ブルックナー:交響曲第1番 ハ短調 (リンツ稿/ノヴァーク版)
オイゲン・ヨッフム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1965年10月録音
Bruckner:Symphony No.1 in C minor, WAB 101 [1.Allegro]
Bruckner:Symphony No.1 in C minor, WAB 101 [2.Adagio]
Bruckner:Symphony No.1 in C minor, WAB 101 [3.Scherzo: Lebhaft - Trio: Langsam]
Bruckner:Symphony No.1 in C minor, WAB 101 [4.Finale: Bewegt und feurig]
生意気な浮浪児
この作品は「交響曲第1番」となっているのですから、普通に考えればファースト・シンフォニーと言うことになるのですが、ブルックナーの場合は少しばかり事情が込み入っています。何故ならば、「交響曲第0番」とか「交響曲ヘ短調」などと言う作品が存在しているからです。
さらに言えば、それらの作品は何らかの「断片」が残っているというのではなくて、どちらも交響曲として完成しているのです。
ですから、いささか煩わしいと思われる方もいるでしょうが、そのあたりの関係を簡単に整理しておきます。
ブルックナーはリンツ大聖堂のオルガニストを勤めながら、ジーモン・ゼヒターと言う大理論家から厳格な和声法と対位法を学びます。その成果は多くの教会音楽として結実しています。
そして、そこでの学習を終えると、今度はその様な対位法に縛られないソナタや交響曲の作曲に必要な技法をリンツ市立劇場の指揮者であったオットー・キラーから学ぶことになります。
オットー・キラーはブルックナーより10歳も若い人物だったのですが、そこで学んだ成果は「キラー練習帳」と呼ばれるノートにぎっしりと書き込まれています。
そして、その「キラー練習帳」の最後の部分に「交響曲へ短調」のスケッチが記されているのです。
キラーのもとでの学習を終了すると、ブルックナーはそのスケッチをもとに本格的に交響曲の創作に取りかかり、そして完成したのが後に「交響曲へ短調」と呼ばれる作品だったのです。しかしながら、師匠の評価は「学生オーケストラ向けの作品」という厳しいものであり、最晩年に自作の整理をしたときに破棄はしなかったものの「習作」と記すことになってしまったのです。
しかしながら、この作品が興味深いのは、メンデルスゾーンなどの初期ロマン派の交響曲と非常に近しいことです。
その昔、クレンペラーの指揮でメンデルスゾーンの3番を聞くと、とりわけ最後の壮大なコラールを聴くとそこにブルックナーに繋がるものを感じると書いたことがあって、それに対して「メンデルスゾーンの音楽から偉大なブルックナーの音楽を連想できるなんて信じがたい感性」と馬鹿にされたことがあるのですが、このヘ短調の交響曲を聞くとそれほど馬鹿にされるような感性ではないように思うのです。
そして、この「習作」と位置づけられた「交響曲へ短調」に続いて書かれたのが「交響曲第1番」だったのです。これについては後に詳しくふれます。
そして、順番的に言えばおかしな事になるのですが、その第1番の交響曲を完成させてから書かれたのが「交響曲第0番」だったのです。
この交響曲の創作過程に関しては諸説あるのですが、その背景には交響曲第1番の初演の失敗があったことは間違いないようです。
そして、漸くにして完成させた交響曲をウィーンで初演しようとしてウィーンフィルの首席指揮者だったオットー・デッソフに見せたところ「何処に第1主題があるんだね」と言われて怖じ気づいてしまいお蔵になってしまったのです。
しかしながら、最晩年に自作を整理していたブルックナー本人によってこの作品が再発見され、その時に「全然通用しないもので単なる試作」とされながらも破棄するには忍びないものとして「第0番」という数字が与えられたのです。
ですから、この3作品の成立過程を整理すると以下のようになるのです。
- 交響曲へ短調:1963年完成
- 交響曲第1番:1865年~1866年完成
- 交響曲第0番:1869年完成
ブルックナーはこの第1番の交響曲に対して「生意気な浮浪児」と呼び「これほど自分が大胆で生意気だったことはない。」とも述べています。
それは、この作品のあちこちで飛び跳ねるような活発な動きが顕著であり、ゆったり動くかと思えば突然せわしく動き出すこの作品に対するイメージとして「生意気な浮浪児」という言葉をを呈したのでしょう。
