブ録音をまとめたものらしいので、取りあえずは除外しておいていいでしょう。
それにしても、何とも言えず中途半端な録音です。

おそらく、クリュイタンスと第3番を録音したときはそれが全集になる事は意識していなかったでしょう。
とにかくは、鉄のカーテンの向こうから登場した凄腕のピアニストの演奏を「売れ筋」の作品で録音したかったのでしょう。聞くところによると、ギレリスはソ連の演奏家として、西側での演奏と録音が許された一番最初の人だったそうです。
しかしながら、1957年の4月と6月に残りの4曲を一気に録音したときには間違いなく「全集」として完成させることが目的だったはずです。にもかかわらず、4月に4番と5番をレオポルト・ルートヴィヒ&フィルハーモニア管弦楽団で録音し、6月に1番と2番をヴァンデルノート&パリ音楽院管弦楽団で録音したというのは解しかねる話です。

68年にセルとのコンビで録音した全集が強い統一感のもとに作られたものだとすれば、このEMIによる録音にはなんの統一感も感じられない代物です。
好意的に想像をめぐらせれば、ギレリスの日程を抑えることが出来たときには使える指揮者とオケが限られていたと言うことも考えられます。
そう言えば、グールドの全集も随分と統一感のない組み合わせになってしまっているのですが、あれはグールド自身が指揮者とトラブルを起こしてしまった結果でした。ギレリスという人はその様なグールド的な生き方とは全く縁のない人でしたから、この統一感のなさは全てレーベル側の責任と言うことになります。
しかしながら、セルとの優れた全集があるのだから、今さらこのような統一感に欠ける古い全集なんて意味がないかというと、それもまた、そうとは言いきれない面もあるのです。

何故ならば、その様な統一感に欠けるという背景は必ずしも全てがマイナスとはならないからです。
どういう事かと言えば、セルとの録音ではあの恐い指揮者の影響をもろに受けざるを得なかったのに対して、こちらの方では手堅く伴奏をつける事に徹した指揮者なので、ギレリス自身はかなりやりたいように演奏できたというメリットがあったようなのです。
そして、ギレリスと言えば常に「豪腕」とか「鉄腕」などと言う形容詞がつくのですが、そう言う形容詞がつく根拠となったのがこの時期の録音だったのかな気づかされるのです。

セルとの録音では極めて精緻で、とりわけ弱音部の繊細さを大切にした演奏だったので、これの何処が「豪腕」なんだ、何処に耳がついているんだ、などと思ってしまったものでした。
それと比べれば、ここでのギレリスははるかに硬くて、さらにはオケもまた硬いのです。とりわけ、レオポルト・ルートヴィヒとフィルハーモニア管はかなり硬いのです。ですから、第5番のアダージョ楽章のような幻想性に溢れた音楽にあっても、硬く引き締まった表情を失うことはないのです。
ただし、そう書くとヴァンデルノートは緩いように聞こえるのですが、フィルハーモニア管とコンセルヴァトワールのオケとの違いを考慮に入れれば、指揮者に全ての責任を押しつけるのはいささか気の毒かも知れません。とは言え、54年に録音した3番では、同じオケを使ってクリュイタンスはもっと引き締まった音楽を作り出していますから、ヴァンデルノートがクリュイタンスの後継者と目されながら結局は後継者にはなり得なかった一端が窺えたりもします。

ギレリスのピアノは低音も分厚く響き、フォルテの部分でも完璧に鳴りきっていますから、まさに「豪腕」「鉄腕」という形容詞を奉っても何の不都合もありません。
ですから、いささか中途半端なやり方で録音された全集ではあるのですが、この古い全集とセルとの新しい全集という2点を結んでみれば、40代を中心とした10年間の間でギレリスがどのように変貌していったかが手に取るように分かるのです。
何が名演かという「一番探し」もそれなりに意味はあるのでしょうが、このようにして一人の演奏家の変化を辿るというのも「また面白からずや」なのです。

それから、いささか余談になりますが、3番以外は全てステレオ録音なのですが、「ステレオ」という新しい技術に乗り遅れた「EMI」がようやくその技術に取り組み始めたばかりのころなので、その内実は「辛うじて左右に広がっている」事が確認できるレベルに留まっています。それと比べれば、54年録音の3番はモノラルなのですが、録音的にはかなり優秀です。
この二つを聞き比べてみると、「EMI」がステレオに懐疑的だった理由が見えてくるような気がします。

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