クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:交響曲第4番変ロ長調 作品60

ゲオルク・ショルティ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団1950年11月録音





Beethoven:Symphony No.4 in B-flat, Op.60 [1.Adagio - Allegro vivace]

Beethoven:Symphony No.4 in B-flat, Op.60 [2.Adagio]

Beethoven:Symphony No.4 in B-flat, Op.60 [3.Allegro vivace]

Beethoven:Symphony No.4 in B-flat, Op.60 [4.Allegro ma non troppo]


このギリシャの乙女は、その柔和でたおやかな外見に反して意外と強い芯を持った女性なのです

ベートーベンは第3番の「エロイカ」で、交響曲という形式を、それまでの誰もが考えなかったような巨大な構築物に変貌させました。しかし、それを引き継いでより巨大な作品を書くことはありませんでした。
ベートーベンが交響曲の世界で「エロイカ」を上回るような巨大な作品に取り組んだのは最後の「第9」だけでした。

「エロイカ」の中にあらわれていたのは、自らが求めるものを実現するためにはいかなる規則や常識にとらわれないという強靱にして強烈なエネルギーの迸りでした。
このほとばしるようなエネルギーに身をゆだねていれば、彼はもしかしたらベートーベンではなくてベルリオーズになっていたのかもしれません。

ベルリオーズの幻想交響曲のことを、ベートーベンのすぐ横にこれがたたずんでいることに驚きを感じると書いたことがあるのですが、落ちついて考えてみれば、「エロイカ」に内包されていたエネルギーをそのまま飼い慣らしていれば、それはシームレスにベルリオーズの妄想の爆発と歯止めのない巨大化の道に進んでいったはずです。

しかし、ベートーベンは外に向かってエネルギーを爆発させた後に、一転して収縮します。
その収縮によって生み出されたのが、「北方の巨人にはさまれたギリシャの乙女」と称された第4番の交響曲でした。

おそらく、その点にこそ、ベートーベンの他にはない偉大さがあらわれていると思われるので、そのあたりについて少しばかり詳しく考えてみたいと思います。

この交響曲は、その成り立ちからして興味をひかれます。

「エロイカ」は1803年から1804年にかけて作曲されています。1805年4月の公式な初演では多くの聴衆は戸惑いをみせたのですが、その音楽が持つ革命的な真価はすみやかに認識されていったようです。
そして、ベートーベンは「エロイカ」を完成させた後に、すぐさま新しい交響曲に取り組みはじめるのですが、それは第4番の交響曲ではなくて、後に第5番となる交響曲の方でした。

最近の研究によると、この第5番のスケッチはすでに「エロイカ」を作曲していた1803年に認められるそうです。そして、「エロイカ」を完成させた後に本格的に作曲の筆を進めていることが残された草稿帳からはっきりと窺うことが出来ます。
ところが、おそらく1805年に、ベートーベンはその創作の筆を一時ストップさせて、全く新しい交響曲を書き始めるのです。
それが、この第4番の交響曲だったのです。

この交響曲の作曲過程に関しては創作の過程を跡づけるスケッチ帳が保存されていないので、詳しいことはよく分かっていないようです。
ただし、複数の作品を同時並行で構想して筆を進めるというベートーベンのスタイルを考えれば、これに先立って構想された第5番にかかわる草稿帳の中に第4番の交響曲にかかわるスケッチが含まれていてもおかしくないのですが、不思議なことにその草稿帳の中にはこの交響曲にかかわるスケッチは一切含まれていないのです。

この第5番にかかわる草稿帳は1805年まで使われたことが分かっていますから、第4番に関しては1806年になってから取り組んだことは間違いないようです。
そして、残された手紙などから推測すると、1806年の夏頃から創作に取りかかり、11月の初め頃には完成させたようなのです。場合によっては2ヶ月、長くても3ヶ月程度で一気に完成させたことが窺われます。

これは、なんでもないスケッチから労作を重ね、念入りに時間をかけて仕上げていくのを常とするベートーベンの創作スタイルから考えると異例なことだと言えます。

「エロイカ」の後に「運命」がくるというのは、物事は直線的に進歩していくという「進化論的立場」に立つならば実に分かりやすく、そして納得もしやすい構図です。
しかし、現実には、ベートーベンはその様な「分かりやすい構図」ではなくて、それを断ち切るように作曲の筆を止めて、全く新しい「簡潔」な交響曲を一気に書き上げたのです。

その背景として、かつては「不滅の恋人」の存在をあげ、その幸福感に包まれた恋愛感情にとって「ハ短調」の「運命」は相応しくないので、柔和でロマン的な雰囲気が漂う交響曲を新たに書き始めたと説明されてきました。
さすがに、その様な個人的感情と創作を結びつけて解説することに賛同する人は今となっては殆どいないでしょうが、まあ、一昔前は、ベートーベン理解においてこの「不滅の恋人」は大きな意味を持ったようなのです。

