モーツァルト:「魔笛」 K.620 「第1幕」
オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団&合唱団 (T)ニコライ・ゲッダ (S)グンドゥラ・ヤノヴィッツ (Bass)ワルター・ベリー (S)ルチア・ポップ他 1964年3月~4月録音
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [Ouverture]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.1:Zu Hilfe! Zu Hilfe!]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.2:Der Vogelfanger Bin Ich Ja]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.3:Dies Bildnis Ist Bezaubernd Schon]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.4:O Zittre Nicht, Mein Lieber Sohn!
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.5:Hm! Hm! Hm! Hm!]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.6:Du Feines Taubchen, Nur Herein]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.7:Bei Mannern, Welche Liebe Fuhlen]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.8:1.Zum Ziele Fuhrt Dich Diese Bahn]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.8:2.Wie Stark Ist Nicht Dein Zauberton]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.8:3.Schnelle Fuse, Rascher Mut]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.8:4.Konnte Jeder Brave Mann]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.8:5.Es Lebe Sarastro!]
Mozart:Die Zauberflote Act1, K.620 [No.8:6.Nun, Stolzer Jungling; Nur Hierher!]
ドイツ語による、一切の建前や約束事などをかなぐり捨てた、真に人間的な愛の喜びが爆発したオペラ
よく知られている話ですが、最晩年のモーツァルトは貧窮のどん底にありました。そんなモーツァルトにイギリス行きの話が持ち上がります。
当時のイギリスは貴族の社会から市民の社会へと移行し、音楽は貴族の専有物というポジションから離脱して、大きなコンサート会場を満席にするにたる市民の聴衆を獲得していました。
しかし、イギリスは音楽の消費地としては先進国であっても生産地としてはお粗末な状態でした。コンサート会場を満員にする聴衆は獲得していても、そこで演奏するための作品にはいつも不足していました。そこで、興行主たちはウィーンで活躍する有名な作曲家たちを金の力でイギリスに呼び寄せようとしました。
有名なのはザロモンに招待されたハイドンです。
ハイドンは何度かのイギリス行きで、数多くのすぐれた作品を生み出すとともに、一切の煩わしさから解放されて老後を過ごすことが出来るだけの財産を手にすることが出来ました。
これと同じような話がモーツァルトにも持ち上がったのです。
しかし、貧窮にあえいでいたにもかかわらず、モーツァルトはこの申し出を断ってしまいます。オペラの共同作業者とも言うべきダ・ポンテですら新天地としてのイギリス行きを決め、そのパートナーとしてモーツァルトを誘ったにもかかわらず、彼はウィーンに残ることを決断します。
その最大の理由は、歌芝居一座の座長であったシカネーダーとの間で始まっていた、「ドイツ語によるオペラ」という試みがモーツァルトの心をとらえていたからです。
