モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543
ヨーゼフ・クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1951年12月録音
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [1.Adagio - Allegro]
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [2.Andante con moto]
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [3.Menuetto (Allegretto) - Trio]
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [4.Finale (Allegro)]
「後期三大交響曲」という言い方をされます。
「後期三大交響曲」という言い方をされます。
それらは僅か2ヶ月ほどの間に生み出されたのですから、そう言う言い方で一括りにすることに大きな間違いはありません。しかし、この変ホ長調(K.543)の交響曲は他の2曲と較べると非常に影の薄い存在となっています。もちろん、その事を持ってこの交響曲の価値が低いというわけではなくて、逆にト短調(K.550)とハ長調(K.551)への言及が飛び抜けて大きいことの裏返しとして、その様に見えてしまうのです。
しかし、落ち着いて考えてみると、この変ホ長調の交響曲と他の二つの交響曲との間にそれほどの差が存在するのでしょうか?
確かにこの交響曲にはト短調シンフォニーの憂愁はありませんし、ハ長調シンフォニーの輝かしさもありません。
ニール・ザスローも指摘しているように、こ変ホ長調というフラット付きの調性では弦楽器はややくすんだ響きをつくり出してしまいます。さらに、ザスローはこの交響曲がオーボエを欠いているがゆえに、他とは違う音色を持たざるを得ないことも指摘しています。
つまりは、どこか己を強くアピールできる「取り柄」みたいなものが希薄なのです。
しかし、誰が言い出したのかは分かりませんが、この交響曲には「白鳥の歌」という言い方がされることがありました。しかし、それも最近ではあまり耳にしなくなりました。
「白鳥の歌」というのは、「白鳥は死ぬ前に最後に一声美しく鳴く」という言い伝えから、作曲家の最後の作品をさす言葉として使われました。さらには、もう少し拡大解釈されて、作曲家の最後に相応しい作品を白鳥の歌と呼ぶようになりました。
当然の事ながら、この変ホ長調の交響曲はモーツァルトにとっての最後の作品ではありませんし、「作曲家の最後に相応しい作品」なのかと聞かれれば首をかしげざるを得ません。
今から見れば随分と無責任で的はずれな物言いでした。
ならば、やはりこの作品は他の2曲と較べると特徴の乏しい音楽と言わざるを得ないのでしょうか。
しかし、実際に聞いてみれば、他の2曲にはない魅力がこの交響曲にあることも事実です。
しかし、それを頑張って言葉で説明することは「モーツァルトの美しさ」を説明することにしか過ぎず、結果として「美しいモーツァルト」を見逃してしまうことに繋がります。
ただ、そうは思いつつ敢えて述べればこんな感じになるのでしょうか。
まずは、第1楽章冒頭のアダージョはフランス風の序曲であり、その半音階的技法で彩られた音楽の特徴がこの交響曲全体を特徴づけています。そして、この序曲が次第に本体のアレグロへの期待感を抱かせるように進行しながら、その肝心のアレグロが意外なほどに控えめに登場します。そして、ワンクッションおいてから期待通りの激しさへと駆け上っていくのですが、このあたりの音楽の運び方は実に面白いです。
続く第2楽章は冒頭のどこか田園的な旋律とそこに吹きすさぶ激しい風を思わせるような旋律の二つだけで出来上がっています。この少ないパーツだけで充実した音楽を作りあげてしまうモーツァルトの腕の冴えは見事なものです。
そして、この交響曲でもっとも魅力的なのが続くメヌエットのトリオでしょう。これは、ワルツの前身となるレントラーの様式なのですが、その旋律をクラリネットに吹かせているのが実に効果的です。
しかしながら、この交響曲を聞いていていつも物足りなく思うのがアレグロの終楽章です。
これは明らかにハイドン的なのですが、構造は極めてシンプルで、単一の主題を少しずつ形を変えながら循環させるように書かれています。そして、その循環が突然絶ちきられるようにあっけなく終わってしまうので、聞いている方としては何か一人取り残されたような気分が残ってしまうのです。
ザスローはこれをコルトダンスの形式に従ったある種の滑稽さの表現だと書いていて、それ故にこの部分はある程度の「あくどさ」が必要だと主張しています。つまりは、モーツァルトの作品だと言うことで上品に演奏してしまうと、この急転直下がもたらすユーモアが矮小化されるというのです。
なるほど、そう言われれば何となく分かるような気がするのですが、ほとんどの演奏はこの部分で期待されるあくどさを実現できていないことは残念です。
交響曲第39番 変ホ長調 K.543
- 第1楽章:Adagio; Allegro
- 第2楽章:Andante con moto
- 第3楽章:Menuetto e Trio
- 第4楽章:Allegro
クリップスのレパートリーの中で本線中の本線だったのがモーツァルトです
最近になってからふと気づいたことなのですが、クリップスという人のレパートリーは非常に狭いように思えるのです。
もちろん、クリップスのディスコグラフィなどと言うものが完備されているはずもないので感覚的な話になるのですが、そのレパートリーはドイツ・オーストリア系の音楽に著しく偏っているように思われるのです。
