メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 作品90 「イタリア」
ゲオルク・ショルティ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 1958年5月録音
Mendelssohn:Symphony No.4 in A major, Op.90 "Italian" [1.Allegro vivace]
Mendelssohn:Symphony No.4 in A major, Op.90 "Italian" [2.Andante con moto]
Mendelssohn:Symphony No.4 in A major, Op.90 "Italian" [3.Con moto moderato]
Mendelssohn:Symphony No.4 in A major, Op.90 "Italian" [4.Saltarello. Presto]
弾むリズムとほの暗いメロディ
メンデルスゾーンが書いた交響曲の中で最も有名なのがこの「イタリア」でしょう。
この作品はその名の通り1830年から31年にかけてのイタリア旅行の最中にインスピレーションを得てイタリアの地で作曲されました。しかし、旅行中に完成することはなく、ロンドンのフィルハーモニア協会からの依頼を受けて1833年にようやく完成させています。
初演は同年の5月13日に自らの指揮で初演を行い大成功をおさめるのですが、メンデルスゾーン自身は不満を感じたようで、その後38年に大規模な改訂を行っています。ただ、その改訂もメンデルゾーン自身を満足させるものではなくて、結局彼は死ぬまでこの作品のスコアを手元に置いて改訂を続けました。そのため、現在では問題が残されたままの改訂版ではなくて、それなりに仕上がった33年版を用いることが一般的です。
作品の特徴は弾むようなリズムがもたらす躍動感と、短調のメロディが不思議な融合を見せている点にあります。
通常この作品は「イタリア」という名が示すように、明るい陽光を連想させる音楽をイメージするのですが、実態は第2楽章と最終楽章が短調で書かれていて、ほの暗い情感を醸し出しています。明るさ一辺倒のように見える第1楽章でも、中間部は短調で書かれています。
しかし、音楽は常に細かく揺れ動き、とりわけ最終楽章は「サルタレロ」と呼ばれるイタリア舞曲のリズムが全編を貫いていて、実に不思議な感覚を味わうことができます。
弦楽器を主力に演奏できる作品を選択した賢さ
いろいろとあったイスラエルフィルとの初録音だったのですが、「Decca」はその翌年からも録音を継続します。その背景には経営陣の一人であるローゼンガルテンの強い意向が働いていたことは言うまでもありません。そして、ショルティもまたこの1958年の録音に駆り出されるのです。
ショルティの人生を変えたのは1958年9月に行われた「ラインの黄金」の録音でした。そのレコードは想像もしなかったような売れ行きを見せて「Decca」にとっても多大な利益をもたらしたからです。ただし、その記録的な売り上げは何らかの僥倖に恵まれたためであって、続けて「ワルキューレ」以降を録音しても上手くいかないだろうというのが経営陣の判断だったとカルショーは嘆いています。
とは言え、ショルティにとってはその成功によって「駆け出しの若手」という立場から「レーベルの屋台骨を支える指揮者」へと階段を駆け上がったことは事実でした。
ですから、この同じ年の5月に行われたイスラエルでの録音は、若手指揮者としての最後のしんどい仕事だったのかもしれません。
ただし、ショルティもカルショーも前年の経験は無駄にしていなかったようで、58年に計画された録音は以下の通りでした。
メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 作品90 「イタリア」
シューベルト:交響曲 第5番 変ロ長調 D485
モーツァルト:セレナード第13番ト長調 K.525 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
なるほど、録音プログラムとはこのようにして決めるのものかという、見本のような選択です。
「Decca」というレーベルは録音のクオリティが売りでしたから、録音会場の選択に関しては非常にシビアでした。しかし、イスラエルに出向いて録音しなければいけないこのセッションでは、そう言う「Decca」の基準を満たすような会場は何処を差がしてもなかったのです。さらに言えば、イスラエルフィル自体もロンドンやウィーンのオケと較べれば問題の多いオーケストラでした。とりわけ問題だったのは金管の弱さでした。
ただし、弦楽器の素晴らしさは今も昔も変わらぬこのオケの美質でもありました。
ならばどうするか!