当時、オペラはイタリア語で歌われるものと決まっていて、ドイツ語のような「粗野」な言葉は音楽には向かないものとされていました。
それだけに、ドイツ語によるオペラを書くというのはモーツァルトにとっては長年の念願であり、その実現に向けたシカネーダーとの共同作業は「経済的魅力」にうち勝つほどの心躍る作業だったのです。
「魔笛」は今までのどのようなオペラとも違う、またいかなる形式にもとらわれない自由なスタイルを持ったオペラとして完成しました。そして、そこにはモーツァルトの今までのオペラ創作のあらゆるノウハウが詰め込まれていて、まさにモーツァルトのオペラの集大成とも言うべき作品となっています。
このオペラで最も魅力的なのはパパゲーノです。
彼は、今までのオペラには絶対に登場しないタイプの人間、というか、鳥人間です・・・^^;。
まずは出だしから「俺は鳥刺し!」などと歌いながら実に陽気に登場します。さらに、「大蛇をやっつけたのはおれ様だ!」などとうそを言っては口に錠前をかけられたりします。
このオペラの主役はタミーナという王子様なのですが、このタミーノが清く正しく、ひたすら真面目に頑張るので、そのパートナーとしてのパパゲーノのあまりにも人間的な振る舞いが魅力的に輝いてしまうのです。
最初は悪魔の親分だったのに、途中から正義の賢者になってしまうザラストロから試練を命じられると、タミーノはまなじりを決して「やります!」という雰囲気なのですが、「そんなのは真っ平御免!」と言ってしまうのがパパゲーノなのです。ところが、試練をやり遂げたら彼女を紹介してやると言われるとコロッと態度を豹変させてタミーノについていってしまいます。
でも、真面目にやる気は全くないので、「お前は神に仕える喜びを死ぬまで知ることはない」などと説教されるのですが、「この世は酒さえあれば天国だ!」などと言い返し、「彼女か女房がいればさらに言うことなし!」などと言ってのけます。
このオペラでは二つの愛が同時進行します。
一つは主人公のタミーナとパミーナの愛、もう一つはパパゲーノとパパゲーナの愛です。
タミーナとパミーナの愛がどこまでも清く正しく美しい愛だとするなら、パパゲーノとパパゲーナの愛はどこまでも人間的です。
タミーナとパミーナが手に手を取り合って試練を乗りこえていくのに対して、パパゲーノはパパゲーナにあえないことを苦にして首をくくるふりをします。もちろん、本気で死ぬ気などはなく誰か助けに来てくれるを期待しながらの「首吊り」です。
そんなあれこれの苦労の末に二つの愛は成就するのですが、タミーノとパミーナの愛はどこまでも真面目で慎ましいのに対して、パパゲーノとパパゲーナは真に人間的な喜びを爆発させます。
ようやくにめぐり会えた二人は喜びのあまりに言葉も出ないので、最初は「パ・パ・パ・・・」と呼び交わすだけですが、その「パ・パ・パ・・・」が高潮していくなかで愛の二重唱へと発展していく音楽は見事としか言いようがありません。
私はフィガロは「神が降臨する音楽」だと書きました。
その言い方をまねするなら、魔笛こそは「人間が躍動する音楽」だといえるかもしれません。
だとするならば、魔笛のクライマックスは疑いもなくこのパパゲーノとパパゲーナによる愛の二重唱です。
ここには一切の建前や約束事などをかなぐり捨てた、真に人間的な愛の喜びが爆発しています。そして、私はこれ以上に素晴らしい「愛の歌」を知りません。
パパゲーノこそは疑いもなくドイツの民衆そのものです。そして、モーツァルトがイギリス行きという経済的魅力をなげうってでも表現したかったのは、ドイツの民衆の中に生き続ける人間的な喜びだったのだと思います。
もちろん、「魔笛」はパパゲーノだけのオペラではありません。
最初にも述べたように、ここにはモーツァルトが今までのオペラ創作で培ってきたあらゆるノウハウが詰め込まれています。
そう言う素晴らしい歌に身も心もひたっているだけでも十分に至福の時を味わえるんですが、パパゲーノに寄りそって聞いてみると、また違う魅力に出会えるのではないでしょうか。
「魔笛」第1幕
- 序曲
変ホ長調の主和音が冒頭で三度鳴るのですが、これはフリーメイソンの象徴音型だとも言われています。
その後、プラハ・シンフォニーを思わせるようなテーマが展開されると、再び三和音が鳴り響き、展開部から再現部を経て華麗なコーダで締めくくられます。まさにこれから始まる舞台への期待をかき立てられる素敵な序曲です。
- 第1幕 No.1:助けてくれ!助けてくれ! (タミーノ、3人の侍女)
