ハイドン:交響曲第102番 変ロ長調
ゲオルク・ショルティ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1951年11月録音
Haydn:Symphony No.102 in B Flat major, Hob.I:102 [1.Largo - Vivace]
Haydn:Symphony No.102 in B Flat major, Hob.I:102 [2.Adagio]
Haydn:Symphony No.102 in B Flat major, Hob.I:102 [3.Menuet (Allegro) - Trio]
Haydn:Symphony No.102 in B Flat major, Hob.I:102 [4.Finale (Presto)]
ベートーベンの一歩手前まで歩を進めている
フランス革命による混乱のために、優秀な歌手を呼び寄せることが次第に困難になったためにザロモンは演奏会を行うことが難しくなっていきます。そして、1795年の1月にはついに同年の演奏会の中止を発表します。
しかし、イギリスの音楽家たちは大同団結をして「オペラコンサート」と呼ばれる演奏会を行うことになり、ハイドンもその演奏会で最後の3曲(102番~104番)を発表しました。
そのために、厳密にいえばこの3曲をザロモンセットに数えいれるのは不適切かもしれないのですが、一般的にはあまり細かいことはいわずにもザロモンセットの中に数えいれています。
このオペラコンサートは2月2日に幕を開き、その後2週間に1回のペースで開催されました。そして、5月18日まで9回にわたって行われ、さらに好評に応えて5月21日と6月1日に臨時演奏会も追加されました。
交響曲102番:94年作曲 95年2月2日初演
交響曲103番「太鼓連打」:95年作曲 95年3月2日初演
交響曲104番「ロンドン」:95年作曲 95年5月4日初演
ハイドンはザロモン・コンサートとそれに続くオペラコンサートによって2400ポンドの収入を得ました。そして、それを得るためにかかった費用は900ポンドだったと伝えられています。
エステルハージ家に仕えた辛苦の30年で得たものがわずか200ポンドだったことを考えれば、それは想像もできないような成功だったといえます。
ハイドンはその収入によって、ウィーン郊外の別荘地で一切の煩わしい出来事から解放されて幸福な最晩年をおくることができました。
ハイドンは晩年に過ごしたこのイギリス時代を「一生で最も幸福な時期」と呼んでいますが、それは実に納得のできる話です。
交響曲102番 変ロ長調
ハイドンの交響曲には「名前」がついているものが多いです。そのほとんどはハイドン自身があずかり知らぬところで命名されたのですが、抽象性の高い言葉を伴わない器楽曲ではそれは疑いもなく一つの取っかかりにはなります。
ですから、そのタイトルが何らかのミスリードを引き起こす危険性を含んでいるとしても、「交響曲第102番」と素っ気なく言われるよりは、「時計」とか「軍隊」とか「太鼓連打」と言われる方が親しみが持てるのです。
そして、それが「ロンドン」みたいな、ほとんど何の根拠もないようなタイトルであっても、明らかにないよりはあった方がよかったようなのです。
と言うことで、ハイドン最晩年の交響曲の中では、この102番だけが「名無し」です。そして、名無しゆえに認知度は非常に低いのですが、疑いもなくハイドンの最高傑作の一つであることは事実です。
オペラの序曲から身を起こし、やがてはクラシック音楽の王道と呼ばれる地位にまで上りつめた交響曲というジャンルが、ついにその王道への扉に手をかけた作品と言っても言い過ぎではないでしょう。
それは、第1楽章のソナタ形式の緻密さによくあらわれています。
単純明解な第1主題は4つの動機から構成されているのですが、その4つの動機が巧妙に活用されて音楽全体を形作っているのです。
それは、これに続くベートーベンほどに徹底した動機労作でないかもしれませんが、まさにその一歩手前まで歩を進めていることは明らかなのです。
最近のピリオド演奏を連想させるような引き締まったハイドン
1954年の4月にショルティはモーツァルトとハイドンを集中的に録音している事は先にふれたのですが、振り返ってみれば彼の初期録音に於いてハイドンの交響曲は大きな位置を占めていたことが分かります。