答えは簡単で、レーベルのカタログとの関係で録音する必要のあるプログラムの中から、出来る限り弦楽器主体で演奏できる作品を選べばいいのです。
メンデルスゾーンの「イタリア」ならばホルンとトランペットがそれぞれ2名必要ですが、表に出てくるのは第3楽章中間部のホルンくらいでしょうか。もっとも、表に出てこないからどうでもいいと言うことではないのですが、縁の下の力持ちくらいの仕事ならばやれるだろうということなのでしょう。
シューベルトの5番ならば金管はホルンの2名あれば足りますし、モーツァルト場合は弦楽合奏だけで事が足ります。
つまりは、イスラエルフィルが持っている問題点が出来る限り顕在化しないように、そしてイスラエルフィルが持っている美質が最大限に引き出せるような演目を選んでいるのです。
実にクレバーです!!
そして、カルショーはこのイスラエルフィルとの数年にわたる共同作業は結果として大きな成果をもたらすことはなかったと総括しているのですが、いやいやどうして、ここでのメンデルスゾーンやシューベルトは決して悪い演奏とは思えません。
とりわけ、第2楽章の「Andante con moto」(メンデルスゾーンもシューベルもともに第2楽章は「Andante con moto」だ!!)からは、青々と広がる草原を吹き渡っていく爽やかな風を思い出させてくれます。確かに、これこそはただの「Andante」ではなくて「Andante con moto」です。
ショルティと言えば、「イタリア」の第1楽章「Allegro vivace」のようにグイグイと強引に引っ張っていくイメージがあります。それがさらに「Piu animato poco a poco」というように煽り立てていくことが要求されればその強面の姿はさらにあからさまになっていきます。
しかし、そう言う姿と同時にこのように爽やかに清潔感の溢れる歌を紡いでいくのもショルティのもう一つの得意技でもあるようなのです。
ただし、モーツァルトにおいてもそれらと同じようなアプローチで迫っているのですが、個人的にはあまり上手く言っていないような気はします。おそらく、メンデルスゾーンやシューベルトというのは純粋器楽の世界であり、それ故に一音も蔑ろにすることなく精緻に構成していけば自ずからその姿が明らかになっていくのでしょうが、モーツァルトというのはどうもそう言うやり方だけでは取りこぼしてしまう部分があるようなのです。
そして、そう言う辺りに、トスカニーニからセルやライナーにつながっていく系譜にショルティをおいたときに、なんだか上手くつながらないなと思ってしまう要因があるのかもしれません。
意外と思う人もいるかもしれませんが、セルの音楽を長年にわたって聞き続けてきた身からすれば、彼の音楽の根っこには世紀末ウィーンの匂いがしみついています。つまりは、セルというのは外面的にはニコリともしない「笑わん殿下」のような姿を見せながら、その内実はとんでもないロンティストなのです。
ただし、そのロマン主義はともすれば荒れ狂う牛の角のようなもので、それを自由にさせれば音楽を傷つけてしまうことを知っていたのです。ですから、セルという男は常にザッハリヒカイトという綱を己に括りつけて音楽を傷つけないように律し続けたのです。
ただし、セルにしてもライナーにしても賢いなと思うのは、そうやって律し続けても、決して角を矯めて牛を殺すような愚かなことにはしなかったことです。彼らは、荒れ狂う角の暴力を最後まで体の奥に抱え込んでいたのです。
それと比べると、オケを強引にドライブしていくショルティからは「荒れ狂う角の暴力」は感じられないのです。
誰かが、ショルティの演奏を評して「感心はするけれども感動はしない」と言っていたのは、そう言う荒れ狂う角の暴力がそこには存在しないからかもしれません。
もしかしたら、ショルティの内面にあったのはロン万主義ではなくて、実用主義だったのかもしれません。彼にとってのザッハリヒカイトとは、オケの響きとバランスを整えて一定以上のレベルを実現するためにもっとも効率的で有用なイデオロギーだったのかもしれません。
もっとも、その辺りはもう少しよく考えてみる必要があるのですが、それでも実用主義が強く要求するのが「行動」であることを考えれば、ショルティがその晩年までこの上もなくアクティブだったことの理由も見えてくるような気がします。
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