もしくは、「エロイカ」という革命的な作品の次に、ある意味ではさらに革命的な「運命」を発表したのでは聴衆はついてこれないだろうから、営業的に受け入れられやすい作品を間に挟んだという話がまことしやかに語られたことがありました。結構名のある評論家もそう言うことを書いていたそうなので、いい加減といえばいい加減な話です。
最初にも少しふれたのですが、確かに「エロイカ」の初演では多くの聴衆は戸惑いをみせたのですが、その作品の真価はすみやかに認知されていったのです。

おそらく、この「収縮」にはそのような下世話な営業上の話や、「不滅の恋人」などという私生活にかかわる問題ではなくて、エネルギーのほとばしりを野放しにする事への警戒心が生まれたのだと思われます。

確かに、ベートーベンは音楽に「革命」をもたらしたことは事実ですが、彼が真に偉大なのは、その「革命」を「既存の秩序」の中におさめきろうとするぎりぎりの試みを最後まで放棄しなかったことです。
このぎりぎりのところにおける「せめぎ合い」の中で音楽を生み出していったところにこそベートーベンの凄さがあったのです。

そう思って、この第4番の交響曲を「エロイカ」と「運命」という北方の巨人の間においてみると、それは簡潔にして柔和に見えながら、彼が新しいチャレンジの中で見いだした試みの中で、何が古典的均衡の中で無理なくおさまるものかを模索したように見えるのです。
驚かされるのは、「エロイカ」によって膨張した楽器編成が縮小するのは当然だとしても、それ以前の第1番や2番の交響曲と較べてもフルートが一つ少なくなっているのです。

しかしながら、ここでは「エロイカ」によって優勢となった管楽器の役割はそのまま踏襲されています。
特にクラリネットには数多くの魅力的な独奏が用意されており、さらにはファゴットとのコンビでカノン的に進行する場面なども登場します。
弦楽合奏を基本として、そこに管楽器がアクセントをつけるだけにしかすぎなかったオーケストラの姿はここにはありません。

ただし、冒頭の序奏において弦楽器がユニゾンで分厚い響きを聞かせる部分では、管楽器優勢にふれた「エロイカ」からの揺れ戻しを感じたりもします。

そして、興味深いのは、その冒頭の序奏は何気ないムード的な音楽のように聞こえながら、そこには第1楽章の主題を構成する要素が含まれていることです。そして、その静かで長い序奏部から燦然たる光の世界に飛び出す部分でのデュナーミクの拡大は、まさに彼が獲得した新しい手法の見事な適用です。

また、緩徐楽章としての第2楽章の長さは、交響曲全体の比率から言えば第9のアダージョよりも長くなっています。そして、ともすればファースト・ヴァイオリンの美しい流れるような旋律やクラリネットの憧れに満ちた響きに耳が奪われるのですが、セカンド・ヴァイオリンが演奏し続ける伴奏の音型がこの楽章の重要な要素になっていることも、彼が獲得した新しい試みの適用でしょう。

それは、続く第3楽章にもあてはまります。
この「Allegro vivace」としか書かれていない楽章は明らかに「メヌエット」ではなくて「スケルツォ」です。
ただし、その中間のトリオの部分は流麗で美しく、メヌエット的な雰囲気を残していますので、それを中途半端とか先祖帰りと見ることも可能なのです。

しかし、20小節から同じ音型が3度繰り返される場面でコントラバスが延々と沈黙を続けるのは独特な効果をもたらしていますし、トリオに入る前に、低弦楽器と管楽器群が同じ旋律を交互に演奏する部分もユニークな効果を生み出していて、何気ない仕掛けですが注目に値します。
つまりは、この交響曲は古典的で簡潔な、それ故に「エロイカ」から見れば先祖帰りしたような作品に見えるのですが、それは決して1番や2番のような作品に舞い戻ったわけではないのです。

それは、最終楽章においても顕著で、そこでは明らかに第1主題が徹底的に活用されていて、その構成単位を積み重ねていくことで陽気で快活に終わるだけのロンドから抜け出しています。

ベートーベンは「エロイカ」の最終楽章における圧倒的な盛り上がりによって、音楽がもはや一部の限られた特権階級に奉仕するものではなく、自由な市民のための音楽になったことを宣言しました。
ベートーベンの音楽における圧倒的なフィナーレは、それは一つの解決として存在するのではなくて、疑いもなく新しい世界への扉を開けるものに転化したのです。

そして、その事が古典的均衡の中においても可能であることをこの交響曲において示してみせたのです。

そして、あの凝縮した第5番の圧倒的なフィナーレに到達するためには、「エロイカ」で試みた営みをもう一度古典的均衡の中で問い直してみる必要があった事に気づかされるのです。
ですから、このギリシャの乙女は、その柔和でたおやかな外見に反して意外と強い芯を持った女性なのです。