例えば、彼の初期録音を集めたボックス盤などを眺めていると、モーツァルト、ハイドン、ベートーベン、シューベルト、シューマン、ブラームスの作品で大半が埋まってしまいます。
それでいながら、バッハやブルックナーの録音はほぼ皆無なのです。
確かに、昔の巨匠というのはレパートリーが非常に狭くて、限られた作品しか取り上げないというのは珍しい話ではなかったのですが、それでもバッハやブルックナーが欠落すると言うことはありませんでした。
ですから、一見すれば独襖系を中心とした巨匠風のレパートリーのように見えながら、実際はかなり歪なレパートリーになっているのです。
クリップスは手兵だったサンフランシスコ響を率いて1968年に来日公演を行っています。
その時にはブルックナーの7番も取り上げていて、それが大変な名演だと言うことで話題になったそうです。また、武満徹の「弦楽の為のレクイエム」やコープランドの「静かな町」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」なども取り上げています。
ですから、決してディスコグラフィから浮かび上がってくるような狭いレパートリーの持ち主ではなかったのです。
おそらく、この歪な録音歴の背後に、クリップスがおかれた微妙な立場があったことは間違いありません。
クリップスの経歴を見てみれば、彼もまたヨーロッパの伝統である地方の歌劇場からの叩き上げであることが分かります。そして、優れたオーケストラビルダーであり、戦後の混乱の中で苦境に陥っていたウィーンの歌劇場を救ったのがクリップスでした。
しかしながら、最後までポストには恵まれない指揮者であり、さらに哀しいことに彼が救いの手をさしのべたウィーンを中心として意図的と思えるほどにその評価は貶められてきたのです。
ただし、そうなってしまう背景には、リハーサルの時に音楽について長々と講釈を垂れてしまう癖があったからだとも言われています。
これはどの指揮者も陥ってしまいがちな悪癖なのですが、クリップスの場合はそれが特に酷くて、プライドの高いオケであればあるほど反発を感じたようです。
そう言えば、Deccaのプロデューサだったカルショーもまた、この悪癖こそが指揮者のキャリアを駄目してしまう最大の悪癖だと述べていました。
ですから、彼はお気に入りのショルティにもこの悪癖があることを知らせるために、その長講釈をこっそりと録音し、それを後日ショルティに聞かせたそうです。
普通はそんな事をすれば喧嘩別れにもなりかねないのですが、ショルティはそれを苦い忠告として素直に受け入れたのです。
芸と人間性は別物だとは良く言われるのですが、指揮者という稼業は他人に音を出してもらうしか術がないのですから、全く別物だとは言い切れない稼業なのかもしれません。
しかし、それでもなお、彼の独襖系を中心とした音楽への適応力は無視できなかったのでしょう。
オケのメンバーにとっては、横暴極まる独裁者よりもウンザリさせられるという「長講釈」があったとしても、彼の音楽は無視は出来なかったのでしょう。ただし、我慢が出来たのは彼の本線であった独襖系の音楽だけだったと言うことなのでしょうか。
そんなクリップスの本線中の本線がこのモーツァルトでしょう。
彼は、その最晩年にコンセルトヘボウ管とモーツァルトの交響曲の録音を始めるのですが、道半ばで急逝してしまいます。もしも、それが全集として完成していれば彼に対する評価も随分と変わっていたと思うのですが、本当に運がない人でした。
さらに言えば、その残された録音もまた著作権の保護期間が延長されたことでパブリックドメインになることもなく埋もれてしまう可能性が高いのです。
クリップスという人はとことん運のない人だったようです。
クリップスは50年代の初めにロンドン響と以下の3曲の交響曲を録音しています。
- 交響曲第39番 変ホ長調 K.543:ロンドン交響楽団 1951年12月録音
- 交響曲第31番 ニ長調 K.297 「パリ」:ロンドン交響楽団 1951年12月録音
- 交響曲第40番 ト短調 K.550:ロンドン交響楽団 1953年3月録音
このロンドン響との録音はウィーン風の典雅さに溢れたモーツァルトになっています。
モーツァルトの交響曲というのは本質的にはオペラの延長線上にある音楽です。ですから、ザッハリヒカイトなスタイルで演奏すれば、その道ばたに咲いている美しい花を見落としてしまいます。
クリップスはそう言う花を丹念に一つずつ愛でながら歩みをすすめていきます。
おそらく、こういうスタイルこそがワルター以来の伝統的なモーツァルト演奏なのでしょう。
ところが、53年に録音されたト短調シンフォニーは全く様子が異なっていて、まさにザッハリヒカイトなモーツァルトに変貌してしまっているのです。最初の音が出ただけですっかり驚いてしまって、後はもうあれよあれよという間に終わってしまった感じで、それはたとえてみれば道ばたに咲いている花などは全て踏みしだいていったような風情なのです。
いったい何が起こったのかと訝しく思ったのですが、ふと気づいたのが、この時期を境に彼の活動の拠点がヨーロッパからアメリカに移ったことでした。
つまりは、どうにもヨーロッパでは期待したようなポストは得られないので、アメリカで一旗揚げようと動き始めた時期と重なるのです。
そう言えば、カルショーはクリップスのことを「日和見主義者」と断じていました。
始めて読んだときはそこまで言わなくてもいいのにと思ったのですが、こういう録音を聞かされるとそう言う面もあったのかなと思ってしまいます。
ただし、ワルターやベームがこの世を去ってしまうと、こういうスタイルが一般的になっていくのであって、そう言うライン上に置いてみれば、これは驚くほどに時代を先取りした音楽になっているのです。
やはり、このおじさんは一筋縄ではいかない人だったようです。(ちなみに、最晩年のコンセルトヘボウとの録音では再び典雅なスタイルに戻っていました)
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