大蛇に追われたタミーノは気を失って倒れてしまうのですが、そこに夜の女王の三人の侍女が登場して大蛇を倒します。そして、その三人の侍女は誰がタミーナを見守るかで言い争いを始めます。
- 第1幕 No.2:リート:さても、おいらは鳥刺し稼業(パパゲーノ)
鳥がいっぱい入った鳥籠を背負った鳥刺しのパパゲーノが「おいらは鳥刺し男」と歌いながら登場します。
初演時にパパゲーノを演じたシカネーダーは歌の技量が高くなかったので、モーツァルトはそれにあわせて、それほどの技巧を要しない歌に仕上げているのですが、パパゲーノのおしゃべりなキャラクターによって舞台が一転して快活な雰囲気かえてしまうのはさすがとしか言いようがありません。
- 第1幕 No.3:アリア:この絵姿の心奪う美しさは(タミーノ)
三人の侍女はザラストロに捕らえられている夜の女王の娘パミーナの絵姿をタミーナに見せます。タミーナはその美しさに陶然として「何という美しい絵姿だろう」と歌い出します。
- 第1幕 No.4:レチタティーウ゛ォとアリア:おお、おそれてはならぬ、愛する若者よ(夜の女王)
タミーノの前に、雷鳴とともに夜の女王が現れます。女王は娘を奪われた母としての悲しみを切々と歌い上げ、タミーナに娘を奪い返すように鼓舞するのです。
- 第1幕 No.5:五重唱:フム!フム!フム!(パパゲーノ。タミーノ、3人の侍女)
大蛇を倒したのは自分だと嘘をついたために口に錠前をはめられたパパゲーノは、それを外してもらいたくて「フム、フム、フム」と歌い出します。
やがて、そのハミングにタミーノが、そして三人の侍女も加わって五重唱へと発展していきます。そして、夜の女王からの贈り物としてタミーノには「魔笛」が、パパゲーノには「魔法のグロッケンシュピーゲル」が手渡されます。
- 第1幕 No.6:三重唱:かわいい鳩ポッポちゃん・・・(モノウタトス、パミーナ、パパゲーノ)
場面はザラストロスの神殿に変わり、そこでは捕らわれたパミーナに懸想したモノスタトスが迫ろうとしています。そこにパパゲーノが登場すると、お互いを悪魔と思いこんでしまって二人は逃げ出そうとして大騒ぎとなります。
- 第1幕 No.7:二重唱:恋をしるほどのお方なら (パミーナ、パパゲーノ)
タミーナはパパゲーノから恋心に燃えたタミーノが自分を救い出しにくることを知り、乙女のロマンティックな思いを歌い上げます。
- 第1幕 No.8:フィナーレ:この道を行けば御身はめざしたものに達します(3人の少年、タミーノ、弁舎、合唱)
三人の少年に案内されてタミーノはザラストロスの神殿の前にやってきます。
そして、その三つの入り口には「自然」「英知」「理性」と記されているのですが、それはフリーメイソンの思想が反映していると言われています。
- 第1幕 No.8:フィナーレ:お前の魔法の調べはなんと力強いのだろう(タミーノ)
タミーノはパミーナとの出会いを確信して晴れやかなアリアを歌います
- 第1幕 No.8:フィナーレ:すばやい足が、機敏な勇気が(パミーナ、パパゲーノ、モノスタトス、奴隷たち)
パミーナとパパゲーノの二重唱にモノスタトスが侵入してきます。
- 第1幕 No.8:フィナーレ:心正しい人がみな(パミーナ、パパゲーノ、合唱)
パパゲーノはグロッケンシュピーゲルの響きでモノスタトスや奴隷たちを追い払ってしまいます。
- 第1幕 No.8:フィナーレ:ザラストロ万歳 (合唱、ザラストロス、パミーナ)
グロッケンシュピーゲルの力を讃えるパパゲーノとパミーナの耳にザラストロス万歳と賛美する合唱が聞こえてきます。
- 第1幕 No.8:フィナーレ:おい、高慢ちきの若いの・・・(モノスタトス、パミーナ、タミーナ、合唱、ザラストロス)
ザラストロスが登場して、「女心というものは、男によって導かれねばならぬ。男がいなければ、いかなる女とて分を越えてしまいがちだからじゃ。」と歌うのはフリーメイソンの教義に基づく女性観と言われています。
この第1幕のフィナーレで「悪役」だったはずのザラストロスの性格が一変して幕がおります。
怒りをパワーにした歴史的名演だったのでしょうか。
さて、この録音に関して今さら何かを付け加える必要があるのかという気にはなります。
ただし、そうは思っても、やはり「オペラ」などと言うものはこの国ではなかなか馴染みがないのであって、その馴染みのなさというのが何処か「歌舞伎」の世界と似た敷居の高さを感じさせるものともつながっているのです。
つまりは、迂闊にあれこれ言おうものならば、哀れみを込めて「先代をご存知でしたらね」と言われてしまう、あれです。(^^;