確かに、この交響曲第1番は、ゆったりとした動きが基調となっている第2番以降の交響曲と較べてみれば明らかに異質な存在です。
しかし、異質な部分を多くもちながらも、例えば楽章の最後で壮大な金管のコラールを登場させたり、弦のトレモロにのって金管が主題を歌い出すというブルックナーの定番スタイルも備えているのです。
そう言う意味では、メンデルスゾーンやシューマンという初期ロマン派のシンフォニーに近しかったヘ短調の交響曲からは一歩踏み出していることは間違いありません。
また、トリスタンとイゾルデのミュンヘンでの初演に招待されたときにブルックナーはこの交響曲の楽譜を持参し、それをハンス・フォン・ビューローやアントン・ルービンシュタインに見せて好感触を得たことも彼に自信を与えたようです。
そして、その自信を背景にリンツでの初演に臨むのですが、結果は大失敗に終わります。
それは、歌劇場のオケがこの作品を演奏ずるにはメンバー不足であり、それを埋めるためにアマチュアのオケや軍楽隊からメンバーをかき集めたからでした。
残された資料によると、そこまで4メンバーをかき集めても、ヴァイオリン12人に対してヴィオラやチェロ、コントラバスはそれぞれ3人というアンバランスな編成にしかならなかったようです。さらには言えばその様なメンバーがこの作品を十分に理解できるはずもなく、ブルックナーの指揮技術もお粗末であり、とどめとして練習も不十分だったのですから成功するはずはなかったのです。
さらに言えば、その初演当日はドナウ川に架けられた橋が崩壊するという大事故が起こり、人々の多くは演奏会どころではなかったのです。
そして、この初演の失敗はブルックナーにとってはトラウマとなったようで、その後の果てしない改訂作業へと導いていくことになるのです。
とりわけこの第1番の交響曲ではその傾向が強く、事あるたびにブルックナーはこの作品に筆を加え、最終的には別の作品かと思うような「ウィーン稿」で筆を置くことになります。
しかし、それは「生意気な浮浪児」がその生意気さを失ったものと感じる人が多いようで。現在では最初の「リンツ稿」で演奏されるのが一般的になっています。
出来れば手兵のバイエルン放送交響楽団だけで全集を完成させてほしかった
ヨッフムのブルックナーと言えば一つのブランドでもあります。ただし、トップブランドではなく、それでも、いつの時代にも根強い支持者が存在する老舗ブランドという風情でした。
ですから、彼は生涯に二度、ブルックナーの交響曲全集を完成させています。そして、ここで紹介しているブルックナー録音はその最初の方の全集に収録されているものです。
いうまでもないことです2度目の全集は1975年から1980年にかけてシュターツカペレ・ドレスデンとのコンビで録音されています。
最初の全集は、バイエルン放送交響楽団とベルリン・フィルを使って録音されていて、録音年順に並べると以下の通りとなっています
- 交響曲第5番変ロ長調(ノヴァーク版) バイエルン放送交響楽団 録音時期:1958年2月
- 交響曲第8番ハ短調(ノヴァーク版) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 録音時期:1964年1月
- 交響曲第7番ホ長調 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 録音時期:1964年10月
- 交響曲第9番二短調(ノヴァーク版)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 録音時期:1964年12月
- 交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』(1886年稿ノヴァーク版) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 録音時期:1965年7月
- 交響曲第1番ハ短調 (リンツ稿ノヴァーク版): ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 録音時期:1965年10月
- 交響曲第6番イ長調(ノヴァーク版) バイエルン放送交響楽団 録音時期:1966年7月
- 交響曲第2番ハ短調(ノヴァーク版) バイエルン放送交響楽団 録音時期:1966年12月
- 交響曲第3番二短調(1889年稿ノヴァーク版) バイエルン放送交響楽団 録音時期:1967年1月
58年に第5番を録音したときは、それが全集になると言うことは全く想定していなかったでしょう。おそらくは、自分が得意とする作品を単発で世に問うという録音だったと思われます。