繰り返しになるのですが、1949年8月に録音されたハイドンの「太鼓連打」がショルティにとっては実質的なデビューでした。
そして、51年11月には102番のシンフォニーを、54年4月には100番「軍隊」を録音しているのです。
さらに、この3曲に関しては80年代にシカゴ響を使って再録音しています。
おそらく、ハイドンの交響曲を録音しようと提案したのはDeccaの側、もっと具体的に言えばカルショーの提案だったはずです。しかし、それはカルショーの側から一方的に押しつけたのではなく、それぞれが希望と要望を出し合う中で録音する作品を決めていったことがうかがわれます。
何故ならば、ショルティにとって全く意に沿わない作品を押しつけられていたのであれば、それと同じ作品を功成ってからのシカゴ時代に再録音などはしないからです。それはハイドンだけでなく、彼の初期録音のもう一つの柱とも言うべきバルトークやコダーイの作品についても言えます。
有り体に言って、それほど売れるとも思えないコダーイの管弦楽作品を最晩年になってからウィーンフィルを使って彼は再録音をしているのです。
そう言うことを考えれば、音楽をする人であるショルティと、それをプロデュースする人であるカルショーの関係は非常に好ましいものだったことが推察されます。
ハイドンの交響曲というのは、指揮者にとってもオーケストラにとっても恐い作品であることはよく知られています。
ハイドンという人はとびきりに腕のいい音楽職人であり、その技の全てを注ぎ込んで書かれたのが最晩年のザロモン・セットとも呼ばれる交響曲群でした。
当然の事ながら、楽譜を丁寧になぞるだけではどうにもならず、況や気合いと根性で頑張れば何とかなるという代物であるはずもないのです。
しかし、それだけに指揮者にとっては腕の見せ所であり、それほど売れるとも思えない作品であるにもかかわらず、巨匠と呼ばれた多くの指揮者が熱心に取り上げています。
大雑把なまとめになるかもしれませんが、そのアプローチは4つに分かれると言えそうです。
一つは、ピリオド演奏という言葉で括れるアプローチです。
その対極にあるのが、クレンペラーに代表されるような、ベートーベンの交響曲かと思うような重量感のある構築物として仕上げるタイプです。
そして、3番目がビーチャムのように、ハイドン作品に内包されたウィットやユーモアみたいなものに焦点を当てて小粋に仕上げるスタイルです。
最後に、これが最も多いと思われるのですが、職人技の結晶とも言うべき工芸品として仕上げていくセルやライナーのようなスタイルです。
もちろん、現実はさらに複雑であり、安易な図式化は大切なディテールを見落としてしまう恐れはあるのですが、取りあえずの足場としては有効かと思われます。
そして、その足場に寄りかかるならば、ショルティのアプローチは明らかに工芸品として仕上げていくスタイルだと言えます。しかし、そのスタイルはセルの地点を通りこして最近のピリオド演奏に通じていくような部分があることに気づかされます。
もちろん、50年代の録音なのですから、演奏しているのは全てロンドンフィルという通常のオーケストラです。さらに言えば、最近よく見かけるモダンオケとは言ってもピリオド演奏の影響を受けて編成を刈り込んだ様なものでもありません。
しかし、そう言う通常編成のオケをショルティの指揮棒はキリリと引き締めて、さらには強めのアクセントをつけて一切の曖昧さも為しに造形していきます。
うーん、モーツァルトのところで「ショルティの初期の交響曲録音などと言うものは殆ど話題にもならないし、その事に問題があるとは思わないのですが」と書いたのですが、こうして改めて聞き直してみるとハイドン演奏に関しては忘れてはいけないような気がしてきました。
そして、カルショーがこういうハイドン演奏に対して「ハイドンにはふさわしくないものだったかもしれないが」としているのは、やはり時代の制約があったと言わざるを得ないのかもしれません。今から振り返れば、彼の立ち位置もまた古い時代に片足くらいは乗っかっていたのです。
ただし、昨今のピリオド演奏と決定的に異なるのは、ここぞというところでエネルギーが爆発することです。
そして、もう一つ特筆すべき事は、どの作品の緩徐楽章に於いてもオケが安易な歌に流れることを戒めて、時にはその抑えた感情の裏から凄みを感じることです。
やはり、これは忘れてはいけない録音だったようです。
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