ですから、「先代をご存知」の方々には何も付け加える必要がないどころか、いらぬあれこれは目障りでしかないとは思うのですが、それでも少なくない方々はそうはいかないのですから、お目汚しを承知の上で幾つかの点についてはふれておきたいと思います。
まず、このクレンペラー盤の特徴は全ての台詞がカットされていることです。
「魔笛」は「ジングシュピール(歌芝居)」に分類されるものですから、台詞のやり取りの間に音楽が差し挟まれるというのが本来のスタイルです。ところが、クレンペラーは視覚を伴わないレコードでは台詞のやり取りは意味がないと言うことで、それを全てバッサリとカットしてしまったのです。
この事の是非にかんしてはいろいろと意見はあるでしょうが、結果として最初から最後まで音楽が切れ目なく続くことによって非常に凝縮力の高い演奏になっていることは事実です。
次に指摘しておかなければいけないのは、通常の舞台公演では絶対に不可能な配役が実現していることです。
- (T)ニコライ・ゲッダ[タミーノ]
- (S)グンドゥラ・ヤノヴィッツ[パミーナ]
- (Bass)ワルター・ベリー[パパゲーノ]
- (S)ルチア・ポップ[夜の女王]
- (Bass)ゴットローブ・フリック[ザラストロ]
- (Bass)フランツ・クラス[弁舎/第2の僧]
- (S)エリザベート・シュワルツコップ[第1の侍女]
- (Ms)クリスタ・ルードヴィッヒ[第2の侍女]
- (A)マルガ・ヘフゲン[第3の侍女]
- (S)ルート・マルグレート・ピュッツ[パパゲーナ]
- (Br)ゲルハルト・ウンガー[モノスタト]
- (T)カルル・リーブル(Bass)フランツ・クラス[二人の戦士]
- (S)アグネス・ギーベル[第1の少年
- (S)アンナ・レイノルズ[第2の少年
- (Ms)ジェセフィン・ヴィージー[第3の少年]
「モーツァルトに端役なし」という言葉があるそうです。
しかしながら、三人の侍女に「エリザベート・シュワルツコップ」「クリスタ・ルードヴィッヒ」」「マルガ・ヘフゲン」というのは尋常ではありません。呆れるのを通りこして笑ってしまいます。
もしも、実際の舞台で大蛇に追われるタミーナを助けるためにこの3人が侍女として登場すればどのような騒ぎになるでしょうか。想像するだけで楽しくなります。
そして、その期待に違うことなく、オペラの冒頭から凄い三重唱が実現しているのです。
そして、三人の侍女でさえこの配役なのですから、それ以外の主たるメンバーに関しては何の不満もありません。
とりわけ、パパゲーノ役のワルター・ベリーこそはウィーンの名物バリトンと言われたエーリヒ・クンツの後継者とも言うべき存在でした。
それに対して、タミーノを歌ったニコライ・ゲッダの方はその様なウィーン情緒とは無縁な歌い回しなので、その対比も面白いのかもしれません。
ただ、一つ意見が分かれるとすれば、夜の女王を歌ったルチア・ポップかもしれません。全くダークな雰囲気のない若々しくも美しい歌声で、それだけならば何の不満もないのですが、何となく娘のパミーナとの区別がつきにくいのです。
そのあたりがグルヴェローヴァなどと較べられると少し物足りないかなとは思ってしまいます。
とは言え、ほとんどの歌手が何らかの問題を引き起こしてしまう難しいアリアを、ポップは全く問題もなく歌いきったと言うことですから、素直にこの歌声を楽しんだ方がいいのでしょうね。
そして、最後にクレンペラーです。
おそらく、ここには男クレンペラーの意地が爆発しています。
何故ならば、この録音の直前にレッグがEMIを去ることと、それに伴ってフィルハーモニア管を解散することを通告してきたからです。もちろん、レッグがEMIを去ることには何の問題もなかったのですが、そのことによってフィルハーモニア管を解散するという件についてはクレンペラーを激怒二人の間では怒りに満ちた電文のやり取りがかわされ、ついにはクレンペラーはプロデューサーをレッグからピーター・アンドリーに変更するだけでなく、レッグには録音現場には一歩たりとも足を踏み入れさせないこと要求したのです。
そして、この怒りに満ちた(いつも怒っているような男だったのですが)クレンペラーが尋常ならざる集中力を発揮して、この上もなく素晴らしい「魔笛」を仕上げてしまったのです。
そして、この「魔笛」の大成功が結果としてEMIにおけるレッグのキャリアにピリオドを打つことになってしまったのです。
まさに、怒りこそはあらゆるパワーの源泉なのかもしれません。
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