「抽斗の狭さ」みたいな欠点には目を瞑って、ショルティならではの「切迫感と緊張感」に磨きをかけたのかもしれません


ショルティの初期録音に関していささか混乱した情報を提供してしまいました。
色々な資料をつき合わせてみると、以下のように把握するのが正しいようです。

まずは、ショルティとDeccaの間につながりがうまれたのはピアニストとしてでした。
これはすでにふれていることなのですが、ショルティがリヒテクというテノールの伴奏ピアニストをつとめていて、そのリヒテクの紹介でDeccaとのつながりが出来たからでした。

ですから、ショルティのDeccaでの初録音はヴァイオリニストのクーレンカンプと組んだブラームスのヴァイオリン・ソナタ3曲、ベートーベンのクロイツェルとモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ1曲、そしてシューベルトの小品2曲でした。
そして、この録音を担当したのがヴィクター・オロフだったのです。

しかし、ショルティの望みはピアニストではなくてあくまでも指揮者であり、ピアニストとしての録音をこなしながらも指揮者としての録音を強くDeccaに売り込むのです。
そして、その売り込みが功を奏したのか、1947年にベートーベンの「エグモント序曲」とコダーイの「ハーリ・ヤーノシュ組曲」を録音します。
ただし、この一連の録音を誰が担当したのかはよく分かっていません。おそらくは、かなりのやっつけ仕事ではなかったのかと思われます。

そして、カルショーの回想録によると、1949年の6月に、ミュンヘンの歌劇場でカルショーはショルティが指揮をする「薔薇の騎士」を聞いて、その幕間に挨拶に行っているのです。
しかしながら、自己紹介する必要がなかったので以前にもどこかで会っているようだと書いているのですが、それがいつだったのかは思い出せなかったようです。

そして、「彼とはそれから何年か後に、親しく仕事をすることになる」と記しているのですが、実際はその2ヶ月後にハイドンの交響曲を録音しているのです。
回想録でも、薔薇の騎士の幕間に挨拶に行ったと記したすぐ後のところで「8月29日、ゲオルグ・ショルティがイギリスのオーケストラと始めて録音を行った」と書いているのです。
おまけに、その録音に関しては「それまでに経験したどんなオーケストラよりも私に多くの喜びを与えた」と書いているのです。

回想録というものは往々にして本人の思いこみや記憶間違いもありますから仕方のないことなのですが、こういう整合性の取れない記述はこのカルショーの回想録にもたくさんあるようです。

そして、このハイドンの録音に続けて、カルショーはベートーベンの4番(1950年11月録音)やスッペの序曲集(1951年4月録音)、バルトークの「舞踏組曲」(1952年11月録音)、コダーイの「ガランタ舞曲」(1952年11月録音)、メンデルスゾーンの3番(1952年11月録音)を担当していく事になります。
面白いのは、こうして順を追って聞いていくと、ショルティのトレードマークとも言うべき、強引にオケをドライブするスタイルが確立していく様子がよく分かるのです。

とりわけ、最後のメンデルスゾーンの3番などは「無慈悲」という言葉が相応しいと思えるほどの造形になっています。

カルショーはショルティとの初録音となったハイドン演奏に対して「ショルティは指揮者としては未熟なところもあったが(彼は始めはピアニストだった)、演奏には切迫感と緊張感があった。それらはハイドンには相応しくないものだったかも知れないが、注目すべき将来性を予感させた。」と記しています。

これはなかなかに意味深長で興味をひかれる記述であって、オケを強引にドライブしていくことによって生まれる「切迫感と緊張感」はすでにショルティの持ち味であり、その持ち味をカルショーもまた大いに評価していた事が分かるのです。
しかし、その反面として、それは「ハイドンには相応しくないかもしれない」として、ショルティの「抽斗の狭さ」も指摘しているのです。

しかし、その後の両者の仕事ぶりを見ていると、取りあえずはそう言う「抽斗の狭さ」みたいな欠点には目を瞑って、ショルティならでは「切迫感と緊張感」に磨きをかけることに力を注いだことがよく分かります。
それは、ベートーベンの4番やメンデルスゾーンの3番などを聞けばよく分かります。

正直言って、今の耳からしてもかなりえげつない演奏です。
ここまでザッハリヒカイトに徹した演奏を聞けば「それはないだろう」という気がするはずです。
カルショーの言葉を借りれば「相応しくないかもしれない」演奏と言うことになるのでしょうが、それは同時にショルティならではの強烈な個性が刻印された演奏でもあったのです。

悪名は無名に勝ると言います。

知名度のない若手を世に売り出すためには、たとえ悪名であっても、他にはない個性を刻印することで無名から脱出する必要があると考えたのかもしれません。
ただし、残念なことにカルショーはこの二つの録音については回想録の中では一切ふれていません。

さすがに「悪名」が過ぎたと思ったのかもしれません。

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