だからと言うわけではないのでしょうが、この全集の中でも優れた部類の演奏に仕上がっているように感じます。
特に最終楽章の壮大な盛り上がりは結構聴き応えがあります。
ただし、この少し前にクナッパーツブッシュ&ウィーンフィルによるお化けみたいな録音があるのでどうしても印象が薄くなってしまうのが悲しいところです。
この後の録音のスケジュールを眺めてみれば、7,8,9番が64年、4,1番が65年、そして6,2番が66年、3番が67年に録音されて全集として完成していますから、64年1月に8番を録音した時点では全集が視野に入っていた事は間違いないでしょう。
そして、この全集はベルリンフィルを使って完成させるつもりだったのでしょうが、66年からはオケが手兵のバイエルン放送交響楽団に変わっています。
これもまた、想像の域を出ませんが、おそらくはカラヤン&ベルリンフィルの活動が忙しくなって、ヨッフム相手にブルックナーのマイナー作品なんかは録音している暇がなくなったのでしょう。
しかし、結果的に見れば、オケがここで変わったことはよかったようです。
ヨッフムは64年からベルリンフィルとブルックナーの録音をはじめるのですが、64年と言えばすでにベルリンフィルはカラヤンの色に染め上げられていました。
カラヤンという男は傲慢な男のように見えて結構賢い奴で、ベルリンフィルの「終身首席指揮者兼芸術総監督」というポストを手に入れても、己のやり方をすぐに押しつけるようなことはしませんでした。それこそ時間をかけて少しずつ自分好みの色に染めていったという雰囲気が濃厚です。
そして、その「色に染める」最終過程が61年から62年にかけて行われたベートーベンの交響曲録音でした。
ですから、64年と言えば、ベルリンフィルはすでにドイツの田舎オケの風情は失ってしまい、完全にカラヤンのオケになってしまっていたのです。
こういう書き方をすると顰蹙を買いそうなのですが、ヨッフムという指揮者の魅力は乱暴さにあると思われます。そう言う乱暴さが持つ美質というものは、「レガート・カラヤン」の色がしみ込みはじめていたベルリンフィルでは生かされることはなかったように思われるのです。
もちろん、そういうオケの響きのような繊細な問題を録音だけで判断するのは危険であることは承知しています。
しかし、66年からのバイエルンとの録音から聞くことが出来る響きとは異質であることは間違いありません。
例えば、この全集の最後を締めくくる第3番の録音から聞こえてくるオケの響きは、カラヤンの色に染まったベルリンフィルの響きとは全く異質です。
そして、個人的には、こういう軟体動物のような芯のはっきりしない響きでブルックナーを聞かされるのはあまり嬉しくはありません。
さらに言えば、ベルリンフィルはあまりヨッフムの指示に従っていないようにも思えます。と言うか、ヨッフムはカラヤンのような技巧的な指揮者ではないので、適切な指示に機敏に反応することになれたベルリンフィルにしてみれば、曖昧な部分は適当に演奏するしかなかったのかも知れません。
まあ私ごときがヨッフムに対して偉そうなことが言えた話ではないのですが、それでもヨッフムというのは余所のオーケストラに乗り込んで、短時間で掌握して的確に指示を出せるようなタイプの指揮者でなかったことだけは事実です。
ですから、ドイツグラモフォンにしてみればベルリンフィルと組んだ方が売れると判断したのでしょうが、出来れば手兵のバイエルン放送交響楽団だけで全集を完成させてほしかったと思ってしまうのです。
ただし、私が軟体動物のようだと感じた8番の録音に対してヨッフムらしい剛毅さが現れた演奏と絶賛する向きもあるのですから、もしかしたら私の聴き方が悪いのかもしれませんが・・・。
よせられたコメント
2020-06-02:コタロー
- この曲はブルックナーの交響曲の中では演奏機会が少ないですが、なかなかの意欲作だと思います。それだけに、このヨッフムの演奏は大変貴重だと思います。
ヨッフムはこの曲とかなり相性が良いようです。第1楽章のコーダでは急激にテンポをアップさせて独特な効果をもたらしたり、第3楽章では愉悦的な楽想が最大限に生かされているなど、初期のブルックナーの交響曲の魅力を大いに堪能させてくれます。また、ベルリン・フィルの卓越した演奏能力が遺憾なく発揮されています。
実はこの演奏、私が20代の頃にLPで愛聴していたものですが、数十年ぶりにこのサイトで再会することができてとても嬉しいです。心から御礼申し上げます。
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